第65話 ご褒美
大蔵卿の執務室の中、ニコロは疲れ果てて机に突っ伏して寝ていた。結婚式の後も、支払いの処理や資金繰りで忙殺され、食事もろくに取れずに徹夜で働いていたのだ。ディミトリィがやってきてニコロを起こす。
「休み中悪いが、陛下からお呼びがかかった。評議会が開催される」
ディミトリィの顔は、期待にあふれていた。王の結婚式では資金調達に大活躍したはずだ。何かご褒美があって決しておかしくない。そんな考えが顔に出ていた。
評議会が開催される。会のメンバーは一新されていた。
まず、亡くなったモーゼフに替わって“谷”の
「ディミトリィ殿は先の結婚式では素晴らしい働きをしてくれた。盛大な式を財政面で支え、見事に客をもてなした」
ディミトリィは恭しく礼をした。よい流れだ。これはいよいよ褒美が出るかもしれない。そう期待したディミトリィは、それに続く王の言葉に耳を疑った。
「ディミトリィ殿には饗応役の職を用意している。外国からの貴賓等、王の客人を接待する格式高く重要な役目だ。ディミトリィ殿は細かな数字と格闘して肩ぐるしいだけの大蔵卿の職は合っていなかったであろう。一方で社交性に富み、人当たりがよい。饗応役が適任だと思う」
「新しい大蔵卿は私に適任者の心当たりがございます。すぐに王宮に召し出します」
レナードが提案する。
「うむ。それがよいだろう」
王がレナードに同意する。
「ちょ、ちょっとお待ちください。私は先の王都奪回でも多大な貢献をしたと自負しています。このような人事は」
抗議するディミトリィに対し、これまで穏やかに語っていたレナードの表情が一変して厳しい表情になり、遮った。
「ディミトリィ殿。貴殿に花道を用意して、体面よく退く機会を与えてくださっている陛下のお心遣いが分からないのかね? 貴殿には横領の疑いがかかっている」
ディミトリィは青くなった。
「本来なら投獄するべきところだ。それを不問として饗応役の地位を用意するだけでも十二分に慈悲深い待遇だと思わないかね?」
ディミトリィはがっくりとうなだれて椅子に体を落とした。
***
翌日、大蔵卿の執務室に、ニコロとディミトリィ、そして新しい大蔵卿が入ってくる。ニコロが帳簿を棚から取り出してくる。
「これが最新の帳簿です」
新しい大蔵卿が中身を確認する。
「ふむ。結構です。では」
ディミトリィとニコロが突っ立ったまま固まっていると、大蔵卿が出口を指差す。
「どうされました?出口はそちらです」
促されてディミトリィとニコロが出ていく。
去り際、ニコロが一度だけ振り返った。幼いころに王宮に出仕してきて、ここであらん限りの知恵を絞って金を捻出した。数字と格闘した。ここで苦しみ、悲しみ、喜び、怒った。
サルアン様が執務中の自分のところへ訪れ、言葉をかけれたこともあった。「国のためによく励め」と頭を撫でられた。ライオネル様の時代になっても運よく王宮に残れた。ここが自分の居場所だと思って必死に仕事をしてきた。
しかし、去る時はこんなにもあっさりしたものなのか……。
***
サキたちは“谷”との関係を隠しながら、表向きはティアナの護衛として王宮に残り活動を続けていた。
サキが王宮内を歩いていると、ニコロが意地の悪そうな小姓数人にいじめられている。ニコロは黙って耐える。サキがみかねて小姓たちに声をかける。
「もめごとか?」
「なんだ? 邪魔するんじゃねえ」
小姓たちは女だと思って舐めているようだ。サキは少し脅かしてやろうと思い、素早く剣を振って長髪の小姓の髪をばっさりと切り落とした。髪を切られた小姓は腰を抜かして尻餅をついた。恐れをなした小姓たちは退散した。髪を切られた小姓は足が震えてまともに歩けないようで、「ま、待って」と仲間たちをふらふらと追っていった。
ニコロがサキに話す。
「驚いた。強いとは聞いていたが、これほどとは思っていなかった。……いいな。自分の力で生きていける人は」
「あんたにも得意な分野があるだろう?」
「国庫番の地位を失ったのだ。今の私はただの体の小さい中年だ。さっきみたいに子供にからかわれても何もできない。君のように剣を振るうこともできないし」
「私は王宮の中の政治についてはよくわからないが、なぜあんたが地位を失うのだ?」
「それが宮廷政治というものだ。突然風向きが変わり、人々を翻弄する。悔しいよ。あの仕事を愛していた。青臭いかもれないが、民のために働くことが生きがいだったのだ。私が私腹を肥やしていたかのように言う者があるが、それは違う。国庫の資金繰りを工夫して余剰金を生み出し、橋を建造する費用にしたり、貧民の救済に充てたりしていたのだ」
「お前の貢献に感謝している人がいるはずだ」
ニコロがゆっくり首を横に振る。
「民衆は私がしたことを知りはしない。官吏のひとりに過ぎないからな。民には税金を取り立てる意地悪な奴としか思われていないだろう。歴史に名前が残ることもない。だけど、人知れずとも、やりがいがあったんだ。それを失った。いまとなってはすべてが虚しい。あとは死ぬまでの時間つぶしだ」
ニコロは深くため息をつき、もう一度サキに礼を言って立ち去った。とぼとぼと歩くその小さな背中は急に老け込んだようにみえた。
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