第105話 決戦前夜

 レナードの援軍要請に応え、クルセウスは三万の軍勢を招集し、国境を越えて王都へ向かっているという情報が、ニコロの陣営にもたらされた。敵に三万の軍勢が加われば、ただでさえ不利だった兵力差が絶望的になる。


 諸侯が落胆を隠せない表情になる中、ニコロにマリウスが進言する。


「こうなった以上、我々も対抗してドーラへ援軍を要請しますか?」


「いや、先の内乱では、この国はドーラに属国にされかかったのだ。私に従っている諸侯たちの中にはドーラを憎んでいる者も多い。ドーラに助けを乞えば、その諸侯たちが離れてしまうだろう。ドーラに援軍を求めることはしない」


「しかし完全に勝ち目が無くなります」


「クルセウス王に使者を送ろう。味方にすることは不可能だろうが、中立を保ってもらうことはできるかもしれない。これは国内問題だから干渉せずに静観してほしいと」


「それはクルセウス王にとってなんの利益にもなりません。まず受け入れられないでしょう。使者も生きて帰れないかもしれません。そんな無謀な交渉、一体誰を使者に立てるのですか?」


 そのとき、声があがった。


「俺が行きます」


 一同が声の主のほうを見た。声の主はエリクだった。意外な申し出にニコロは覚悟を確認する。


「相手はあの魔王だぞ。交渉に失敗すれば命はないかもしれないぞ」


「行かせてください」


 エリクはニコロをまっすぐ見て答えた。


***


 エリクがクルセウスの陣にやってくる。武器を取り上げられたうえで謁見が許される。エリクがクルセウス王の前に立つ。噂どおりのおぞましい容貌に、エリクはたじろぎつつも、用意していた台詞を言った。


「今回の戦は、正統な王位継承者であるニコロ様が、偽者のウェンリィから王位を奪い返すための聖なる戦いです」


「ほう。ウェンリィは逆のことを言っているが?」


「陛下が偽の王に肩入れするなどということがあれば、それは歴史に汚点を残すような……その……不遜なことです」


「不遜? 私のことを不遜と言ったか? 言葉には気を付けたほうがいいぞ」


 のっけから言葉の選択を誤ったようだ。額に汗が吹き出る。エリクは自分が交渉役に向いていないことを痛感しながらも、この困難な役目を果たそうと、次に吐く言葉を慎重に選んでいた。


***


 ニコロの軍勢に傭兵が合流し、八千余の軍が出来上がった。決戦をあせらず期が熟するのを待つべきだという意見もあった。しかしニコロは時間が経つほど不利になると考えていた。諸侯へ檄文を飛ばしたが、こちらにはせ参じた貴族は少ない。形勢不利な状況に早くも脱走兵が続出している。


 そして傭兵団とは短期の契約しか結べていない。もたもたしていると契約期間が切れて彼らは帰ってしまうだろう。ディミトリィの資金はもう底を尽き、彼らを雇い続ける資金は無かった。こうした状況から、ニコロは早々に王都へ進軍することを決意した。


 陣幕の中でニコロは後ろ手を組んでうろうろと歩き回っていた。その顔は苦悶に満ちていた。問題が多すぎる。彼はここ数日ずっと胃の痛みと戦っていた。財政管理の仕事をしていたときもストレスはあったが、これほどの心労は経験したことがない。


 最大の心配はクルセウス王との交渉だ。エリクは使者として適切だったか。あまり口が達者だとは思えない。もっと弁が立つ者を使者にするべきではなかったか。


 斥候が来る。


「王都近郊まで来ていたデュランの軍の動きが止まりました」


 ニコロとマリウスが顔を見合わせる。


「まさか、エリクが交渉に成功したのか?」


「わかりません。ですが、このままデュランの軍が決戦の地にやって来なければ、我々にも勝ち目が見えてきます」


 ニコロは王都から少し離れた平地に陣を張った。明日決戦だ。勝ち目は少ない。しかし引き下がれない。私とあいつが己れの全存在を賭けて挑む勝負だ。


 軍議中の陣幕に密偵の報告が入ってくる。


「本日夜、サキの処刑が行われるようです」


 ニコロはがっくりとうなだれた。


「そうか」


 傍らのアーロンをみると彼も無念そうな表情だ。


「いてもたってもおられぬかもしれないが、私にはそなたが必要だ」


「はい。王位継承者でないとはいえ、あのお方がサルアン様の子であることは確信しております。ですからこういう状況でなければすぐにでも助けにいきたいのです。しかし、サルアン様の嫡子である陛下をお守りすることが何よりも優先されることです」


「私の腹違いの妹だ。なんとか助けたかった」


 ニコロが進軍を急いだもうひとつの理由はサキだ。もし戦に勝てば、王都に囚われているサキを助けることができるかもしれないと考えたのだ。結局間に合わなかったのだが。


 しかし、明日には自分も彼女の後を追う可能性が高いだろう。ニコロは戦の想像を繰り返していた。戦の経験が無い彼にとってはすべて想像の世界だ。想像の中での彼は巧みに馬を操り矢の雨が飛んでくるのをかいくぐる。英雄のように振る舞い、兵に的確な命令を下し、次々と迫りくる敵を斬っていく。しかし実際の彼の馬術は拙い。剣術にいたっては壊滅的だ。そもそも敵の大軍が迫ってきたときに逃げださずにいられるかも心もとない。


 ニコロは不安になったり自信過剰になったりを繰り返す不安定な精神状態となっていた。不安になったときはサキを思い出すようにしていた。彼女を思い出すと少し勇気がわく。サキは危険を顧みず戦った。自分もその半分でも勇気をみせたい。


 明日、敗戦が濃厚になったら、一人でシオンに向かって突撃してやる。これが虚しい決意だということはわかっている。この小人が突撃したところで、最初に鉢合った敵兵に馬から叩き落されて絶命するのがおちだ。しかし逃げる気にはならなかった。


***


 月が空に昇っている。王都とその周辺には明日の戦に備え、諸侯の兵が駐留している。戦を前に街は異常な緊張感に包まれている。街のあちこちを武装した兵士が闊歩し、急ぎ馬が行き来する。民家も店も固く戸を閉じてしまっている。


 夜にこそ賑やかな歓楽街も今夜は静かだ。王宮から馬車が二台と護衛の兵士たちが出てくる。処刑場へサキを運ぶ馬車だ。その前をこのような夜には少々不似合いな瀟洒な馬車が走っている。中にはシオンとレナードが乗っている。


「明日はやはり王都を出て敵を迎え撃つことになりそうです。しかし、大抵の戦というのはその前日には結果が決まっているものです」


 レナードは数枚の丸まった手紙を振ってみせる。


「ずっと日和見していた南東の貴族が我が方につくことを了承しました。彼らはネズミ公を背後から奇襲すべく軍を進めています。これでネズミ公を挟撃できます。さらに、敵方の四人の貴族が戦場でこちらに寝返ることを了承しました。表向きは一万三千と八千の戦いで、ネズミ公は勝機があると考えているでしょうが、実際には二万と五千の戦いです。しかもその五千の兵の半数近くは戦意の低い傭兵です。明日、戦場でネズミ公は内部から離反者が現れて喉元に食いつかれ、予期しない方向から新手が現れ挟撃される」


「一方的な戦になりそうですね」


「もはや戦というより虐殺に近いものになるでしょう。手間はかかりましたが、これで陛下に忠誠を誓わない貴族を一掃できます。結果的には反乱が起こってよかったのかもしれません」


「そして、極めつけはこれです」


 レナードがもう一通の手紙を取り出す。


「王都近郊まで来て止まっていたクルセウス王からです。明日の朝に動き、開戦までにやって来ることを約束してくださりました。基本的には戦には加わらないですが、我々の背後に陣取って戦況をみて、万一こちらが劣勢なら加勢して下さるそうです」


「あの王の気まぐれには振り回されますが、これで万が一の保険ができました」


「では条件付きとは言えクルセウス王の三万も我らに味方し、五万と五千の戦いということですか」


「そういうことです」


「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすと言いますが、討ち漏らした場合に備えて他の獅子に待ち伏せまでさせるのですね。父上の戦の流儀、学ばせていただきます」


 馬車は王都の端の城壁上にある処刑場に着いた。


「さて、明日の総仕上げの前に、もうひとつの反乱の小さな種も取り除きましょう」


 レナードが先に馬車から降り、シオンが続く。彼らの馬車の後ろからついてきていた馬車からサキが降ろされる。


 これからサキの処刑がおこなわれるのだ。


 同乗していたフレドが馬車を降りる様子をみせないので、衛兵が声を掛ける。


「密偵頭殿、処刑をご覧にならないのですか? 貴方を裏切り、お仲間を殺した女の処刑ですよ」


「ああ。見ない。興味がないのだ」


 フレドが表情を変えずに答えた。


 

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