第112話 切り札

「エリクがクルセウスに交渉に行っただろう? あいつがクルセウスを説得したのさ」


「あり得ない。一体なにを言って説得したのだ?」


「クルセウスの前の妃、ネラが暗殺されたことは知っているだろう?」


「ああ。クルセウスの幼い王妃のことだろう。有名な話だ」


 サキがことは経緯を語りはじめた――


 私は王宮で密偵活動をしていたとき、王宮医ホランドの過去についても調べた。遡れたのは修道院で医術を研究していたところをレナードに見出されたというところまでだった。それ以前についてはわからなかった。


 だが、あの酔っ払いの司祭が言ったんだ。彼は修道院の出身で、数年前までそこにいたと。それで私は何気なくたずねた。そこにホランドという男はいなかったかと。すると彼はうつむいて驚くべき話をしてくれた。ここから先は彼から聞いた話だ。


 クルセウスは彼女を異常なほど愛し、執着していた。しかし彼女はデュランの王宮の権力闘争に巻き込まれ、毒殺された。クルセウスは怒り狂い、暗殺にかかわった者を徹底的に探した。暗殺の首謀者は捕まり、凄惨な拷問の末に殺されたが、毒を盛った下手人は行方をくらまし長らく捕まっていなかった。


 暗殺事件の後しばらくして、アルヴィオンの田舎の修道院にある男があらわれた。ホランドだ。その男は田舎の修道院には不釣り合いなほど高度な医術の知識を持っていた。それほどの知識を持ちながら、男は立身出世を目指すこともなく修道院でひっそりと質素な生活を送った。なぜか?彼こそがクルセウスの前王妃を暗殺した下手人だったからだ。目立ってクルセウスの耳に入れば身に危険が及びかねない。


 そんな彼をレナードが見出した。レナードはこの男の高度な知識を自身の計画に利用しようとした。ホランドは嫌がっただろう。目立てばクルセウスに正体が知れる危険がある。しかし経緯はわからないが、レナードがそのホランドの過去を知ってしまった。彼は脅迫され、レナードの言いなりになった。レナードは彼をサルアンに紹介した。サルアンはホランドの実力を認めて王宮医として取り立てた。


 ホランドは王宮医として実力を発揮して地位を固めた。そしてライオネルが王位を簒奪したときも王宮医として残ることができた。


 ホランドは基本的には王宮医として普通に勤めながら、レナードの指示によってライオネルの病状を重く診断した。そしてハンスとユリヌスにレナードの城が攻められ、レナードがクルセウスに交渉に行ったとき、レナードはホランドを切り札とした。ライオネル王が回復しなかったら、王宮医の正体を明かし、その身柄の引き渡しを条件にクルセウスから大軍の貸し出しを要求するつもりだったのだろう。


 あのときは偶然あのタイミングでライオネルが正気を取り戻し、その幸運によりシオンらはハンスとユリヌスの軍を破ることができた。だが、策略に長けて用意周到なレナードが、そんな幸運に身を任せたとは考えにくい。レナードには別の切り札があったんじゃないか。ライオネルが正気を取り戻さなくても勝てる切り札が。その切り札がホランドだったのだ。あのときはライオネルが正気を取り戻し大軍を借りなくても勝てる見込みが立ったから、レナードは切り札を温存したんだ。


 私は以上のことをエリクに伝え、レナードの切り札であるホランドを逆に我々の切り札にすべく、エリクに彼を誘拐させた。クルセウスは暗殺者の身柄を手中にできるとすれば、どんな要求でも聞くだろう。たとえ戦になったらシオンを裏切って三万の軍勢でシオンを背後から攻撃しろという要求でもね。エリクはそう言って交渉し、クルセウスを味方にしていたのさ。


 だからもし、私がシオンの暗殺に失敗していたとしても、あんたは勝っていたんだ。あんたの軍勢とクルセウス王の三万に挟撃されたらシオンに勝ち目はない。


 ニコロは浮かんだ疑問を口にした。


「それなら君はわざわざ危険を冒してシオンを暗殺する必要がなかったのではないか?   私が戦に勝ったら当然あの男を捕らえて処刑していた。君は危険を冒すことなく復讐を果たせたはずだ」


 サキは自分の手のひらをみつめながら答える。


「私は自分自身の手であいつを葬りたかったんだ。あいつのせいで私にとって大事な多くの人々が傷つき、死んでいった。私自身もあいつに騙され、私自身が大切な人を手にかけることもあった」


 サキの脳裏にはいくつかの顔が浮かんでいた。


「それに、大きな戦になれば多くの命が失われる。できれば戦を経ないで復讐を遂げたかった。だから、私が直接暗殺することを第一目標といて、あんたに勝たせるための工作は、私が失敗した場合の備えとした」


 ニコロは全身の力が抜けていくのを感じた。


 「結局、私は君に利用され、駒として君の思うままに、君の掌の上で動いていただけだったってことか。……まったく。こっちは自分が王だと信じて張り切ってしまったんだぞ。改名まで考えてね。ニコロじゃあ王として威厳がないだろう? 色々と候補を考えた。過去の名君、賢王ニコラスにあやかってニコラス二世とか。……結局改名は見合わせたが」


 それから下を向いてため息をついた。


「真実を知った今となっては張り切っていた自分が恥ずかしいよ。何がニコラス二世だ。何が……。これからどういう気持ちで玉座に座り、家臣に命を下せばよいのだ」


 ニコロは椅子から立ち上がり窓から空を見上げる。


「君が望むなら、王位は譲るよ。もともと君のものだし」


 サキは首を横に振る。


「政治になど興味がない。剣を振っているほうが性に合ってる」


 ニコロが振り返る。


「女王になる意思はないのかい?」


「ああ」


「まったく?」


「ああ。今日はその確認が目的だったのか? ニコラス二世」


「その名で呼ぶのはやめろ」


 ニコロは少し頬を赤らめた。サキに改名の話をしたのは間違いだった。これからずっとからかわれそうだ。ニコロが咳払いをして続ける。


「君が女王になる意思がない場合、もう一つお願いをしようと思っていたんだ」


「お願い?」


「私はこの体だろう? 子供のころからよくいじめられてね。守ってくれる強い兄が欲しかった。強けりゃ弟でも妹でもよかった。まあ一人っ子で寂しかったのもあったんだけど」


 ニコロがサキの目をのぞき込む。


「今回のからくりに気付く前まで、君のことを腹違いの妹だと信じていた」


ニコロは指先で鼻を掻いた。


「有り体にいって、嬉しかったんだ。腹違いの強い妹ができて。君ならそのへんの男を数人程度なら簡単になぎ倒しそうだからね」


 サキが話の行く先を掴みかねて不思議そうな顔をする。


「君はいつか言ってただろう? 私も一度は綺麗なドレスを着てみたいって。それで、作らせたんだよ。君の体形に合った、君に似合いそうなドレスを。君がもし王宮にあらわれたとき、王の妹として君を迎え入れて、着せてあげようと思ってね」


「生地は使いまわしじゃないぞ」


 ニコロがにやりと笑う。


「予算は私の服を売ったり食費を削ったり、色々とやりくりして捻出してね。新しい生地を使って作らせた」


 ニコロは再び空を見上げる。


「それで、君がもしよかったら、王宮に来る気はないかな。結局血はつながっていないわけだけど、表向きは腹違いの兄妹として、妹を王宮に迎えたいんだ。そして、あのドレスを着た君を見たい」


「わかったよ。準備させてくれ」


「よかった」


 それからニコロは首を捻って独り言のようにつぶやいた。


「しかし私の父親は誰なんだろう」


 サキは答える。


「きっと立派な人だろう」


 ニコロは気休めをありがとうといった感じでサキに一瞥をくれた。


しかしそれは気休めなどではなかった。サキはニコロに父親を知っているのだ。


ニコロの父親はロデリックだ。妻帯者は隠者のすみかには入れず、学者にはなれない。ロデリックは恋人の妊娠を知ったが、学問の道をあきらめることができず、やむを得ず恋人の存在を秘密にした。その恋人がニコロの母であり、その腹の中にいたのがニコロだった。


 なぜニコロはサルアンに推薦されて王宮へ入れたのか?答えは簡単だ。ニコロが、サルアンの親友であるロデリックの子であり、ロデリックがサルアンに頼んだからだ。サルアンがニコロをやたら気にかけていたのも、親友の子だからだ。


 ロデリックがサキに協力した理由は、サキがサルアンの娘であることの他にもうひとつあった。彼はニコロが王宮で不遇な目にあっているという噂を耳にしており、息子の苦境に何もできない自分が歯痒かった。彼がサキに協力したのはニコロを苦境から救い出すという目的もあったのだ。


 しかし、ロデリックは我が子を幻の王としてでっち上げるなど畏れ多いことだとして、最初は拒絶した。彼を説得するのには骨が折れた。サキは泣き落とし、脅迫まがいの“物理的説得”を駆使してなんとかロデリックの協力を引き出したのだった。


 サキはニコロに真実を教えてやりたい衝動に駆られたが、ロドリックとはこの秘密を守る約束があったので、ぐっと堪えた。

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