第75話 発端

 アーロンは空を見上げた。やや白みがかった青を背景にところどころ筋状の雲が浮かんでいる。遠くに名も知らぬ鳥が飛んでいる。 

 

 ジョゼフの言うとおり暇な日々だった。近衛騎士団が暇なのは王宮が平和であることの証なので、それ自体はよいことだ。しかし張り合いのない退屈な日々に少し倦んでいるのも事実だ。


 一度、あの事件について少し調べてみたことがある。例の王妃ティアナ様の殺害とそれに続く幼児誘拐事件だ。サキがなぜあんなことをしたのか今でもわからない。そこで仮説を立ててみた。精神錯乱に苦しんだ王妃がサキに殺害を頼んだのではないか。しかし、赤子を誘拐する理由にはならないし、なんの証拠もない以上、それは仮説にすぎなかった。


 物思いにふけっていると、部下が声をかけてきた。


「閣下、タロス様の使いの方がいらっしゃっています」


 みるとタロスの小間使いがいた。一礼して近づいてくる。


「閣下、私の主からあなたへの伝言です」


 アーロンが「どういう内容だ?」と促すが、小間使いは部下のほうをちらとみてアーロンのほうに向き直る。


「お人払いを」


 言われてアーロンは部下に頷き行かせる。


「すみません。閣下以外には決して聞かせないようにとの主からの指示でしたので」


 タロスから内密の伝言とはいったいなんだろうか。


「大事な話があるから明日の夜、例の酒場にお越しいただきたい。余人には知られたくない話なので必ずおひとりで来てください。酒場で落ち合うことは決して誰にも口外しないように、とのことです」


 内容が簡潔で拍子抜けした。


「わかったと伝えてくれ」


 小間使いは一礼して辞した。わざわざ人払いをして伝えさせる内容だろうか。小間使いが話すのを誰かに聞かれるのではないかと危惧したのか?だとすればよっぽど重大な話なのか。それでいて待ち合わせ場所が酒場だというのもひっかかる。タロスの自宅ではいけないのか。


 タロスはウェンリィを王位に導いた功労者の一人として遇されていた。念願であった細工職人の職を与えられ、工房で仕事に励んでいた。充実した幸せな日々をおくっているようにみえた。アーロンはタロスと月に一度くらいは会って話をしていたが、最近のタロスは多忙そうでしばらくご無沙汰だった。


***


 翌日の夜、アーロンは待ち合わせ場所の酒場に来た。タロスとはいつもここで酒を飲む。きょろきょろと見渡すが、タロスの姿はない。少し早かったかと考え、エールを注文して飲み始めた。


 しばらく待ったがやって来ない。ジョッキは空だ。やむなく骨付き肉とエールのお代わりを頼む。時間をかけで食べ、飲む。骨付き肉が骨だけになりジョッキが空になったが、タロスはあらわれない。約束をすっぽかすような男ではない。自分で大事な話があるといって呼び出しておきながら、忘れるわけもあるまい。急病か、のっぴきならない事情があったのかもしれない。不信に思ってタロスの自宅を訪ねることにした。


 アーロンがタロスの自宅の近所までやってくる。何度か訪れたことがあるので、道はよく知っている。この先の角を曲がるとタロスの自宅がみえる。角を曲がると何やら人だかりができている。あそこはタロスの自宅の前だ。いやな予感がしてアーロンは駆け出して近づく。


「すまん。道をあけてくれ!」


 人をかき分けていくと、男が数人の役人たちの手によって運び出されようとしていた。運ばれている男の顔をみてアーロンは驚愕した。まぎれもなくタロスだ。


「タロス!」


「近づくな! 何者だ?」


「この男は友人だ。何が起こっている? 息はあるのか?」


 役人は首を振った。


「ご友人は亡くなっておられます。何者かに殺されたのです」


 ――何者かに殺されたのです。


 現実感のない言葉がアーロンの耳の中で反響した。

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