第13話 武勇伝
牢獄に囚われているシオンのもとに、例の陰気な助手の肩につかまりながらモーゼフがやってくる。
「モーゼフ! ……殿……」
「王宮は記憶していたより恐ろしい所でしたか?」
モーゼフは助手に格子ごしに水筒を差し出させるが、シオンはそれをはねのける。水筒が牢獄の床に落ち、筒口から水がこぼれる。モーゼフは小さくため息をついて言う。
「怒りの感情に支配されてはいけません。水筒を拾って飲んでください。さもないと壁からしみ出る水を舐めるはめになりますよ」
シオンは落ちた水筒を見た。実のところ、すでに耐え難いほどの渇きを覚えている。次に水が与えられるのは半日後、守衛があの豚の飼料のような食事とともに持ってくるときだろう。それまで水を口にしないでいると、その渇きの苦しさは想像を絶するだろう。ここで意地を張っても何にもならない。シオンはいくらか冷静さを取り戻し、水筒を拾って、半分ほど残っていた水を飲み干した。
渇きがいくらか癒えると、思考力が戻ってきた。モーゼフが来た意図を推る。わざわざ水を差し入れに来たということは、どうやらこの老人は自分に恩を売ろうとしているようだ。自分が権力を握ったときに、与えた恩に大きな利子をつけて返してもらおうという魂胆だろう。であれば、こちらももっと要求できるかもしれない。ヴィドーはこの王宮から遠い戦地におり、今はこの老人を置いて他に頼れる者はいない。
「モーゼフ殿。貴方のお力で、私をここから出していただけないでしょうか?」
密偵頭は首を横に振る。
「私にそのような力はありません。これでも手を尽くしたのです。ここは貴族階級の捕虜のための独房です。貴方はすぐに大牢に移される予定でしたが、監獄長に金貨を握らせ、貴方がこの部屋に残れるようにしました。酷い居心地でしょうが、これでも大牢に比べれば天国のような部屋ですよ」
「このままでは私は処刑されてしまいます!」
「貴方は大法官閣下をおびやかし過ぎたのです。王宮には陰謀がはびこっています。そこにうかつに足を踏み入れれば、すぐに取って食われます。貴方はもっと慎重にことを運ぶべきでした。残念ながら、私にできることはもはや差し入れくらいです」
モーゼフは助手に付き添われて立ち去ろうとする。
「モーゼフ殿!」
シオンはすがろうとするが、モーゼフは振り返らず、最後の言葉を言った。
「また水や食料を差し入れます。……そのときまで生きておられれば」
***
サキは王女の護衛任務の休憩中に、情報収集を行っていた。アルヴィオンの内情を探るためだが、もうひとつ個人的な別の目的もあった。11年前のあの夜、母を追っていった近衛騎士たちを探すためだ。これまで有力な情報を得られていなかったが、偶然から事態が大きく進展することになる。
その日、サキが休憩中に大広間でベンチに座り食事をとっているとき、隣の卓に座っている連中の噂話が聞こえてきた。
「お前はあの夜を知らねえだろう。俺たちは歴史の生き証人だぜ。あの夜、ライオネル陛下の命令で貴族の女に手を出すのは禁止されていた」
サキはぴくりと反応し、そのしゃがれ声に、耳をそばだてる。『あの夜』というのは11年前の夜のことだろう。
「だが、ケネスのやつがいい情報を持ってきたんだ。町からいい女が来ているってな。召し使いかなんかになる予定だったんだろう。娘を連れてその昼に王宮に来たらしい」
サキの匙を握る手に、思わず力が入った。
「それで俺たちは昼間にこっそり女を下見した。身なりからして明らかに貴族じゃなかったから、こいつに手を出すのは禁止されてねえなあと言い合った。少し年増だったがいい女だったぜ。ほれ見ろ、女がしてた指輪だ。戦利品だよ」
男は右手をひらひらさせて、小指にした指輪を仲間たちに見せた。別の男が呆れたよに笑いながら言う。
「ヘイル、また新入りにその話をしてんのか」
この連中は領地や職位を継ぐ可能性が低い次男や三男で、楽しみの無い生活のなかで、彼らにとって数少ない楽しみは賭けと酒、そして過去の悪行話や女の話だった。
この話は悪行の話でかつ女の話なので、彼のお気に入りの演目だった。薄ら笑いを浮かべながら、ヘイルと呼ばれた男は自慢話を続ける。
サキは少しでも多く情報を得るために黙って聞いていようと思っていたが、それ以上我慢ができなかった。何より母への冒涜に思われた。
席を立ち、大広間を離れる際に振り返り、ヘイルと呼ばれたその男の顔を見た。伸びるにまかせた髪に無精髭、いかにも不良貴族といった風体の男だった。覚えている。もちろんその容貌は時を経ていくらか変化しているが、あの夜に見た顔だ。
自然に振る舞っているつもりだったが、にやつきながら自慢げに過去の悪事を話している男の右手の小指にしている母の指輪を見て、つい眉間に力が入る。サキは今すぐこの場で男の首をかき切りたい衝動をこぶしを握り締めてこらえ、踵を返し、その場を離れた。
覚悟しておけ。
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