第23話 神様と人間の関係 ーシュレネコの講義


 シュレ猫は、高木の方を向くと


「よー高木、ネクタイ曲がってるぜ。」


といつものタメ口で話し始めた。


「うっせー、どうでもいいから早く話始めろよ。」


 シュレネコは前を向くと、私の瞳を見つめるようにして話を始めた。


「さっきから後ろで聞いていたんだけどよ。やっぱり一番大きな問題は、人間どもが神様をあまり信じちゃいねえことさ。話に出てたけど、人間がお金を出してお札を買ったり、祈祷をしてもらったりして、神様にお願いをするじゃねーか。それで、思うような願いが叶わなかったら、どうせ神様なんかいねーよって言って、結局神様を粗末に扱っているよな。


 それと、何か人間が良いことをして、それでもそいつに何か悪いことが起こったら、「いいことしてるのに、神様なんて何にも解っちゃいねー、結局神様なんていねーよ。」って人間はすぐ言うんだよな。 

 

それって結局神様と取引しようとしているんだぜ。お札買ったから助けてくださいよ。良い事したから助けてくださいよ。お前何様だと思ってるんだよ。神様はお前の召使いじゃねーっての。

 

 良いことをするのは、何か期待してするんじゃなくて、心からそう思ってしたらいいんじゃね。救ってもらうのに、大体お札なんか必要じゃねーんだよ。お札とか祈祷って、元々神道になかったものを後世の人間が作り出したものに過ぎねえ。元々は、大自然の中にあるパワーに対する敬意の気持ちが神道ってもんじゃあねえのかよ。


 花田さんよー、マルチン・ルターって知ってるだろ。そう、16世紀にカトリック教会が腐敗した中で、宗教改革を起こした指導者さ。ルターは41ヶ条のテーゼっていう当時のカトリック教会を批判する書をローマ教皇に提出し、それを引っ込めなかったのでついに破門された勇者さ。


 ルターはこう考えた。いいことをしたから救ってほしい、これを「行為義認」という。でもな、さっき言ったように、いいことをするのに何かメリットがあってやってるって、おかしくね?


 それと、誰を救うか救わないかフリーハンドが与えられているのは神様の方で、人間じゃねえし。人間が本当に神様に忠実で、信仰心が厚かったら損得抜きで心からいいことするんじゃね? これをルターは「信仰義認」と呼んで、これこそが神に救われる道だと説いたんだよ。


 この元になったのはキリストの弟子、パウロの書いたローマ使徒への手紙なんだな。パウロは言った、


「信仰のあるものはイエスと共にあり、イエスと共にあるものは救われる。」とな。


 だからなぁ、花田さんよお。悪いことが起こっても、恵まれなくっても、神社へやってきて、両手を合わせて「神様いつもありがとう。」って言うやつを救ってくれよなぁ。それが神様の役割さ。



 俺の話はこれだけだ。後は、研究室室長の黒田がやってくれるとさ。高木、喉が渇いたから、俺の皿にミルクをたっぷり入れといてくれよな。」


 高木はうなずきながら微笑んでいた。前のドアを浅見美香が開けると、シュレネコはのっしのっしと歩いて去って行った。何か深い余韻が残って、参加者は皆、押し黙っていた。黒田が立ち上がると、資料を見ながら続きの話を始めた。


つづく

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