第25話 神様は人に寄り添う存在


なおも黒田は話を続けた。


「 花田さんには、以後この研修で、実際に神道の神様になられた方何人かにお出会いしていただき、講義を受けていただいます。」


私は思わず挙手して、黒田に質問していた。


「そ、それはどういった方々なのですか?」

「まず、菅原道真公ですね。天神様として学問の神様でいらっしゃる。それから次には聖徳太子様、この方は神社にも寺院にも神様として祀られておられます。そして、最後に東照大権現、徳川家康公、今予定に組んでいるのはこれらの方々です。」



私は言葉を失ってしまい、黒田の銀縁眼鏡の奥に光る細めの鋭い目を見つめていた。


「全て、神様になる心構えを知るためですよ。例えば聖徳太子様について少しお話しましょう。蘇我氏や物部氏などの豪族が覇権を競っていた七世紀の初め、推古天皇の摂政となられた太子は、日本で最初の憲法を制定され、官位制度を導入されて大陸に引けを取らない文明国を建設しようとなされたのです。


 そして当時の先進国だった隋の都に小野妹子を二度も派遣されたのですよ。当時の隋の皇帝は暴君として恐れられていた煬帝だ。その恐るべき暴君に向かって親書を贈呈した。そこにはこう書かれていました。


「 日出る処の天子、日没する処の天子に

書をいたす、つつがなきや。」


とね。自らを中国の皇帝に準えて天子と呼ぶことなど、当時のどの国の王も憚ってできなかった。しかも相手は短気で横暴と知られた隋の煬帝だ。少しの意にそぐわない発言で侵略行為に晒されないとも限らない。


 しかも自らの国を太陽の昇る国と称揚し、大国の隋を太陽の沈む国と貶すにはそれ相応の国際情勢に基づいていた。煬帝は高句麗との戦いで苦戦を強いられ、国力に翳りが出ていたのです。



 煬帝は案の定、烈火の如く怒ったんだ。「不愉快だ。」そう言い残し、そして親書を放り出すと玉座から即座に立ち去った。しかし、遣隋使の小野妹子もお咎めを受けず、その後の日本も隋から侵略を受けることはなかったんです。


 煬帝は知っていた。聖徳太子という男が只者ではないことを。当時の大陸で「倭国」即ち、「ちっぽけな人々の国」と蔑まれていた国の王が、自らを「太陽の昇る国」と矜持を持って名乗りをあげ、中国の皇帝を意味する「天子」と名乗るその勇気、その度量、



そこに一人の人間として意気を感じ、感動したんですよ。



 でもね、そんな聖徳太子でも当時の全ての人々を救えたわけはない。人々の暮らしは今と比べれば相当劣悪だったはずです。悪疫が流行し、人々は次々に病や飢えで死んでいった。


 そしてね、太子は仏教を広めてそんな人々の魂を救おうとなされたのです。仏にすがってずっと人々を見守り続けたのです。


 あのね、人々を救うというのはね、悲しい時には一緒に泣き、嬉しい時には一緒に笑ってあげ、じっと見守ってあげることだ。例えばあなたが幼い頃、風邪を引いてお母様がずっとそばにいてくださったことがあるでしょう。


「寒くないかい、しんどくないかい。」っていいながらね。」


 私には記憶があった。母がそんなことをしてくれた時には一番心の安らぎを感じたものだ。むしろ健康に過ごしていた時より幸福だったくらいだ。


 「だからね、神様の役割というのは常に奇跡を起こして人を救うことではないのです。悩み苦しむ人にそばにいて、じっと見守ってあげるだけでいいのですよ。そして、時々、気の利いた感謝の言葉を言ってくれる人に少しだけにプレゼントを用意してあげる、それも少しだけでいいんですよ、それで十分。


 それだけであなたの意志は伝わるし、それを受け取った者たちは神様の存在を流布してくれるはずです。そのようにして日本は何千年にも渡る神道の歴史を作ってきたのです。」


黒田はゆっくりと着席した。会議室は静寂に包まれていた。



つづく。






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