第74話 政情

 アーロンが近衛騎士団の新兵に剣術の稽古をつけている。アーロンは近衛騎士団の副団長の地位に就いていた。主要な仕事は近衛騎士たちの訓練指導だ。近頃では団員たちもいささか平和ボケ気味だ。


 王都での事件といえば、5年以上前に起きた、サキの王妃殺害とそれに続く幼児誘拐事件だろう。あれは大事件だったが、それ以降は平和なものだ。陛下とはあまり会っていない。たまに王宮内でお見かけするが、言葉をかわすことはほとんどない。


「陛下のために十一年も牢獄で過ごし、陛下の命を二度もお救いしたのに、陛下はあなたに冷たいのでは」


 ある貴族にはそう言われた。しかしアーロンには冷遇されているという気持ちはない。賊に暗殺されかけた陛下をお救いしたし、その後も尽力してついに陛下は王位に就かれた。


 今ならサルアン様にも面目が立つ。十一年牢獄で生き長らえた甲斐があったのだ。そうした達成感がアーロンにはあった。それなりに高い地位を与えられているのだし、収入も独り身には十分過ぎるほど与えられている。今の待遇に不満はない。


 時代は変わったのだ。今陛下に必要なのは自分のような武辺ものではない。統治の役に立つ人材だ。


 統治の役に立つ人材といえばまさにレナード様だろう。陛下の即位以来、レナード様の権勢は凄まじい。近衛騎士団長も兼ねているので、アーロンにとっても直属の上官にあたる。陛下は何事につけレナード様に助言を受け、それを尊重するので、影の宰相といっていいだろう。


 彼をキングメーカーと呼ぶ者もいる。彼の権勢に表立って異議を唱えるのは難しい。自分が牢獄にいる間、彼は危険を冒して陛下を匿い、親代わりとして育てたし、陛下が王位を取り戻す際の功績も非常に大きい。自分は武人であり、統治に疎く、頭から下を使うことでしか陛下の役に立てない。彼は頭を使って陛下を助けることができる。


 ふと見ると、子供が意地の悪そうな小姓数人にいじめられている。子供は小姓たちに囲まれ、小突かれたり足蹴にされたりしている。子供は黙ってうずくまり耐えている。アーロンが貴族たちに声をかける。


「もめごとか?」


 小姓たちはアーロンを認め、気まずそうに言った。


「いいえ、じゃれ合っていただけです、閣下」


 小姓たちは退散した。アーロンはいじめられていた子供を助け起こした。いや、子供ではない。これはニコロだ。大蔵卿が王とレナード卿の息のかかった別の者になり、彼の活躍の場はなくなった。ディミトリィがこれまでの功績に鑑みて王宮から放り出すようなことはしなかったが、今ではディミトリィ殿の小間使いのようなことをしている。


「ありがとうございました。ディミトリィ様から使いを頼まれているのです。これで失礼します」


 立ち去ったニコロを見送っていると、背後から声をかけられる。


「アーロン殿」


 振り返ると知り合いの貴族、ジョゼフだった。


「かつては国庫の番人として権勢を誇っていたというニコロ殿が、あの有り様です。これが王宮というところですね。権勢は移り変わる。私やマリウス殿のように陛下の寵愛を受けられなかった者はますます日陰者になっています」


「近頃も諸侯への引き締めは厳しいのですか?」


「最近レナード様が主導されている王権の強化政策は諸侯から不評です。徴税でも貿易でも兵役でも王の権利が大きくされ、諸侯の利益は剥ぎ取られています。特に、ライオネル様のかつての支持者は不満があるはずです。……おや、よい構図だ。今の政治状況を象徴しているようですね」


 見上げると、上の通路をレナードが歩いていた。煌びやかな装いで、貴族や廷臣たちを従えている。


「キングメーカー殿とその取り巻きですね。その下は」


 下の影になった通路にはマリウスを含むかつてのライオネル支持者たちがたむろしていた。忌々しそうにレナードを睨んでいる者もいる。


 アーロンは自分が王宮政治にいささか疎いことを自覚していた。しかし王宮内の反逆の芽を察知しておくのも近衛騎士団の仕事である。そのためには王宮内の政治事情を把握しておく必要がある。ジョゼフは王宮政治の事情を解説してくれるよい情報交換相手だった。アーロンはこの毒は吐くが気さくで社交的な男に好感を持っていた。


「ライオネル支持者のうちオルセイ殿は元帥に取り立てられ、評議会メンバーにもなっているでしょう」


「オルセイ殿はライオネル支持者たちのリーダーでしたからね。彼に名誉ある高い地位を与えることでライオネル支持者の不満をいくらかでも緩和する人事だったのでしょう。しかし、戦の無いときの元帥職はお飾りです。名誉だけで政治的実権はほとんどありません。ご存知のようにオルセイ殿の娘が陛下と再婚されることが決まりました。王の義理の父になれることがよほど嬉しいのか、今やオルセイ殿は飼いならされた犬のようです。王をけん制するどころか、陛下に手なずけられ、不満分子たちをなだめる役を果たしています」


「なだめきれない不満分子が陛下に刃を向けるような恐れはありませんか?」


「ご懸念されるような反逆のリスクはないでしょう。反乱には担ぐ神輿が必要です。しかし今や王位継承者は陛下以外いないのですから、そんな神輿はありません。陛下とレナード殿は政治的に実に巧みですよ。これほど権力が一部の人間に集中したことは歴史上ないのでは? 近衛騎士団が働く場面はそうそうないでしょうね。お暇な日常が続くでしょう」


 ジョゼフがマリウスのほうをみる。


「オルセイ殿が陛下に手なずけられた以上、不満分子たちが今後頼りにするのはマリウス殿になりそうです」


 ジョゼフとはそこで別れた。


 マリウス殿か。信仰心に篤く、厳格で公正な人物だと聞く。評判を聞くかぎり信頼できる人物だろう。しかし少し取っつき難いところがあり、アーロンはあまり親しくなかった。彼が不満分子たちに担ぎ上げられ中心人物になるのなら、人柄についてももう少し詳しく知っておいたほうがよいだろうか。

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