第67話  日本史最大の闇 (3)

 このことがあってから、私は特に奮起し、参戦して、蘇我の兵を鼓舞し、ついに戦いに勝ちました。物部守屋は樹木の上で観戦しているところを矢を射られて戦死しました。その結果、蘇我氏が朝廷において優位に立ち、仏教布教の基礎がここに築かれたのです。


 私は神々にお約束した通り四天王寺を建立し、今日に至っております。


 そして蘇我氏を外戚に持つ推古天皇が即位されました。私は女帝を補佐する摂政となりました。以降の史実は皆様ご存知の通りです。私は隋に倣って官位を導入し、十七条憲法を制定して中央集権国家を目指しました。小野妹子を隋に派遣して、わが国と隣国隋との対等な関係を模索したのです。


 仏教寺院が次々に建てられるようになり、朝廷からも予算が支出できるようになりました。私は後に若草伽藍と呼ばれる法隆寺を建立し、寺院に起居することになったのです。


 私の後継者としては、第一子である山背大兄皇子やましろのおおえのみこが適任でした。皇子は仏法を深く学び人格的にも高潔で、推古帝の後継として皇子が帝位に就くと思い描いていたのです。


 ところが私が逝去した後、恐ろしいことが起こったのです。蘇我入鹿の命を受けたとされる兵士たちが若草伽藍に攻め入り、我が息子を含む一族25人を惨殺したのです。


 正確に言いますと、皇子は「最早これまで」と若草伽藍に火を放ち、我が息子たちは燃え盛る寺院の中で共に自決して果てたのです。この後の件は七百猫の方が直接に見聞きしていますので、猫から語らせましょう。七百しちももや、後を頼めないか。」


 「かしこまりました。」


 と七百猫は一礼した。


 「花田様、皆様、ここから先は、皆様が日本史の授業などで史実として習われたこととは大きく異なります。どうか心してお聞きください。これは、いわゆる都市伝説や陰謀論などと言ういかがわしいものではなく、日本史を揺るがす大事件なのです。この一件で日本史が書き換えられると言っても過言ではありません。

どうかご覚悟下さいませ。」


 七百猫は太子にもう一度礼をした。太子は微笑みながら頷き返した。


 「聖徳太子様が世を去られた頃、蘇我氏の権力は絶大なものとなっていきました。当時、大臣おおおみとして政権の中枢にあったのは、蘇我蝦夷そがのえみしとその息子、入鹿です。私は入鹿に飼われておりました。入鹿はいわゆる世間によくあるドラ息子で、豪奢な衣服を身に付け、女たちを侍らせて酒食に興じていたのです。人当たりは悪くなく、心根も良かったのですが、次第に権力と金にまみれ、心驕っていくようになりました。


 ある日、屋敷に見知らぬ者が訪ねてきました。中臣鎌足なかとみのかまたりと名乗る青年でした。


つづく



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