第106話 処刑

 サキは城壁の上の処刑場に引き立てられてきた。シオンがサキの耳元でささやく。


「ネズミ公が万一にでも戦に勝ったら解放されると期待したか? 残念だったな。お前はいま死ぬ。望みをほとんど失って残ったわずかな希望すら踏みにじるというのは、実に気持ちがよい」


 シオンは口元をゆがめて笑い、続ける。


「処刑を明日にして、ネズミ公に見せつけてやろうと考えたが、レナード殿に反対されて今日になった。残念だよ」


 シオンはサキから離れ、城壁の淵に立つ。少し離れたところにシオンに味方する諸侯の陣幕がある。遠くにはニコロの陣幕が小さくみえる。


「昔の王が処刑場をここに作ったのは王都を囲んだ反乱軍に人質の処刑を見せつけるためだそうだ」


 サキは黙っている。


 彼女はヴァンが処刑されたときのことを思い出していた。


 シオンは一番良い場所から処刑を見ようと城壁の淵に立つ。今、サキの目の前で奴が立っているその位置。ヴァンのときもぴったりその位置だった。


 あのときはっきりと頭に焼き付けた記憶。城壁の欠けた石を目印として、その石から四つ目めの石のところ。奴はそこに立つ。これはヴァンが教えてくれたことだ。


 このときを待っていたのだ。この状況を作り出すために捕まったのだ。処刑人以外が罪人から離れ、何も、誰も、お前と私の間に遮るものがない瞬間ができる。


 普段、幾重もの城壁に守れ、数百人の兵士に守られているお前が、この瞬間には無防備になるのだ。


 もちろん、罪人の手には手枷が嵌められている。罪人がお前に危害を加えることができない。だからこそ、お前は余裕の表情で油断をみせる。しかし、もしその手枷が外れていたら?


***


 フレドは城壁の下の馬車の上で思い出していた。数日前、サキが囚われた牢獄へ行き、彼女と話したことを。


――お前にも“谷”にも迷惑はかけない。あいつが死んだ後、新しい王は同じ条件で雇い主となるだろう


――雇い主を殺すようなことに協力すれば、もう誰も“谷”を雇うことはなくなる


――ばれなければいい。お前は私の手枷を外してくれるだけでいい。失敗すれば私が死ぬだけだし、成功した場合も絶対に秘密は守り通す


――俺が協力すると思うか?


――ヴァンやジェンゴはシオンの野望の犠牲になった。お前も本当はあの男に対して怒っているんじゃないか?


 フレドが手元を開くと、握っていた手枷の鍵があらわれた。フレドはそれを投げ捨てた。


***


 サキは囚われてからずっとおとなしくしていた。処刑当日も取り乱すこともなく衛兵に諾々と従った。明日は戦になる。今日の処刑より明日の戦のことが頭の大半を占めていた。淡々とことを進め、淡々と実行する。衛兵たちはそんな雰囲気があった。


 相手は怪力の大男ではない。素手の女だ。そうしたことが重なり、いま衛兵たちにわずかな気の緩みが生まれていた。


 サキは鍵が外れていた手枷を投げ捨て、シオンに向かって突進した。衛兵たちが気付いて動き出したときにはすでにシオンの目の前だった。


 シオンの顎をつき上げ、足を取って低い塀の向こう側へ重心をはみ出させる。サキはシオンに接触するまで全く突進の勢いを落としていない。この力はサキ自身の体も塀の向こう側へ運ぶことになった。

 

 シオンがあわててサキの肩をつかむ。しかしそのサキの体も空中へ投げ出されてしまった。落ちる。シオンはサキの顔をみた。共に死ぬ気か。遅れて恐怖がやってきた。


 死ぬ。俺は死ぬ。いや、待て。下は水が張られた堀だ。命は助かるのではないか。サキは片手で首から下げた指輪を握り、もう片方の手でぐいぐいと顔を押してくる。なぜ俺の頭を押す?次の瞬間後頭部に衝撃が走り、口から尖った石が突き出るのが見えた。


 シオンが立った城壁上の位置は、城壁に彫られた英雄像が持つ剣の位置だった。シオンをその剣に串刺しにし、空中でシオンから身を離したサキは頭を守って水へ落ちる。


 川底まで落下し、衝撃で一瞬気を失いそうになる。それでも昼の雨で水位が上がっていたため、川は通常より深く、衝撃は覚悟していたよりはましだった。水中の静寂の中で一時の平穏を感じる。


 しかし、すぐ逃げなければ。サキは足を動かして水面へ出る。口を開いて空気を吸い、顔の水を払う。目を開き、先ほどシオンから引きちぎった首飾りをちゃんと持っているのを確認する。


 周りを見渡し、まだ敵が迫ってきていないことを確認し、川から上がる。


 彼女は一度だけ振り返って英雄像の剣に刺さっているシオンを見、森の中の闇へ行方をくらました。

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