第4話 歪な愛の死毒姫①

 レイを養うために働き始めてから三年、十三歳になった俺を取り巻く環境は大きく変わっていた。



 まず一番大きいのは家を引っ越したことだ。もちろん、思い出の詰まったあの家を売るのは気が引けたので別の場所に新しく家を借りて今はそこに二人で住んでいる。



 かなり出費がかさんでしまうがそのお陰もあってかレイも外に出て近所の子と遊べるようになり、買い物も以前よりも格段に楽にできるようになった。もっと早くこうしていればと思うこともあったがあの時の母さんの給料では仕方がないと納得している。



 次に、俺のことが冒険者として有名になり始めたことだ。家を借りたことやレイの将来のための貯金などで大量のお金が必要だった俺は仕事を選ばずに高額ならばどんな内容でも引き受ける何でも屋みたいな状態になっていった。



 それに加えてカジノの賭け試合の選手として初戦からずっと無敗を誇っているのでそれも含めて俺に仕事の依頼をする人間が増えていった。



 だが、それは同時に汚い仕事でも金を積めば引き受けるということでもある。その為余計にレイに正体がバレる訳にはいかなくなり、今では仮面の下に変声機を仕込んだり、俺の地毛である白髪を隠すために黒髪のカツラを付けたりと地味に変装のクオリティが上がってきている。



 そんな俺は今日も賭け試合を行い、勝利報酬である銀貨五枚を受け取ってから軽い足取りでレイの待つ家へと向かう。



 いきなりこんな大金を持っていったら当然レイに怪しまれてしまうのでお金は既に冒険者ギルドの自分の口座に預けてある。



「ねぇ、ねぇ、そこのお兄さん」



 突然かけられた可愛らしい声に俺は不思議に思いながら声のした方を見る。今は深夜であり

こんな時間に外に出る人間なんて殆どいない。するとそこには外套で身を隠した俺より一回りくらい小さい子供が立っていた。



「俺に何か用があるのか?」


「うん!ボクね帰る家がなくてとぉ〜っても困ってるの、だからボクのこと拾ってくれないかな?」



 いきなり何を言い出すのかと思えば、



「なんで俺なんだ。仮面をつけた怪しい俺よりも優しそうな人間が一杯居るだろう」


「それでもボクはお兄さんが良いよ!ダメなのかな?拾ってくれたらボクなんだってするよ」



 何でもするか………



 言葉だけを聞くなら、お金が無く住む場所を追われた可哀想な子供。こんな怪しい格好をしている俺にでもなりふり構わずにお願いをするくらいには追い詰められているのだろう。



 そう、言葉だけを聞くのなら。



「下手な演技はやめたらどうだ」



 冷たく言い放った俺の言葉に外套を被った子供は一瞬肩を跳ねさせ怯えたようにこちらの反応をうかがい始める。しかし、



「ふふっ、やっぱり分かっちゃうか〜」



 いつまでも態度を変えない俺に、それが無駄だと分かったのか目の前の子供は先程までとはその態度を一変させる。弱々しそうに腕の前で組んでいた手は自然体のように両肩からぶら下げ、口角は吊り上がりまるで俺の反応を楽しんでいるかのようだ。



「ねぇ、ねぇ、今後の参考までにどうしてボクのことが分かったのか聞いても良いかなお兄さん?」



 別に答えてやる義理もないが答えない理由もない。なので俺は彼女について軽い説明をする。



「まずお前から足音がしなかった。これは隠密行動に長けている証拠だ。そして、先ほどからの演技も声の節々から俺の反応を楽しんでいるような感情が感じ取れた」



 そう、彼女は元より俺を騙すつもりなどない。ただ仕事の前にからかって遊ぼうとしているだけだ。



「俺も答えたんだ。お前もいい加減、目的を話してくれないか



 死毒姫、その単語を口にした瞬間、彼女は浮かべていた笑みをより一層濃いものへと変えた。



 死毒姫とは裏の世界で生きている者なら誰でも知っているほどの有名な異名だ。数々の重要人物を殺してきた暗殺者ギルドの最高実力者であり、驚くことに上級騎士クラスでも不意を付けば容易に暗殺してしまうらしい。



「そこまで分かってるなら仕方ないか」



 楽しそうな笑みを浮かべたまま目の前の子供は外套のフードを脱ぎその素顔をさらす。



 顔はまだ幼くレイと比べても歳下に見えてしまうが、その中には確かな妖艶ようえんさが混在していた。怪しく光る紫紺の瞳やサラサラの短髪と相まって彼女の容姿は俺から見ても美少女と思うほどには整っていた。



「どう、見惚れちゃったかな?」



 冗談めかして言う彼女に特に思うところはなかった。


 

 確かに、可愛くはあるが子供に欲情する趣味など俺にはない。何より、最高クラスの暗殺者を前に見惚れるなど自殺行為だ。



「そうだな、懐のナイフがいつ飛んでくるのか気になって目が離せないな」


「服を脱いで欲しいってことかなぁ?お兄さん大胆だねぇ」



 どうやら話が通じないらしい。警戒の意味を込めて放った俺の言葉は彼女の中で変態的な要求へと変換されてしまったようだ。



「さて、お兄さんと話すのは楽しいけどそろそろ仕事の時間だよね。お兄さんに恨みはないけど………さようなら」



 次の瞬間、慣れた手つきで二振りのナイフを取り出した彼女はそのまま自然な動作で取り出したナイフを俺目掛けて投擲とうてきしてくる。



 それに対して俺は腰に差してある剣を抜き、飛んで来たナイフを撃ち落とす。



「いくら奇襲とはいえ、その程度で俺を殺せるとは思ッ………」



 「思ってはいないだろうな」そう言おうとした俺の言葉は、突然襲おそって来た体のしびれにより途中で途切れてしまう。



「ふふふっ、引っ掛かっちゃったね。お兄さんさぁ、少し油断が過ぎるんじゃないかなぁ!ボクは暗殺者なんだよ」



 そう言って掲げられた"針"を見て俺は自身の失策を悟る。暗殺者を名乗っている時点で不意打ちではなく、まず話しかけてきたことに違和感はあった。相手は子供のような見た目でも暗殺者ギルドのトップだ。あなどっていたつもりはなかった。



 けど、心のどこかではまだ油断や慢心があったのだろう。自身の肩に刺さっている毒の塗られているであろう針を見て俺はそう思った。



「お兄さんみたいなタイプは不意打ちをしても本能で回避することがあるからね、二重トラップを仕掛けるのが一番有効的なんだよ」



 そう一人語り始めた彼女はわざと足音を立てながら動けない俺へと近づいて来る。



「お兄さんには期待してたんだけどなぁ〜、依頼が来てからしばらく賭け試合とかも見させてもらったけど期待外れでガッカリだよ」



 いつの間にか目の前まで来て鋭いナイフを俺の頭上に掲げている彼女は本当にガッカリしたような、失望したような瞳で俺のことを見て言った。



「最後に言い残すことはある?賭け試合の時に私も儲からせてもらったから辞世の句くらいは聞いてあげる」


「そうだなぁ……盲目で、光を知らぬ、ベラドンナ、孤独の中で、薬になれず、何てどうだ。今の状況にピッタリじゃないか」



 即興で考えたにしてはなかなかに詩的で良い感じの句が出来た。しかし、彼女にはまだ難しかったようで首を傾げて訳がわからないといった様子だ。



「ボクにはよく分からないけど、光を知らないとか薬になれないとか少し共感出来るかも。まぁいいや、さようならお兄さん」



 そう言って彼女は手に持つナイフを俺の首の動脈目掛けて振り下ろす。そのまま行けば俺は動脈を切られて大量出血で死んでしまうだろう。しかし、すんでのところで俺はナイフを振り下ろそうとした彼女の腕を掴み取る。



「なっ!」


「さっきの辞世の句はな、お前のために詠んだ句だ。共感出来たならよかったよ」



 腕を掴み逃げられないように拘束してから俺は彼女の腹部に向けて渾身の蹴りを放った。



「うぐっ」



 蹴りの感触から言って恐らく軸を外されたがそれでもダメージは入っているようでその小柄な体は数メートルほど吹き飛んだ。しかし、流石は暗殺者というべきか彼女は腹部を押さえながらも直ぐに起き上がりこちらを睨みつけてくる。



「ゲホッ、ゲホッ、やってくれたねぇお兄さん。もしかしてボクの毒は聞いてなかったのかな?」


「さぁな、お前に教えてやる義理はない。だが、お前ほどの者なら察しはついているだろう」



 俺の試すような発言に彼女は口角を上げ今日中で1番の笑みを浮かべる。俺がしたことは単純で、次元昇華アセンションの能力を使って自己治癒力や免疫力を上げただけだ。そして、それは同時に彼女の持つ最大の武器である毒が効かないことを示している。



「ふふっ、やっぱりそうだよね。うん、さっきの言葉は訂正するよ。お兄さんは強い。だから、ボクも本気で行くことにするね」



 瞬間、彼女から発せられるプレッシャーが跳ね上がり、濃密な霊力がこの場を支配する。この感覚を俺は何度か味わったことがある。これは盗賊狩りや賭け試合の際に時々現れる霊装使いが発していたものだ。しかし、その密度はこれまでの霊装使いとは比べ物にならない。



「どうかなぁ、お兄さん。ボクの霊装、死毒姫アメジストを見た感想は?」



 まるで、買ってもらった玩具おもちゃを自慢する子供のように彼女は両手に握られた二振りのナイフを俺に見せつけてくる。



 黄金色と深緑の入り混じった柄に、禍々しさと美しさが混在しているかのようなバイオレットの刀身、霊装から発せられる圧倒的な霊圧も相まってそれは凶器ではなく一種の芸術品のようだった。



「綺麗だな」


「ふふっ、そうでしょ、そうでしょ、とっても綺麗でしょ。ボクの死毒姫アメジストはねぇ、どんな毒でも自由自在に創り出せるんだよ。それがたとえ、この世界に存在しない掠っただけで即死する毒であってもね」



 俺の言葉に気を良くしたのか彼女は上機嫌に自身の霊装のことを語り出す。能力を聞くだけでどれほど厄介かが伝わってくる。彼女ほどの実力者に限って霊装に依存した戦い方をするとは考えづらい。



「最高峰の暗殺者に掠ったら即死のナイフ。これ以上ない組み合わせだな。だが良いのか?そんなに自分の能力をひけらかしても」


「別にいいんだよ、顔を見られた以上どうせお兄さんには死んでもらうし。俗に言う冥土めいど土産みやげってやつだよ」

 


 なるほどな、俺も舐められたものだ。



「一つ忠告しようか暗殺者、喧嘩を売る相手は選べ。どんな報酬を貰ったかは知らないが例え億の大金を積まれたとしても俺の命(レイの日常)には釣り合わない」


「それを決めるのはボクでしょ?ナイフを当てただけでお金が貰えるんだから、十分釣り合うと思うよ」


「なら試してみるか?暗殺者」


「元よりそのつもりだよ、お兄さん」



 その言葉を合図に俺と彼女の攻防は霊装を用いた本物の殺し合いへと変わっていくのだった。

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