第6話 お兄ちゃんの奔走劇

 それはいつも通りの日常の中で起こった。



 朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、シャワーを浴びて、レイの待つリビングへと向かう。



「おはようお兄ちゃん、もうご飯出来てるよ」


「あぁ、ありがとう。レイ」



 机の上に用意されている朝食を見て、俺はいつものようにレイにお礼を言う。俺の言葉に嬉しそうに笑うレイに俺もつられて笑顔になる。



「じゃあ食べようか」


「うん!食べよう」


「「いただきます」」



 二人で手を合わせていただきますをしてから、レイの作ってくれた朝食を食べる。以前とは違いお金があり買い物も出来るので出てくる料理は栄養バランスが整っていてどれも美味しい。



「やっぱり、レイの作るスープは美味しいな」


「そ、そうかな?まだお母さんみたいには出来ないけどね、でも少しずつ近づいていると思うの」



 スープの味をほめめられた途端、レイは少し謙遜けんそんしながらも嬉しそうに頬を緩ませる。



「そんなことはないよ、レイのスープにはレイの暖かさが乗っかっているからな」



 この家の料理担当になってからというものレイは母さんの味をなんとか再現出来ないかと頑張っているのだ。俺は今でも十分美味しいと毎回言っているのだが、レイは未だに母さんの味を追い求めている最中らしい。



「「ごちそうさまでした」」



 食事を終えた俺はいつも通りに夜に備えて仮眠を取るために自身の部屋へと向かおうとする。しかし、そこでレイから待ったが掛かる。



「あの、お兄ちゃん!」



 普段のレイからは考えられない大声に驚き俺はレイの方を見る。一方、大声を出したレイは自分でも驚いているようで両手で口を塞ぎながら視線を彷徨さまよわせていた。



 何かがおかしい、そう思った俺は素直にそれをレイに聞いてみることにする。



「どうしたんだ?レイ、何か相談があるんだったら遠慮なく言ってくれ」


「たいッ」

 

「えっと、もう一度言ってくれないか?今度はもう少し大きな声で」


「たい………行ってみたい………私も学校に行ってみたい」



 「学校に行きたい」そう言ったレイはどこか申し訳なさそうに、それが悪いことかのように、下を向きながら話を続ける。



「お兄ちゃんが頑張って働いたお金でこんなこと言うのは良くないって分かってるの!それでもね、近所の子はみんな来年にはセレナード学園に通うって言ってて………制服の話とか………勉強の話とか………みんなすごく楽しそうで……学校ってどんな所なのかなって考え出したら………ひっく………止まらなくなって………ごめんなさい」



 泣きながら謝るレイを見て俺は自身の拳を血がにじむくらい強く握り込む。



 気付けなかった。



 俺は学校なんて興味はないし、レイが普通の生活を送ってくれればそれでよかった。だが、それはあくまで俺にとっての普通であってレイにとっての普通ではない。そんな簡単なことにさえ俺は気付いてやれなかった。



「俺のことを気遣ってくれるなんて、レイは本当に優しいな」



 そう言って俺は未だに下を向いて泣いているレイの頭に血が付いてない方の手をそっと置いて撫でてやる。


「お兄ちゃん?」


「レイはまだ十二歳の子供なんだから、もっと我儘わがままを言って良いんだよ。今まで多くを失って来た分、レイには幸せになる権利がある筈だ。学校のことはお兄ちゃんが何とかするから、レイは何も心配しなくて良いんだよ」



 お金なら将来のために貯金していた分があるから問題はない。問題なのは俺たちに両親がいないことと、学校への行き帰りでのレイの安全だ。



 母さんのことはあまり大事にしたくなかったので未だに生きていて病気で家で寝込んでいることになっている。もし、両親がいないことがわかったらまた強盗が来る可能性だってある。そのため、学園の面接や書類を書く時に面倒なことになりかねない。



 そして、何より重要なのがレイの安全だ。もちろん、レイが学園に通い始めたら俺も見送りをするつもりだが、それだけでは不十分だ。学園の敷地内でイジメが起こった時に俺は対処できないし、仕事の都合やレイの都合でどうしても見送り出来ないことだってあるかもしれない。



 レイは母さんゆずりの美人さんだから嫉妬されてしまうかもしれない。父さんのことを話せないことで変な噂を立てられてしまうかもしれない。俺が学校へ行かずに働いていることで貧乏だと馬鹿にされるかもしれない。



 俺は知っているのだ。人間の醜さを、無邪気と無知の恐ろしさを、そしてそれを知っているのは俺だけで十分だ。



 レイには日の当たる所で笑顔でいて欲しい。世の中の理不尽のせいでこれ以上不幸になって欲しくない。



 そう、今俺は試されているのだ。レイの笑顔を守りあの日のちかいを守れるかどうか、今回の件をどう処理するかで俺の"お兄ちゃん力"が決まるのだ。



 そう思った俺は早速行動に打って出た。



「善は急げだ、セレナード学園への入学はいつからだ」


「えっと、入学式は四月からだからあと三ヶ月だよ?大丈夫かな」



 三ヶ月か、それだけあれば入学自体はどうにか出来るな。後は護衛と母さんの代役、それに入学してから舐められないように勉強も教えないとな。



「あぁ、それだけあれば俺の仕事の伝手を使えばどうにか出来る。レイは何も心配せずに近所のお友達に一緒に通えることを報告して来てくれ」



 こうして、いつも通りの日常から俺の奔走劇ほんそうげきが幕を開けたのだった。




◇◆◇◆




 レイの学園進学に向けて俺が初めに訪れたのは少し古びた看板で猫宿と書いてある宿屋だった。本当は気乗りしないがレイのためならと宿屋に入っていく。



「あら、この間うちに来た冒険者の人じゃない。"あの子"に会いに来てくれたのかしら?」



 宿に入るなり恰幅の良いおばちゃんがそんなことを聞いて来た。今の俺は仮面と外套を被りレイドとしてではなく冒険者ブランとしてここを訪れていた。



「はい、最近は仕事で忙しかったので、久しぶりに様子を見ようかと」


「"あの子"も大変よねぇ、まさか盗賊に襲われちゃうなんて貴方が居なかったら今頃どうなっていたことか。ベルリアちゃんも貴方のことをずっと待ってたんだから早く行ってあげなさい」


「えぇ、そうします」



 以前俺がここを訪れていた時のことを覚えてくれているようでおばちゃんはあっさりと怪しい俺を通してくれた。



 ベルリアが住んで居るであろう部屋の前まで来た俺はその扉をノックする。



「冒険者のブランだ。約束通り依頼をしに来た」


「へっ?お兄さん?うそ!こんなに早く来てくれるなんて思わなかったよ」



 本当に驚いているような声が聞こえてからゆっくりと扉が開く。するとそこには紫紺しこんの髪と瞳が特徴的な二ヶ月ほど前に殺し合った暗殺者、ベルリアの姿があった。



 備え付けのベットや机以外なにも置かれていない殺風景な部屋の中に招かれた俺はそのまま床に座りベットの上で足をぷらぷらさせているベルリアと向かい合う。少しの沈黙の後、初めに口を開いたのはベルリアだった。



「それで、何の用かな?お兄さん」


「さっきも言ったが依頼をしに来た。報酬は可能な限りお前の要求を飲む」



 俺がそう言うとベットに座っていたベルリアは少し驚いた表情をしてから、直ぐにその顔を真剣なものへと変えた。



「お兄さんからの依頼は正直嬉しいんだよ。でもさぁ、お兄さんの性格からしてわざわざ他人に手を汚させるなんて考えづらいし、今回の依頼って相当ヤバいんでしょ」


「そうだな、かなり重要な依頼だ。戦闘の必要はないが最長で三年掛かると思ってくれ」


「つまりメインはお兄さんでボクはサポートって感じなのかな。三年も掛かるってことは潜入調査と情報収集が主な依頼で合ってる?」


「あぁ、その認識であってる。仕事の都合上引き受けてくれたら俺の素顔と名前をお前に教える。そうすれば、俺だけがお前の顔と名前を知ってるというリスクがなくなるだろう」


「それはすごく良い報酬だね!何よりお兄さんの素顔が見れるのが良い。それプラスボクのことはベルリアと呼んで欲しいな、そうしたら依頼料を大幅に減らして上げる」



 やはり、ベルリアに頼んで良かった。正直、話してて疲れることがあると思っていたがそこは流石一流の暗殺者だ。理解が早いから話がスムーズに進んでくれる。



「それじゃあ、依頼内容を聞こうか。報酬とリスクの採算が吊り合ったら受けて上げる」


「あぁ、今から話す。良い返事を期待しているぞ、ベルリア」



 それから俺はベルリアに今回の件を包み隠さずに話した。他の人間になら虚偽きょぎの説明で問題ないがこういう手合いには嘘をつくリスクの方が大きい。



 そんな俺の説明を聞いたベルリアの反応はというと、



「ふふつっ、あははははッ、最高!本当に最高すぎるよお兄さん!最高クラスの暗殺者のボクにする依頼が学園に通う妹の護衛で、理由はイジメにあったら直ぐに解決できるようになんてね。長い暗殺者生活の中でボクに護衛依頼を出すなんて人お兄さんが初めてだよ!」



 大笑いである。まぁ、俺をバカにしてる感じではなく、むしろすごく嬉しそうにしているのでここで下手に口を出したりはしない。



「それで、受けてくれるのか?受けてくれないのか?」


「ふふふっ、もちろん受けさせてもらうよ。ボクはこれから仕事があるから三日後にまたここに来てね。その時に素顔と定期報告の場所や期間を話そうね」


「分かった、四月からよろしくな。ベルリア」



 ベルリアの勧誘を成功させた俺は少しの疲れを残しつつ次の目的地へと向かうのだった。




◇◆◇◆




「あれ?ブランさんじゃないですか。どうしたんですか?今日はブランさんの試合はない筈ですよね」



 そういって不思議そうな顔でこちらを見てくるのは賭け試合の受付嬢をしているレミアさんだ。



「今日は選手としてではなく冒険者としてレミアさんにお願いがあって来たんだ」


「お願いですか?」



 「お願い」と言う単語にレミアさんは首を傾げて俺の方を見る。それはそうだろう、レミアさんとはもう3年近い付き合いになるが未だに俺から何かをお願いしたことなんてない。



「実はある子供から依頼を受けたんだがな、俺ではどうすることも出来ないのでレミアさんに手伝って欲しい。もちろん、俺は紹介料だけで後の報酬は全てレミアさんに渡そう」



 俺の言葉にレミアさんは少し考える素振りをするがそれは一瞬で難しい顔から一変、暗い地下通路とは似つかわしくない明るい笑顔で答えてくれた。



「もちろん、良いですよ。ブランさんには個人的に稼がせてもらっていますし、ブランさんが私のことを頼ってくれることなんて滅多めったにありませんからね。それでどんな依頼内容なんですか?」



 レミアさんもちゃっかりと賭博をしているのかと思ったがこの人のことだ、どうせ少しでも俺たちが貰えるお金が増えるようにやっているのだろう。



 快く了承してくれたレミアさんに感謝しつつ俺は事前に考えていた設定を話し始める。



「俺に依頼を出して来たのは両親を亡くした兄妹でな、両親の遺産と兄の稼ぎで生活をしているんだがどうしても妹を学園に通わせてあげたいらしい。その為に母親の代わりをしてくれる人を探している。もちろん、ずっとではなく面接の時だけで良い」


「それは私でなくても近所の人に相談すれば良いのではないですか?」



 それは当然の疑問だろう。俺もレミアさんの立場ならそう言う自信がある。しかし、近所の人に言って万が一にも母さんのことがバレるのは困る。



 ベルリアのようにこちらも秘密を握っていて、ビジネスパートナーとして最低限信用できる人間ならまだ良いが今回はレミアさんにも母さんのことを言うつもりはない。



「詳しくは本人たちの希望で言えないが、その兄弟は少し厳しい立ち位置でな、両親が死んだと分かったら普通の生活が送れなくなる可能性があるんだ。だから近所の人たちには母親は病気で寝込んでいると言っているらしい」


「そうですか、もしかしてその兄弟の境遇はブランさんに似ていたりするんですか?」


「想像にお任せする」


「ふふっ、そうですか。本当に世知辛い世の中ですね、騎士様はなにをやっているのでしょうか」

 


 そう言うレミアさんの表情はどこまでも悲しげで関われば関わるほどなんで彼女がこんな場所で働いているのか分からなくなってしまう。



 しかし、お互いに踏み込んではいけない一線というものを理解しているのでそこに踏み込むことはしない。



「改めて、その依頼をお受けします。詳しい話はまた次に来たときにお願いしますね」


「あぁ、その時はよろしく頼む」



 無事にレミアさんに依頼を受けてもらえた俺は軽い足取りで次の目的地へと向かうのだった。




◇◆◇◆




 今日最後の目的地である本屋に来た俺はレイの通う予定であるセレナード学園と同じくらいの学力の参考書を買いあさっていた。



 護衛や母さんの代役はどうにかなったが、流石に見ず知らずの家庭教師を家に招くことが出来る筈もなく、かと言ってただでさえ少ない俺の知り合いに学力を期待できる人間などいない。居たとしても家にあげるほど信用出来ない。



 若干一名、毒に関してはエキスパートを知っているがこれ以上借りを作りたくはない。だから手っ取り早く勉強に関しては俺が教えることにした。



 仕事ですれ違う時間をこれで少しでも改善させて俺の"お兄ちゃん力"の高さをレイにアピールする良い機会でもある。



「さてと、すこし試してみるか」



 数十冊の本をカゴに入れた俺はそれらを買う前に自身の考えた仮説が正しいのかを確認するために大量に買いあさった本の中でも特に難しそうな本を一冊手に取る。



 そして次元昇華アセンションを使い、学習能力、記憶力、動体視力、思考力、集中力の全てを一段上の領域へと押し上げる。すこしの頭痛を覚えるも、構わずに俺は速読の要領で持っていた本のページを捲り、七秒程度で読み終える。すると俺の頭の中にはその本の内容が全てインプットされていて見事に実験は成功した。



 これならレイに勉強を教えることが出来る。そう確信した俺は自身の霊装の利便性の高さに感謝しつつ、軽い足取りで自宅へと帰るのだった。

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