第66話 日本史最大の闇 (2)
そして昭和の時代、この像が聖徳太子様その人ではないかと看破されたのは、日本屈指の哲学者、梅原猛博士です。そして、天変地異が起こるかのような風説を作りだしたのが、奈良時代、朝廷にいて発信力を持っていた僧、行信とその背後にいた藤原氏なのです。
彼らは仏師に命じて聖徳太子様の怨霊がここから出ぬようにと、畏れ多いことに像の光背に頭の部分を大きな釘によって打ちつけたのです。頭に釘を打つとは、呪詛、すなわち、呪いでしかありえない。そのために、太子様はここから一歩も出られず、ご面会もこのような形になりました。
では、なぜ太子様が怨霊とみなされ、このように残酷な仕打ちをされることになったのか、まず太子様の口からそれまでのいきさつをお語り願えないでしょうか。」
七百猫は静かに聖徳太子を見上げた。
聖徳太子は語り始めた。
「私は7世紀の初め、即位された推古天皇の摂政として、様々な国内改革を進めていきました。それはわが国を大国である隋のように律令制度が整った文明国にしようと思っていたからです。もう一つは、この国に仏教を広め、人心を安らかにしようとしたのです。
私はその当時権力を誇っていた蘇我氏と縁戚関係にありました。私の母方である曾祖父、
6世紀の後半、帝位にあった欽明天皇は蘇我氏の指導のもと、仏教寺院を建設しました。当時、疫病が都に広まり、人々が次々と死んでいったのです。仏教寺院を立てても疫病は収まりませんでした。そこで、物部守屋は天皇にこう進言したのです。
「
そして恐ろしいことに建設された寺を焼き、仏像を捨てました。僧侶たちををむち打ちにして懲らしめたといいます。
そこでとうとう蘇我氏と物部氏は戦さになりました。私はもちろん蘇我氏の兵士を率いて参戦することにしたのです。
ある時、私は自室にこもって瞑想しておりました。目の前が急に明るくなり、私は瞼を開けました。驚いたことに、そこには仏教の守護神、四天王様が立って私を見つめておられました。
四天王とは、古代インドの聖地、
仏法を守護するために、甲冑を帯び、武器を持たれたお姿をされていますが、それは邪鬼を払うため、民衆や信者には慈愛を持って常に接しておられるのです。そのうちのどなたか、今ははっきりと覚えていませんが、お一人が私に向かってこうおっしゃいました。
「仏法を守護するため、そなたに私どもの力を与えようぞ。安心するがよい。戦の間、常に守っておりますぞ。」と。
そして4人の方々は皆、私に向かってうなずいておられました。私は申し上げました。
「この戦さに勝った暁には、四天王様をお祀りする寺院を必ず建立することにいたします。どうぞお力をお貸しください。」
私は平伏し、再び頭を上げました。すると、もう神々のお姿はなかったのです。
つづく
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