第82話  和解ー猫日和

  そこまで黒田が一気に話した後で15分間の休憩が取られた。私たちは廊下を出て、窓の外の景色をぼんやり眺めていた。私が見下ろすと、床の上で2匹の猫が楽しそうに会話を交わしていた。


「シュレネコ殿、あの一般相対性理論は私にはどうも分かりかねる。」

「オレが勧めたテキストがあるだろ、あれを読めよ。オレが今後あのテキストでもう一度講義やるよ。」

「すまぬなぁ。」


「てかさ、オレの方こそ、漢文の訓読ってのがどうも難しくて、やり方が覚えられねぇ。」

「漢文は素読じゃ。朝起きたらまず何度も声に出して読まれるがよい。センターに書き下し文付きの論語があるから、あれを借りて励まれるがよい。」


「この頃オレもやってるぜ。


勝つべきものは攻なり。守は即ち足らざればなり。攻は即ち余り有ればなり、ってな。」


「お、孫子じゃな。良いものを選ばれておる。わしがお仕えした武田信玄公はすべてを誦じておられた。共に朝、素読したものよ。」


「お、ほんとに仲良くなったじゃねーか、お前ら。よかった。よかった。」


高木が何気なく2匹を見下ろして言った。


「どうじゃな、高木殿も一緒に孫子などを素読せぬか。それとシュレ殿の物理学や数学の講義も面白いですぞ。」


「い、いや、オレは遠慮しとくわ。もう勉強はこりごりって… 。」


「おい高木、おめえホントに向上心ねぇなぁ。ちっとは勉強しないと世の中に置いていかれるぜ。こないだ機械学習のことも説明できなかったじゃねーかよ。」

「本当でござるぞ、高木殿。古今東西の名著に触れ、人間は成長しますからのお。」


「オレもさぁ、大学受験までは必死に勉強したぜ、何せ国立の法学部って結構難しくてよ。」

「オメエさぁ、大人になってからの勉強がホントの勉強だろう。休憩時間に外でタバコばっかプッカプカ吸いやがって、夜は夜で酒ばっか飲んでクダ巻いてる場合じゃねーぜ。」


「そうでござるぞ。信玄公も家康公もずっと学びを深めておられた。どうじゃ、我々の勉強会に参加なされませぬか?」


「勉強会って?」

「この頃は毎週、月、水、金の午後5時半位から2時間位やってるぜ、まず最初の1時間は七百猫が中国の古典と書画の歴史、日本史と東洋の宗教史、そして続いて、オレが数学と物理、西洋哲学と宗教、最新の情報科学を講義して、お互いに学び合ってるぜ。終わったら一緒にミルク分け合ってメシにしてるんだ。どうだ、オメエも飯食いながらでもいいしよ。」


「いいアイディアだなぁ。」


私が応じた。


「花田さんまでなんですか?もう勉強はこりごりですよ。」

「私もここへ来てから様々なことを学んで本当に成長したと思うよ。」


「決まり!高木。明日の5時半にネコ部屋へ集合ってな。」

「わかったよ、教材は用意するんだなぁ。」

「任しとけ、明日はオレの西洋科学史の講義だからな。ケプラーの3法則とニュートン力学からもう一度復習するからよ。」


「あー、頭が痛くなってきたよ。お手柔らかにお願いするよ。」


「お任せあれ、その前に私が書画論を講じますのでな。中国宋代の山水画と書の三大家、書画同源論と水墨画の歴史じゃ。」


「まぁな、勉強が大事ってのはオレもわかるしな。でもなぁ、ひとつ嬉しいのはそうやってお前ら2匹が仲良く協力するようになったってことさ。以前はひどかったもんなぁ。お互い口も聞かねえし、口を開けば喧嘩だったしよ。」


「ネコの喧嘩は、犬も食わねぇってな、いいこと言うだろ。」


2匹とひとりは哄笑した。


「子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知るってな。」


「おお、シュレ殿、流石じゃ。論語の巻第一じゃな、質量は全てエネルギーに転化する。エネルギーの総量は質量に光速の二乗をかけたものじゃ。」


「オメエもやってるじゃん。見込みあるぜ。」


「感心よね。今日の夕食はおいしいクッキーでもつけようなぁ。」

「おお、浅見殿、かたじけない。」


「高木さんも見習ってね。」


「もう美香ちゃんまでなんだよ。あーあ、こんな二匹、ずっと喧嘩させといたらよかった。」


「おめえ、ホント改心しろよな。オレたちみたいによー。学びて時にこれを習う。亦たよろこばしからずや、ってな。とも有り遠方より来たる、亦た楽しからずや、ってな。


トモって七百、おめえのことだよ。」


「シュレ殿、ワシも、ワシもじゃ、同じくそう思っておる。」


2匹は見つめ合い、お互いに一礼した。


「後ろ向きな、背中のノミをとってやるぜ。」


シュレネコは七百猫の背中へ回りノミを取り始めた。


「気持ちいいのお、わしも人間の友はたくさん持ったが、ネコ友は初めてじゃ。」


「オレも一緒さ、おっと、動くんじゃねーっての。ほらほら1匹いやがった。」


私はシュレネコのノミ取り作業をじっと見つめながら、このような平和が人間界にも訪れることを強く願っていた。


つづく























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