第6話 谷

 奴隷が引く台車が王都の外に遺体を運び出していた。


 いくつかの台車に遺体が雑然と積まれている。王宮内の犠牲者の遺体だ。多くは兵士の遺体だが、女の遺体もある。


 奴隷たちが大きな穴を掘っている。遺体はそこに放り込まれ、焼かれる運命にあるのだろう。


 「みつけられたとして、見ても何もいいことはないぞ」


 ジェンゴにそう言われたが、サキは確かめずにはいられなかった。


 サキは女の遺体の顔を確認していった。女の遺体は数が少ない。積みあがった遺体の中によく髪の色形をした女性をみつけるのにそれほど時間はかからなかった。

 

 恐る恐る近寄り、その女性の髪をかき分けて顔を確認すると、まさしく母であった。生気を失った顔。頬に触れると、土のように冷たかった。声も涙も出なかった。静かな絶望がサキの胸の中に広がっていった。しばらく呆然として母をみていたが、ふと思い出す。


(指輪……せめてあの指輪を形見に)


 サキは母がしていた指輪を形見にしようと思い母の手を調べたが、指輪はなかった。何者かに持ち去られてしまったのだろう。形見すら奪われたというのか。


「近くに埋葬しよう」


 頭は、奴隷に指示を出して場を取り仕切っているらしき男に遺体の引き取りを申し出るが、男は面倒がって取り合おうとしなかった。しかし、頭が銀貨を数枚握らせると、男の態度は一変し、引き取りを許した。


 少年たちが遺体を運び、穴を掘るのにも協力してくれた。王都を出て道のはずれ、木の根元に母の遺体を埋葬した。頭がサキに話しかける。


「君には母親のほか身寄りはないのだね?」


「はい」


「私の経験では、君のような身寄りの無い子供の運命は、餓死するか、こないだのように奴隷として売られ、見知らぬ地で死ぬかだ。だが君にはもうひとつの選択肢がある。我々についてくるかね?  我々の“谷”は見棄てられた地にある」


「見棄てられた地……」


 神話やおとぎ話、昔話や遠い異国の地の話。親が子に話して聞かせる物語のひとつに、見棄てられた地の話がある。サキも母親から幾度か聞いていた。見棄てられた地は、アルヴィオンの国境を出た先にある、作物がほとんど育たない不毛の地で、魔物が徘徊しているという。その名が示すとおり人々から見棄てられ、はるか昔に放棄された地だ。


 この国の建国神話と関わっており、古代に邪悪な魔術師がその魔術で不毛の地を広げようとしたところ、聖女が魔術で対抗し、くい止めたという伝説がある。聖女は初代女王となってアルヴィオンを建国したと言い伝えられている。その子孫が王家であり、代々、不毛の地の広がりをくい止めているという。その伝説が王家の支配を正当化する根拠であり、王家の権力の源泉であった。


 現在、見棄てられた地には追放された者が暮らしている。追放された者は罪人や病人たちだ。彼らは棄民と呼ばれる。棄民たちは見棄てられた地の村を作り、飢えと魔物を恐れながら暮らしていた。サキにとっては話を聞いたことがあるだけで、行ったことも見たこともない地だ。


「君を鍛え、一人前になったら仕事をしてもらう。どうだい、一緒に来るかね?」


「剣の使い方や、戦い方も教えてもらえますか?」


サキの脳裏には母を追いかけていった3人の騎士と、廷臣の顔が浮かんでいた。頭がああ、と頷いた。


「一緒にいきます。連れて行ってください」


***


 道中、サキはジェンゴに聞いた。


「魔物に襲われたりしない?」


 ジェンゴは笑いながら答える。


「奥地へ行かなければ魔物は出ない。俺たちの住む“谷”で魔物に襲われるようなことはないさ」


 サキは国外に出たことが無い。それはこの時代のほとんどの人々も同様であったが。


 国境の出入りは禁止されている。国境が近づくと、侵入者や脱出者を監視している砦を迂回するため、整備された道を外れて進むことになる。森の中の未整備な裏道を通る。ヴァンらは慣れたもので、何度も行き来しているのだろう。途中川を越える。ジェンゴがサキに教える。


「この川が国境だ。ここから先は見棄てられた地だぜ。もうここらの土では穀物はまともに育たない」

 

 サキは見棄てられた地に生まれてはじめて足を踏み入れる。サキは土を拾い上げてみた。


「見た目は変わらないが、その土は半分死んでいる」


***


 奥に進むにつれ、群生している植物は見慣れないものになっていった。人間の気配が全くない森をずっと進んでいく。森を抜けると、今度は荒涼とした岩場が続いた。


 そして“谷”に着いた。それは文字通り谷の中にあり、掘っ立て小屋がぽつりぽつりと立っているだけの小さな集落だった。馬車が集落に入ると、小屋から人々が出てきてこちらの様子をうかがっている。


「みんな新入りを見ているぜ」


 ジェンゴが茶化すように言う。


「アルヴィオンの北東にある国、デュランの内乱で敗れた側についていた密偵達が見棄てられた地に追放された。彼らが住み着いたのがこの“谷”だ。彼らは生きるために自分たちの密偵としての技能をデュランやアルヴィオンの貴族に売り込んで貴族から仕事を得るようになった。情報収集、偵察、工作、そして暗殺。報酬次第で何でもやった。それが“谷”のはじまりだ。時代を下ると、東方の国から追放された者も合流した。ヴァンもそうだな。今の“谷”は色々な国で居場所を失った者たちで構成されている。仕事をこなせる能力と“谷”への忠誠心だけが求められる」


 頭に剣を投げてよこされる。


「武術も磨かねばならない。それも人間離れしたほどに。それが仲間として認められる条件だ。さあ斬りかかってきてみろ」


 サキは両手で剣を握りしめる。短剣だが、サキにはずしりと重い。振りかぶって振り下ろすが、簡単にかわされる。何度も何度も。サキの剣がはじかれ、宙を舞って地面に突き刺さる。


***


 十一年後


 エミリアは地面に突き刺さった剣を抜く。エミリアが顔を上げると、サキが剣を持って待っている。サキは息ひとつ切らしていない。エミリアは息が上がり、立ち上がるのがやっとだ。剣を握る腕は疲れ切り、力がほとんど入らない。こんな状態になるまでサキを攻め立てたが、攻撃はすべて受け流され、躱された。

 

 圧倒的な実力差に打ちのめされる。エミリアにとってサキは憧れの存在だったが、とても追いつけそうにない。サキは女ながら“谷”の中でトップクラスの実力者の一人であり、諜報、工作そして暗殺と様々な任務で活躍している。エミリアはまだ見習い扱いの半人前で簡単な任務をこなしているだけだ。


「サキ、頭が呼んでいるぞ」


 ジェンゴが声をかける。


「わかった。今いく」


 サキがジェンゴに返事をしてエミリアのほうへ顔を戻し、


「エミリア、今日の稽古はこれまでにしておこう」と稽古の終わりを告げる。


 サキは頭のところへ行く。エミリアはその場に崩れ落ちた。正直なところほっとした。これ以上の稽古は体がもたない。


 サキとジェンゴが頭の屋敷に入ると、ヴァンがすでに来ていた。頭の傍らにはフレドがいる。


「大型の雇い主が付いた。デュラン国のクルセウス王だ」


ジェンゴが聞く。


「仕事の内容は?」


「アルヴィオンの王都に密偵として入る。国王のライオネルが重い病だという噂があり、それを確かめたいそうだ。王の病状を探り知らせることが主要な任務になる」


「誰が行くんだ?」


「クルセウス王は多額の成功報酬を約束した。失敗できない大きな仕事だ。だから今回は最高の布陣でいく。ヴァン、サキ、ジェンゴ。お前たち三人が行け。連絡役はフレドを使う」


 頭の屋敷から出たサキは物思いにふけっていた。十一年ぶりに王都へ行く。

あそこには謀反を起こした張本人のライオネル王がいる。母の命を奪った下手人たちもいるかもしれない。任務に私情をはさんではいけない。それが“谷”の掟だ。だが、これは絶好の復讐の機会になるかもしれない。母親の復讐。亡くなったウェンリィ王子の復讐。


翌日、ヴァン、サキ、ジェンゴは荷物をまとめ馬に乗って出立した。


***


 レナードが王都の北の丘から、王都を見下ろしている。


 傍らにはフードを被った男を連れている。


 その男がフードをおろすと黒い長髪の青年があらわれた。青年は鋭い眼光で王都を睨んでいた。


 これから危険なゲームがはじまる。


 このゲームの結果が出るころには、全てを手に入れているか、全てを失っているだろう。

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