第2話 唯一残ったもの

 父さんが亡くなってから二年の月日が経ち、十歳になった俺は相変わらずの毎日を送っていた。



 いきなり飛んでくる蹴りに周囲からの冷たい視線。しかし、そんなことは気にせずに俺は日課となっている素振りを黙々と行う。



「はっ!ふっ!はっ!」



 この二年間で成長したせいか少しサイズが小さくなってしまっている木剣を振るう。本当はもっと自分にあった木剣が欲しいが大罪の罰として父さんの貯めていた貯金は取られてしまっているのでそんな我儘は言えない。



「はっ!」


「チッ、」



 時々飛んでくる石を木剣を振るうことで打ち落とす。何気にこれが良い修行になったりするのでこういう行為は是非とも続けて欲しいものだ。



 日課の素振りを終えてから母さんと妹のレイが待っている家へと向かう。お金がないので以前のように美味しい肉とかは食べられないけどそれでも母さんが作ってくれるスープが楽しみで少し足取りが軽くなる。



 それに、最近は塞ぎ込んでいたレイも少し気を持ち直してよく母さんの手伝いをするようになってくれた。



 まだ前に比べて元気というほどではないが、レイも確実に立ち直ってきている。特にレイの作ったご飯を美味しいと言った時などはぎこちなくはあるけど笑顔を作ってくれるようになった。



 家の玄関前まで来て違和感に気づく。


 

 家自体には特に変わった所はなくいつも通りの光景だ。しかし家の方から漂ってくるのは食欲をそそるスープのものではなく、不快感を感じる血の匂い。



 嫌な予感がして一歩、また一歩と足を進める。そこでも違和感に気づき、俺は自分の足を見つめる。



「(足音が出ない)………」



 足音だけじゃなく声も発せられない。これは明らかに異常事態だ。そして、こんな現象を起こせるのは霊装だけだ。



(レイと母さんが危ない!)



 霊装使いが居る。そう考えた途端に俺の足は強く大地を蹴り一秒でも早く扉に辿り着くために前傾姿勢になり最高速で加速する。



 音がしないのを良いことに勢いよく扉を開け放ち視界に入ってきた光景に頭が真っ白になる。



「(母さん?)………」



 そこには背中に剣を突き刺され、大量の血を流して床に倒れている母さんの姿があった。



「へぇ〜、君がレイドくんか」



 声のした方に視線を向ける。するとそこには余裕の笑みを浮かべて俺を見ている身長の高い細身な男とその男に肩を掴まれて恐怖で震えて泣いているレイの姿があった。



「あぁ、大きな声で助けを呼んでも無駄だよ。今この場で声を発せられるのは俺だけだから。いやぁー便利だよねぇ、音が出ないなんて侵入し放題の霊装が発現するなんてさぁ。これって神様が俺に盗賊をしろって言っているようなもんだよね」



 盗賊?こいつは盗賊なのか?



「でも入る家間違えちゃったかなぁ〜、あんまり人が寄り付いてないからてっきりお金持ちかもって思ったのにさぁ、入ってみたらビックリ!クソまずい具無しスープに豪遊すら出来ないはした金、苛ついたから君のお母さん殺しちゃったじゃん」



 母さんを殺した?



「折角の美人さんだったのに勿体ない。まぁけど、その分君たちを売ればプラマイゼロだし良いか」



 レイを売る?



「あれ、さっきから君反応薄くない?もっと泣き叫んでお母さんて泣くものだと思ってたんだけど。あ!わかっちゃった。君お母さんに虐待されてたんでしょ!冬なのにそんな薄着で体はあざだらけ、なんて可哀想なんだ」



 目の前の男が何か言っているがうまく聞き取れない。



 何で母さんが死んでるんだ?


 何でレイが売られるんだ?


 何で誰も助けてくれないんだ?


 何でこれ以上俺から奪おうとするんだ?



『俺がいない間、家のことは頼んだぞ!』


 ごめん父さん、また守れなかった。



『あら、レイドは騎士になりたいの?じゃぁ、好き嫌いせずにちゃんと食べないとね』


 ごめん母さん、俺もう騎士はいいや。



『お兄ちゃん、お兄ちゃんは私のこと守ってくれる?』


 あぁ、守るよレイ。俺はお前のお兄ちゃんだから。



「さて、少し暇だしもうちょっとここで………」



 どんなことをしてでもお前を守るよ。



 次の瞬間、俺の体から見えない"何か"が溢れ出す。それと同時にこの力が何なのかを本能で理解する。この力を俺は前に一度父さんに見せてもらったことがある。



 そう、これは霊力と呼ばれる全ての人間に備わっているものであり、選ばれた人間しかその力を振うことができない霊装の根源こんげん。



「なっ!お前何で霊力が溢れ出してるんだ」



 俺の変化に気づいたのかさっきまで余裕の表情を浮かべていた男は驚愕の表情で俺にそう聞いてくるが、声が出ないのでわざわざ口に出して説明なんてしない。



 俺の霊装は次元昇華アセンションというものでありその能力は簡単に言ってしまうと自分と自分の使用している物を一つ上の次元へと昇華させるというものだ。



 俺は腰に差してあった木剣を手に取りいつもの修行のように正眼の構えをとる。それと同時に次元昇華アセンションの能力によって身体能力を超人のそれへと昇華させ、木剣も同様にただの木剣から霊装と遜色のない偽物、偽霊剣へと昇華させる。



「ふん!ただの木剣でこの俺を」



 男を見据えた俺は木剣を横向きに寝かせて腰を低く下ろし、一拍おいて床を蹴り全力で男に肉薄する。



「へっ?」



 俺の放った渾身こんしんの斬撃は意図も容易く男の胴体と首を切り離すことに成功した。男は何が起きたのか理解できずに間抜けな声を出して死んでしまう。



 初めて人を殺したというのに特に思うことはなかった。今、俺の中にあるのは妹を守れた喜びと母さんを守れなかった悲しみ。もっと早く帰って来てればどっちも守れたという傲慢ごうまんと、もし霊装が発現しなければどっちも失っていたという恐怖。



 よくわからない感情の渦うずに無意識に木剣を握る手に力が入る。



バキッ!



 流石にただの木剣では超人的な身体能力には耐えきれなかったらしく嫌な音を立てて刀身が真っ二つに割れてしまう。



 男の霊装の能力は消えた筈なのに俺の家は未だに静寂に支配されていた。どうしたら良いのか分からない。そんな中初めに口を開いたのはレイだった。



「お兄ちゃん」



 レイの俺を呼ぶ声に心臓がドクンと跳ねる。これから俺はどんな言葉を言われてしまうのか想像ができなかった。守ると言っておきながら母さんを守れなかったことに対する非難か、又は簡単に人を殺してしまったことに対する恐怖なのか。



「守ってくれてありがとう」



 どんな罵倒ばとうも甘んじて受けよう。そう決意した俺に放たれたのはあまりにも優しい「ありがとう」だった。



 恐怖と緊張が一気に抜けたのかお礼を言った後すぐにレイは気を失ったようにその場で眠ってしまった。そのままでは風邪をひいてしまうので一旦レイのことを寝室に運んでから俺は今後のことを考える。



 普通なら騎士に助けを求めて孤児院に入れてもらうのが正解だと思うが今回に限って言えばこの選択肢だけはない。



 まず騎士に助けを求める時点で犯罪者の家族を助けてくれる保証がない。特に父さんがやったことになっている罪状の中には仲間の騎士殺しも含まれている。もし頼った騎士がその関係者だった場合はその時点で詰むことになる。



 仮にそこを突破しても孤児院に入ればまたイジメを受けることは確定している。そう、今度は俺だけでなくレイもだ。それだけは何としても避けなければならないが、もしそこで霊装の力を使ってしまったら俺だけ誰かに引き取られてレイと会えなくなることもあり得る。 



 考えれば考えるほど選択肢がなくなっていく現状にため息が出る。



「とりあえず、母さんとあいつの死体を庭に埋めるか」



 幸いなことに外はもうすっかり暗くなっていたので庭に二人の死体を埋めても誰にもバレることはなかった。



 死体を埋め終わると今度は家中に飛び散っている血を雑巾で拭く。前までなら血を見ただけで恐怖を抱いていたのに俺の感覚はだいぶん前から壊れていたようだ。



 結局、今後のことを考えても妙案は出ないまま疲れに負けて俺は椅子を背に深い眠りについたのだった。




◇◆◇◆




 翌朝、目が覚めた俺はまだ微かに漂う血の匂いに眉を顰しかめつつ大きく伸びをして洗面所へと向かう。



 いつもだったらここで母さんからの「おはよう」が聞こえてくる筈なのにもう聞けないと思うと自然と涙が溢れだす。けど、それも数日もすれば慣れるだろう。



 顔を洗い血の付いたままの服を洗濯機に投げ入れて軽くシャワーを浴びる。お湯の暖かさがやけに気持よく、少しだけ心が癒された気がする。



 体に付いた匂いを洗い流し新しい服に着替えた俺はそのままキッチンに向かって簡単な朝食を作る。硬くてバサバサしたパンに少し痛んだキャベツとトマトのサラダ、スープは昨日床に落ちてしまっていたので今日は我慢するしかない。



 作ったというよりはただ置いただけの朝食をいつものテーブルに並べてからレイを起こすために階段を上がりレイの部屋へと向かう。



 部屋の前まで来て俺はそこで一度足を止めて深呼吸をしてから一言言って扉を開けてレイの部屋へと入る。



 すると、そこには既に服を着替えてベットに座っているレイの姿があった。



「もう起きてたのか?朝食は出来ているから好きな時に降りて来てくれ」



 たかだか十歳の子供に気の利いた言葉が言える訳もなく俺の口から出たのは朝食が出来た事実くらいだった。



 それだけ言って部屋を去ろうとした俺にレイから待ったが掛かる。



「ねぇ、お兄ちゃん。お母さんは死んじゃったんだよね?」



 出来ることなら誤魔化ごまかしたい。そんなことは無いんだよと優しい嘘で辛い現実からレイのことを遠ざけたい。しかし、レイの瞳は希望に縋すがるようなものではなく、ただありのままを受け入れる覚悟の籠こもった強い瞳だった。



「あぁ、死んだよ」



 だから俺もありのままの真実を話すことにした。それに拒絶きょぜつするでもなくレイは「そっか」と小さくつぶやくだけだった。



「これから私達はどうなっちゃうのかな?お兄ちゃんとは離れ離れになっちゃうの?」



 途端に聞こえてきたのは怯えるような縋すがるような酷く弱々しい疑問。その言葉でレイもまた俺と同じことを考えていたのだと分かった。



 俺たちにはもう父さんも母さんも居ない。あるのは数週間でそこを尽きる程度の現金と唯一資産として残った思い出の詰まったこの家、そして世界でたった二人の兄妹だけ。きっと俺もレイも次に家族を失うことがあったら耐えられないだろう。



 今の俺たちを繋ぎ止めているのは"守ってくれる兄"と"守りたい妹"という存在だけだ。



 だったらやることは決まっている。



「大丈夫!母さんの分まで俺が稼ぐからレイは今まで通りに暮らしてればいい。まぁ、家事全般を任せることになるかもしれないけど」



 お金さえあればもうレイに辛い思いをさせなくて済む。孤児院に入る必要なんてなくなる。俺たちは離れることなくずっと一緒に居られる。



「うん!お兄ちゃんと一緒なら何でも良い!」



 そうだ、この笑顔を守るためなら俺は騎士の誇りなんていらない。レイを守るのに騎士なんて飾りは必要ない。プライドも誇りも名誉も日常も、何を捨ててでもレイのことを守ってみせる。



 そんな決意を抱いて俺とレイは二人だけの朝食を楽しむのだった。

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