第75話 ベルリアの独白

「あぁ、これが幸せなんだ」



 レイドの腕に抱かれながらボクは自分の心が満たされていくのを実感する。慣れないことをしたせいかまだ眠っているレイドはいつにもなく無防備でそんな姿を晒してくれることがボクに対する信頼の証だと感じ取れてさらに心が満たされる。



「レイドの温もりってクセになっちゃいそう」



 ボクは生まれてから自分が誰かに愛された記憶を一切持っていない。本来なら無償の愛を注いでくれるはずの両親を自らの手で殺したんだから自業自得かもしれないけど、大した情も湧かなかったし後悔はない。



 それよりも、今はこの温もりを手放さない方法を考えるのが先だ。



「レイドと出会ったせいでボクは壊れちゃったんだから、責任とってよ」



 あの日のことは今でも忘れることはない。それは、いつもと何の変化もない日常であり、いつも通りの暗殺依頼。富裕層の人間が自己欲のために冒険者ブランを殺したいと出された暗殺依頼は報酬も高く当時のボクは何の疑問もなくその依頼を受けることにした。



 初めは簡単な依頼だと思ってた。ボクの霊装である死毒姫アメジストは暗殺者としては最強の部類だし、元々天才のボクは死毒姫アメジストを完璧に使いこなしている。



 実は死毒姫アメジストの生成する毒は理想の効果を持った毒を生成するのではなく、自分の頭の中で構造式や成分情報なんかを組み立てないといけないので、当時のボクはそっちに思考を削がれて近接戦闘が苦手だったりしたけどそれでも上級騎士と互角かやや劣る程度だったから特に問題視はしてなかった。



 少しでも疲れているところを狙おうとカジノの地下闘技場から出て来たレイドを待ち伏せしたボクはあっさりと毒を喰らった彼に内心ガッカリしていた。生きる為にお金が必要だから人を殺す、そんなボクでも退屈は嫌いだったから、もしかしたら少しは楽しめるかもって思ったのに蓋を開けてみれば簡単にトラップに引っかかっちゃうんだもん。



 でも、その直後に蹴り飛ばされたことでボクはレイドへの評価を上方修正して再び殺しに掛かった。でも、死毒姫アメジストを使用してもなかなか殺すことは出来ず気が付けばボクの体には今までに味わったことがないほどに無数の傷が刻まれていた。



 別にボクが手を抜いている訳じゃない。全力で殺そうとしているのにそれでもレイドは殺せない。今にして思えばその事実がボクには嬉しかったんだと思う。



 人間の命の軽さを知ってしまったボクの前から居なくならないでくれる存在。卑怯で卑劣と罵られるボクを一切の偏見なしに見つめてくれるその瞳、思えば本当の意味で誰かに自分を見てもらえたのはあの殺し合いが初めてだった。



 元々殺しに何の感情も抱かないボクは気付けば殺し合いの中で彼と言葉を交わすのが楽しくなっていた。だから、お互いが動けない状態になってから二人が生き残れる提案をするのは至極当然のことだった。



 ボクの行為を否定しない、ボクの本気を受け止めてくれる、何よりもボクの毒を綺麗って言ってくれた。レイドの魅力は多々あるけど、ボクはレイドの一番の魅力は理解して受け止めてくれる所だと思う。



 殺人も、暗殺も、差別も、欲望も、それら全てを一度は理解して受け止められる。その上で否定するんじゃなくて踏み倒す。善悪なんかよりももっと深いものを持ってる。きっとそれがレイドの一番の魅力でボクが惚れた理由。



 それから、レイドにレイちゃんの依頼をされた時、ボクは心底から嬉しかった。今まで都合の悪い人間を殺す為の道具としてしか見られなかったボクがその時初めて誰かに必要とされた気がしたから。今更、自分にそんな承認欲求があったことに驚いたものだ。



 でも、その依頼は幸福と同時に暗殺者としてのボクの心を蝕んでいった。少し考えれば分かることだった。護衛依頼とは監視することであってそんなことをすれば当然、ボクは表の世界の日常を知ることになる。



 今まで何の趣味も生きがいも持たずに、ただ明日を生きる為に暗闇の中で人を殺し続けていたボクに日常は眩しすぎた。何気ない笑顔も、学園という空間も、聞こえてくる趣味の話題でさえも全てが理解の外だった。



 だからかもしれない、ボクはその日常を試してみたくて少しだけレイちゃんの真似をしてみることにした。お兄ちゃんのために料理をしていると言っていたからボクもレイドに料理を出してみた。その時初めて、自分の作ったものを美味しいと言ってもらえる喜びを知った。



 それからというもの、ボクは月に一度レイちゃんの様子を報告する日にレイドに日常を要求するようになった。何でもないしりとりやチェスといった遊びから、何処まで自分のことを許容してくれるかといったチキンレースまで、沢山のことをしてその度にボクはレイドを好きになっていった。



 それと比例するように暗殺者としての自分が死んでいくのが自覚出来た。レイちゃんを守って、レイドに頼られて、生きるためのお金が得られて、そんな幸せな依頼があるのに暗殺をする理由なんてボクにはなかった。でも、引くに引けないところまで来ていたボクは無感情に殺し続けた。



 ナイフを振る度に虚しさが去来して、レイちゃんの笑顔を見る度に自分がああはなれないのだと切なくなった。別に殺しに対する忌避感はないし、弱肉強食こそがこの世の摂理である以上罪悪感なんて湧いてこない。



 それでも、自分を惨めに思えてしまったのは仕方のないことだったと今なら思える。



 そして、そんな複雑な感情を抱いたまま日々を過ごしていたボクはついにレイドに対する暗殺依頼を受けてしまった。暗殺者というのは存外肩身の狭いものでたかだか騎士見習い人を殺せないと言えばその時点で評価は暴落してしまう。依頼人は正体不明だけどボクの経験則から本気で殺す気はないと分かった。恐らく、死んでくれればラッキーくらいの認識だったと思う。



 でも、そこからのボクは自分で言うのもなんだけど少し面白かった。何故かナイフを持つ手は震えるし、毒の調合にだって初めて失敗した。冷静にレイドを殺すイメージをしたら、楽しく遊んだ記憶が邪魔をする。そこまで来てようやくボクは確信した。あぁ、暗殺者としてのボクは死んだんだなぁって。



 きっと、レイドを殺せば暗殺者としてのボクを取り戻すことは出来る。それどころか、より優れた完璧な暗殺者になれる確信だって持てた。でも、今のボクはそんなものに価値を見出せなくなっていた。



 何より、その時初めてボクはレイドのことを理解してしまったから。大切なものを失う恐怖と、その果てを。ボクの中でレイドは既に何よりも大切な存在になっている。だからこそ、それを失ったら自分が壊れることが自覚出来た。



「君はきっと、失った時のボクなんだ」



 無防備にボクの隣で寝ているレイドは年相応の青年に見える。でも、もしボクが今本気で殺そうとすれば対応されるところが容易に想像が出来てしまう。



「普通なら壊れてしまう環境なのに、残った大切の為に壊れられなかった。その果てに自分を捨てたんだよね」



 レイドは致命的な部分で壊れている。でも、それは普通の人間では気付くことができない。仮にレイドの全てを知っていたとしても尚理解できないと思う。



 外見では一切壊れているようには見えない。行動だって少し自分を大切にしてないだけで特に違和感はない。感情の喜怒哀楽だってあるし、他人を思いやる心も持っている。



 どこをどう見ても人間のはずなのに致命的な部分で人間をやめている。それなのに、愛おしくて仕方ないのはどうしてなんだろうね。



「盲目で、光を知らぬ、ベラドンナ、孤独の中で、薬になれず。今なら分かる気がするよ」



 かつてボクがレイドから貰った詩。その意味も今なら理解出来る。前半の「盲目で、光を知らぬ、ベラドンナ」は裏の世界の闇しか知らずに、日常や愛を理解出来なかった哀れなボクのこと。後半の「孤独の中で、薬になれず」は誰に愛されることもなく誰の大切にもなれないという意味。レイドを失ったらこの詩はきっと本物になる。



 でも、レイドのお陰でボクは変わった。



「盲目に、光を知った、ベラドンナ、愛に侵され、薬に至る。いつかボクがレイドの薬になれたらな」



 他人を殺すことしか出来なかったボクの毒がレイドの大切を守れたように、いつかボクの毒でレイドを助けたい。役に立つ道具でも構わない。使い捨ての駒でも良い。



 それでもボクはレイドの愛が欲しい。レイちゃんがいる以上、一番になれないのは分かってる。だから、ボクはもっと強くなる。



 暗殺者としてのボクは昨日死んだ。今日からボクはレイドに恋するただのベルリアなんだ。

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