第12話 策略

 大陸西方の中央にある湖、ガーハート湖。大陸のへそとも呼ばれている巨大な湖だ。かつて中央湖を囲む地域一帯を支配していたのはガーハート家だ。

 

 ガーハート湖は水運上の要衝であり、ここを通る商船から徴収する通行税がガーハート家に莫大な収入をもたらした。


 だが、ある代でガーハート家の領地は四人の兄弟に分割相続されて家は分裂することになった。


 湖の周囲は北西、北東、南西、南東の四つに領地は分割された。四つの領主はそれぞれ中央湖を囲む地域全域の領有権を主張し、一族で互いに争ってきた。


 さらに、領主たちは大国の後ろ盾を得るために、南西、南東は王国の、北東はデュランの、北西は大陸北西の国ドーラの臣下になった。


 北東の領主の守護者を称するデュランは、たびたび領主に兵を貸し与えて南東への進軍を支援しようとしていた。


 それを阻んでいたのがアルヴィオンだ。デュランが北東を支援して侵攻すれば、アルヴィオンを支援して防衛する。


 アルヴィオンから大部隊の援軍が送られてくるのでデュランも撤退を強いられる。これによって長年、膠着状態のまま侵攻を断念してきた経緯があった。湖周辺の領有問題は解決されないまま両国の火種として燻ぶり続けている。


 クラレンスは、今ガーハート湖南東の城を攻めれば、自分の力でアルヴィオンの援軍をわずかに留めることを約束する手紙を書き、デュランのクルセウス王に送った。


***


 デュランは悲願だった湖南東の支配のために進軍を開始する。およそ八千の兵で湖南東の城を包囲した。その急報が王宮にもたらされ、評議会が開催される。


 クラレンスは、デュランに進軍を促したのは自分であるにもかかわらず、そんなことはおくびにも出さずに、神妙な面持ちで


「すでにお聞き及びと存じますが、ガーハート湖南東の城が包囲されました」


「なぜ急に。長らく湖周辺は均衡を保っていたのに。陛下の病状は秘しているはずだが、デュランの動きはまるで陛下が病で動けないことを知っているようだ」


 マチスがクラレンスをみる。クラレンスはその視線に気付かないふりをして、ヴィドーに向かって言う。


「元帥閣下、すぐに軍を率いて城の救援に向かってください」


「もちろんです。陛下が動けない現状で、陛下の代理として元帥である私が軍勢を率いて城を救援する義務がある。しかしすぐに招集できる兵は二千ほどだ。諸侯へ招集を呼びかけねば」


 それに対して大法官が請け負う。


「諸侯への招集は私どもで手配します。彼らの軍は後で現地で合流させます。諸侯の準備には時間がかかるでしょう。それまでまったく援軍がなければ、ガーハートの城は敵に降伏してしまうかもしれません。城が落ちてしまわないよう、元帥閣下は一刻も早く救援にお向かいください」


 評議会が終わり、シオンはヴィドーに連れ立って部屋を出た。廊下で、シオンはヴィドーに声をかける。


「閣下、少しお話が」


「何だ?」


 シオンはこれがクラレンスの策である可能性を伝えた。


「奴がデュランと手を組んでいると?  証拠はあるのか?」


「……いいえ」


「証拠も無しにそんなことは追及できん。考え過ぎだ。奴もそこまで卑劣な男ではないだろう。さすがに国を売るようなことをやるほど恥知らずではないさ。私は出陣の準備をしなければ。留守の間は頼んだぞ。私の他の部下と協力して事務を取り仕切ってくれ」


***


 二日後、ヴィドーはそれほど多くない軍勢を引き連れて王都を出立した。


 シオンは王都の城壁の上でヴィドーの出立を見送る。そこにモーゼフが例の陰気な護衛をともなってやってくる。


「味方がいなくなりましたな。王宮で一人になるのは危険なことです」


 たしかにヴィドーがいなくなった今、王宮内でシオンの後ろ盾になる人物はいない。これからシオンは王宮内で孤立する。シオンはモーゼフに言葉を返すことはせず、一礼してその場を離れた。


***


 マッセムが地下の拷問部屋で、牢獄の囚人の尋問に立ち会っていた。囚人は先日の王太子襲撃事件で捕らえられた賊だ。囚人の顔は散々殴られた後のようで、原形がわからないほど膨れ上がっていた。尋問官が囚人の襟を掴んで怒鳴る。


「もう一度言ってみろ!」


「だから、名前も知らない男が大金を渡してきて、あの日あの場所を通る馬車を襲えって依頼してきたんだ。馬車の中の人間を捕まえてきたら前金の倍払うって。あれが王太子の馬車だなんて知らなかった」


 囚人は涙声だ。


「本当か!?」


 尋問官がこぶしを振り上げる。


「本当だ! お願いだから、もう殴らないでくれぇ」 


 マッセムが衛兵と囚人との間に入り、衛兵は囚人を離した。マッセムは穏やかな表情で囚人の目を見て問うた。


「では依頼主が誰かはまったくわからないわけだな?」


「ああ」


 マッセムは満足そうに頷き、囚人に優しく諭すように言う。


「ではこう証言するんだ。シオンという男にそそのかされたと」


 囚人が驚いて腫れあがった瞼の隙間からマッセムを見ると、マッセムは微笑んでみせた。


「そうすればお前は解放される」


***


 大法官の執務室で、クラレンスは元帥の兵力、到達予想時期を書いたクルセウス王宛ての手紙を書いていた。あの男は死ぬかもしれない。いや、その可能性が高い。クラレンスはほくそ笑む。


***


 昼過ぎに、執務室でシオンがヴィドーの代理として仕事をこなしていると、マッセムが入ってきた。手には林檎を持っている。シオンは一瞬顔を上げてマッセムを認めると、すぐに仕事に戻った。マッセムはシオンに机は挟んで向かい合う位置にある椅子に腰かけてふんぞり返る。そして林檎を弄びながら聞いてきた。


「お前は今、俺の父の代役として仕事をしているわけか?」


「はい」


 シオンは仕事を続けながら顔を上げずに答えた。マッセムは林檎を齧る。口の周りの林檎の汁を拭ってから話し始めた。


 お前は歴史に詳しいようだが、王都の処刑場の話は知っているか? 王都の南側の城壁の上にある処刑場だよ。


 百年ほど前、無慈悲王の時代、諸侯に担がれて王の弟が無慈悲王に反逆した。

反乱軍は王都に迫ったが、そこで反乱軍が見たのは恐ろしい光景だった。王の弟の妻子が城壁の上で処刑されかけていたのだ。密告者が妻子の隠れ場所を王に知らせ、王が捕らえさせたのだ。

 

 弟の反乱に激怒した王は、王都の城壁の上に処刑場を作った。王都を包囲する敵に処刑を見せつけるために。ライオネル陛下とは違い、この弟の王位簒奪は失敗に終わった。弟は反乱を断念し、降伏した。


 妻子の命は助かったが、弟がその処刑場で処刑された最初の罪人になった。南側の城門に立つ英雄像は、その後無慈悲王が彫らせたものだ。王都を包囲する反逆者に、国を守護する英雄の子孫へ反乱していると思わせるためにね。反逆者は英雄に向かって弓を引かねばならない。もっとも南以外の方角から攻めれば見ないで済むが。


「その逸話なら存じ上げておりますが、なぜ今、処刑場の話を私に?」


「別に。ふと思い出しただけだ」


 マッセムは笑って去って行った。


 その直後、マッセムと入れ替わるように、衛兵たちが部屋になだれ込んできた。衛兵たちはシオンを取り囲む。シオンは立ち上がった。


「一体なにごとですか?」


「お前に王家への反逆の容疑がかかっている」


「ばかな! 私が王家になにをしたというのですか?」


「王太子と王女が乗った馬車を襲った賊が、お前に依頼されたと証言している」


 有無を言わせず、衛兵たちがシオンを拘束し、無理やり部屋から連れ出し、廊下を進んでいく。すれ違う王宮の人々が驚きの表情でその光景を見る。シオンはある部屋に連れ込まれた。


 その部屋の奥にはクラレンスが座っていた。衛兵たちにクラレンスの前まで引き出されたシオンは無理矢理ひざまずかせられる。大法官はシオンの顔をちらりとみて少し口元を緩ませてから口を開いた。


「お前には王太子殿下暗殺未遂に関与した疑いがかかっている」


 大法官のその言葉に、シオンはこれが裁判であることに気付いた。


「囚人が、お前が暗殺未遂に関与したことを告発した」


「そんなことはまったくの出鱈目です!」


「被疑者は否認した。一応記録しておけ」


 クラレンスが手元に視線を落とし、爪の汚れを落としながら言うと、部屋の隅に座っていた書記らしき男が書き留める。


「被疑者の反論を考慮に入れ、当法廷は裁定を下す」


 クラレンスは爪の汚れを息で吹き飛ばして、宣告する。


「汝を死刑に処す。刑の執行日は追って決定する。地下牢に放り込んでおけ」


「待ってください! 私は無実です! まったく身に覚えがない!」


 シオンの叫びもむなしく、両脇を衛兵に掴まれ連れていかれる。シオンは地下の牢獄へ放り込まれた。


 扉が閉まり、鍵が掛けられる。暗く冷たい石の床にうつ伏せのまま、シオンの頭の中では大法官の言葉が反響していた。


―汝を死刑に処す。

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