第73話 修道院(二)

 セフィーゼのとりなしで、サキは修道院で生活することを許された。サキはセフィーゼに奥の部屋へ案内される。サキと子供らにはセフィーゼの部屋の隣の部屋が割り当てられた。ふたりになると、サキはセフィーゼに聞く。


「なぜ私を助けた?あんたとは敵同士だった」


「たしかにドーラから王都へ嫁いできた王太子妃としての私は、あなたたちと利害の不一致から対立したわ。だけど今の私は王太子妃ではない。ドーラからの刺客でもない。修道院で暮らすただの女よ。今はもう敵ではないわ」


 セフィーゼは心境の変化をサキに語る。


 王宮と違ってここではゆっくりと時間が流れるの。ここで生まれてはじめて心の平穏を得られたわ。


 ドーラでは父と兄に怯え続けて暮らしていた。嫁いだ先のアルビオンでは、周囲に心を許せる者がいない孤独の中で父の期待に答えなければと必死にもがいていた生活だった。


 それらに比べれば、味気ないここの生活も悪くなかったわ。ここでは、それまでやったことのなかった料理や針仕事を学んだの。はじめはあまりの下手さに指導役の修道女を閉口させたが、少しずつ上達して今では新入りの修道女に教える立場にまでになっている。


 最初の数か月は私が逃げ出さないように見張り役の修道女が三人ついたわ。しかし私に逃亡を企てる気がまったく無いとわかると、見張りの数は徐々に減っていき、やがて一人もいなくなった。


 私はすでに世の中からは忘れ去られた存在よ。今さら逃げたところで何もできる力はない。しかし単調な生活にはさすがに退屈していた。


 サキが修道院を訪れたのはそんな生活の中の出来事だった。セフィーゼはサキをみたとき、すぐにかつて敵対していた女だとわかった。ティアナの護衛を務めていた女だ。


 しかしセフィーゼは自分の心になんの憎しみの気持ちも残っていないことに気付いた。目の前で知った女が困っている。女を助ける理由はそれで十分だった。


「王太子妃殿下」


「もう王太子妃ではないわ。ここではただのセフィーゼよ。セフィーゼでいいわ」


「私がどうして王都を離れここに来ることになったか、経緯を聞かないのですか?」


 サキが問うとセフィーゼが答える。


「興味はあるわ。あの子供たちのこともね。だけど話す必要はない。もし話したくなったらそのときに聞かせて。……でも、子供の名前くらい聞いてもいいでしょ? 大きい子のほうはクワトロね。赤ちゃんの名前は?」


「……まだ名前をつけていないの。でも、決めないとね」


「考えはあるの?」


「……ヴァン」


「ヴァン。いい名前じゃない」


***


 サキと子供たちは修道院の中で生活し、子供たちは成長していった。サキはクワトロにせがまれて剣の稽古をつけ、戦術を伝授した。クワトロの剣の流儀はジェンゴのそれであり、時折ジェンゴを思い出させてサキの胸を苦しくさせた。


 ヴァン、ジェンゴ、ティアナ。亡くなった人々を思い切なくなる夜もあった。セフィーゼは子供たちの世話を助けた。


 修道院に来て数か月後のある夜、サキはセフィーゼにすべての経緯を明かした。自分の生い立ちから“谷”で暮らすようになり任務は果たしてきたこと。王都へ潜入しウェンリィと再会し、彼に協力したこと。ティアナの懐妊と出産。子供を託されたこと。ジェンゴを斬ったこと。セフィーゼはサキに手を重ねたり、真剣に聞いた。


 サキは話すつもりのなかったことまで全て話してしまったことに自分でも驚いていた。そして独りで抱えていた重荷がいくらか軽くなったような気がした。王都を追われてこの地にいるという共通点が、彼女たちに連帯感を抱かせたのかもしれない。それからふたりは何でも語り合える仲になった。


 修道院の活動のひとつに、施しの活動がある。修道院で栽培している食料や寄付金の余剰を貧しい者へ施す活動だ。サキは施しに同行する。貧民に施して回るが、ある部落で先輩の修道女から「そこに施しをしてはなりません」といわれる。


「なぜです?」


「彼らは大罪を犯し、神を裏切った者たちです。破門された者もおります。神の慈悲を受ける資格がないのです。罪が贖われたら、あの烙印が消えるはずです」


 先輩の修道女に促されてその場を離れるが、サキは振り返って老人を見た。首筋に破門の烙印があった。


 その後、サキは先輩の修道女の目を盗み、戻って来てその老人に施しをした。


***


 それから五年が過ぎた。成長したクワトロにサキが稽古をつける。


クワトロの希望で剣の稽古は欠かさない日課だ。自分たちが逃亡の身の上だということは忘れていない。いつ危険が迫ってくるかわからない。サキとしてもいざという時のために体を鈍せるわけにはいかない。


剣の稽古は修道女たちに渋い顔で見られるため、修道女たちに隠れて修道院から少し離れた森でおこなっている。クワトロも最近ではずいぶん腕を上げてきた。最近ではこちらが油断していると時たまひやりとするような鋭い攻撃を仕掛けてくることがある。ひょっとすると、五、六年後にはクワトロの剣技は自分を上回りジェンゴと並ぶほどの実力になっているかもしれない。


 剣の稽古のほかは、野菜を育てたり、セフィーゼに付き合って針仕事を手伝ったりといった質素だが穏やかな生活が続いた。


 商人の男が修道院に入っていくのがみえる。修道院では野菜等を栽培している。収穫した野菜をこの商人に売っていくらかの金にする。また、修道院内で使う、この近場では入手が難しい道具を購入するのだった。


 かなり高値を要求されたりするが、他の街でも調達が困難になっていて、などと商人に言われると、他の街の相場など知る由もない修道女は結局、ほぼ商人の言い値のままに取引することになる。サキはふとニコロを思い出す。あの男がいればこうしたことはもっとうまくやれるだろうに。


 剣の稽古から戻ると、商人の男が修道院から出てくるところだった。心なしか、こちらをチラチラと見ていた気がした。


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