第80話 結論
アーロンは数日の暇を申し出、王都を出て隠者のすみかにやってきた。ウェンリィが偽者であるということはまだ完全に受け入れられていない。それはひとまず棚上げにして、まずはタロスが最後に会ったらしき人物、ロデリックに話を聞くことにしたのだ。
人里から離れたその古めかしい僧院は、来訪を拒むかのようにひっそりと建っていた。中ではつぎはぎだらけの襤褸をまとった表情の乏しい男たちが、写本に没頭している。ここで学問を修める者たちは厳しい戒律に縛られ、妻子を持つことも許されない。神の言葉であるところの学問と結婚し、その言葉を一語でも多く知り、理解することに一生を捧げるのだ。
ロデリックに会いにきたことを告げると、奥の部屋に通される。彼は隠者のすみかの中でも最高位の学者である学聖のひとりだ。ロデリックはいかにも思慮深そうな男だった。髪には白いものが混ざりはじめている。
アーロンは前置きもそこそこに本題を切り出した。タロスの名前を出すと、確かに少し前にロデリックを訪ねてきたという。
「私の友人に聞かれたのは、幼少のころのウェンリィ様と比べて、今の陛下に再会したときの印象はどうだったか、というようなことですか?」
「それも聞かれたが、答えようがありませんでした」
「答えようがなかったとは?」
「私は成人された陛下に会ったことがです。だから印象の持ちようもない。あなたのご友人も、その質問に私が満足のいく答えができないことは承知のようでしたよ」
アーロンはロデリックの意外な答えに戸惑った。ではタロスは何をしにロデリックに会いにきたのだ?
「幼少のみぎりのウェンリィ様であればよく存知あげている。ウェンリィ様はライオネルの謀反の際に亡くなったとずっと思っていた。ウェンリィ様が実は生きており、成人され即位されたという話は人づてに聞いただけです。ご友人はどうやら陛下がウェンリィ様ではないのではないかとお疑いのようだったが、私では何の力にもなれなかった」
ロデリックが続ける。
「ご友人が関心を持っておられたのはむしろ別の話だ」
「別の話?」
「アーロン殿。あなたはサルアン様に厚く信頼されていたと思います。しかし、王にはあなたには相談し難い分野もありました」
「相談し難い分野?」
「つまり、あなたは誠実で真面目な方です。奥方を亡くされた後も後妻も娶られず、独身を貫かれておられます。サルアン様は愛情豊かな方でした。あなたもよくご存知でしょうが、サルアン様は王妃様を深く愛しておられました。その愛の結晶がウェンリィ様です。しかしサルアン様の豊かな愛情は他にも注がれていたのです」
「それはつまり」
ロデリックがうなずく。
「サルアン様が愛された女性が、王妃様以外にもいました」
サルアンは自分に私的なことも含めて多くを相談した。しかしサルアンが堅物の自分には相談できなかったこと、それは女のことだったのだ。
「その女性というのは?」
「身分の高くない村の女で、サルアン様が見そめられたようです。……これ以上はどうかお許しください。サルアン様に、その女性のことは生涯秘密にすると誓ったのです。私の口からは申し上げられません。貴方のご友人にもこれ以上の話はしておりません。………ですが」
アーロンは躊躇するロデリックに続きを促した。
「……人を紹介することはできます。ご友人にはサルアン様と親しい人物に心当たりはないかと聞かれ、サルアン様の昔の友人を紹介しました。オミールという者です」
タロスが調べていたのはウェンリィの真贋だけではなさそうだ。タロスが最後に会っていたのはサルアンの若いころの友人、オミールだった。その男に会えばなにか分かるだろうか。
***
アーロンは王都に屋敷を構える男爵、オミールを訪ねた。オミールは夫人に先立たれ、子供もなく、気楽な男やもめだった。瀟洒な身なりで髪や髭もよく整っている。無骨なアーロンとは好対照だ。オミールは見た目どおり社交的な人物で、初対面のアーロンにも気さくに対応した。
「私とロデリック殿が、若い頃のサルアン様の遊び仲間でした。よく一緒に狩りに出かけたものですよ」
「ロデリック殿はなにも話してくださいませんでした」
「そうでしょう。あの方は口が固いですから」
「愛人の一人や二人、王にとっては甲斐性でしょう。もうずいぶん昔の話です。話してもサルアン様の名誉を傷つけることもありますまい。私はサルアン様の若いころの遊び仲間で、一緒にあちこちへ繰り出していました。ある日、村の女をサルアン様が見そめられたのです。それは遊びではなく、本気の恋でした。結婚前に出会っていればとサルアン様はおっしゃっておりました。サルアン様の女性への寵愛は長く続き、やがて女性は子を身ごもりました。そして娘が生まれたのです」
「サルアン様に娘が?」
アーロンは驚き思わず聞き返した。
「はい。もっとも、もうお亡くなりになりましたが。女性もその娘も」
アーロンが驚いている様子をみて、オミールは補足する。
「このことはごく限られた者しか知りません。サルアン様の御父上がお怒りになるのを恐れ、徹底的に秘匿されましたから。もちろん、サルアン様の奥様、つまり王妃様もお怒りになるでしょうし。私もこの話を人にするのはこれが初めてです。サルアン様に他人には口外しないことを約束しましたから。しかしあれから長い時が経ちました。この話をしたところで、怒る人も悲しむ人ももうこの世にはいない。サルアン様もお許しくださるでしょう」
サルアン様に愛人と娘がいた。そして二人とも亡くなっている。そのことは長く秘密にされていた。
「私はサルアン様の指示でその女性と娘の様子を見に行っていました。時にはサルアン様から託された手紙やお金をその女性に渡していました。サルアン様はその娘の様子も聞きたがりました。その後は詳しく存じ上げません。サルアン様は即位に向けて本格的な準備に入り、父上から私のような遊び仲間との交流を絶たれましたからな。私の後は、サルアン様の家令だったトマス殿が継いで、トマス殿が女性にお金を渡したり様子を見に行ったりしていたようです」
「トマス殿が」
「そうです。ご存知のようにトマス殿はあの夜にサルアン様とともに殺されてしまっていますから、もう話を聞くことはできませんね。他に知るものもロデリック殿くらいでしょう。サルアン様のお妃様にも御父上にも秘されておりました」
たしかにトマスはあの夜に近衛騎士団の者に殺されたと聞いている。
「タロスに話したことはこれで全部ですか?」
「話としてはこれで全部です。あとは、その女性の家へ案内しました。ご案内しましょうか? もぬけの殻ですが」
「頼みます」
***
ふたりは王都を出て、馬を駆ってある村へやってきた。
「ここです」
話のとおり家はもぬけの殻だ。長く主人のいない家屋は荒れて朽ちかけている。
「ではごゆっくり。私はここで失礼します」
「こんな遠くまでご案内いただいて、ありがとうございました」
オミールはにこりと笑って去っていった。残されたアーロンはしばらく家を眺め、若きサルアン青年がここへやってくる姿を想像してみた。ふと、念のために確認しよう思い立ち、隣家を訪ねる。声をかけると善良そうな初老の男が中から出てきた。
「隣の住人は亡くなったのか?」
「はい。もう10年くらいになりますかなあ」
やはり亡くなったのは確かなようだ。タロスもここまできて母娘の死を確認したのか。そしてここで行き詰ったのか。サルアンに隠し子がいたというのは確かに驚きだった。しかし亡くなっていては何の影響もない過去の話に過ぎない。タロスの大事な話とは、やはりウェンリィが偽者だったということだけだったのか。
ふと10年くらいという言葉に引っかかった。記憶の底にこびりついたものがその言葉を捕らえる。気になって聞いた。
「すまぬ。もっと正確に教えてくれ。母娘が亡くなったのはいつだ?」
「あの夜の前日、王宮に出仕するために出かけていったのです。ところがあの夜あんなことがあって巻き込まれたようで、二人とも帰らぬ人になってしまったのです」
あの夜の前日、王宮に出仕するためにやってきた母娘。そして亡くなった母娘。アーロンの頭の中で点と点がつながる。脳裏にサキの顔が浮かぶ。自分の結論が信じられず、アーロンはしばらくの間その場に呆然と立ち尽くした。
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