第64話 無力
衛兵が王女の到着を知らせると、シオンが顔を出す。王に招かれティアナが部屋に入る。柱の陰に隠れてヴァンとサキは成り行きを見守る。部屋の中からは何かをささやいているような声がするが、やがて声がだんだん大きくなり、口論をしているようになる。突然、王女の悲鳴が部屋から聞こえた。ヴァンとサキは顔を見合わせる。ジェンゴが首を振るが、ヴァンとサキの心は決まっていた。二人は飛び出して部屋の前にいく。当然衛兵が槍を突き出し止める。
「貴様ら! ついてきたのか!」
「我々の任務は王女様をお守りすることです。ティアナの様子を」
「絶対誰も通すなとの陛下のご命令だ」
サキとヴァンは剣を抜いた。一触即発の空気が漂った。
「そこまでだ」
緊張を破ったのは
フレドが剣を抜く。ジェンゴもヴァンの肩に手をかけ、首を横に振ってみせる。
「陛下は我々の雇用主だ」
「しかし、これはあんまりでは」
「これは王家の問題だ。彼らの問題だ。我々が手を出すべき問題ではない。彼らには彼らの流儀があるということだ」
ヴァンは膝をつきうなだれる。部屋の中から再び王女の悲鳴が聞こえた。だがそれ以後は押し殺したうめき声に変わった。頭はヴァンを見る。
「お前はあの王女に個人的な感情を抱いているようだな。だが、身分が違うのだ。お前と王女が交わることなどはじめからあり得ないことなのだ。それは、はじめからあり得ないことだったのだ」
部屋からすすり泣きが聞こえる。
「お前は“谷”で育ち、“谷”のために生き、働く義務がある。仕事に私情を持ち込むな。我々の依頼人は陛下だということを忘れるな。しっかり仕事を果たすのだ。連れていけ」
ジェンゴとフレドに挟まれ、ヴァンが連れていかれる。それを見送った頭は振り返ってサキをみる。
「お前も必要以上に王女に入れ込んでいるようだな。気をつけろ」
サキは全身から力が抜け落ちるのを感じた。
一刻後、部屋から出てきたティアナの顔は、涙の痕こそあったが何の感情も感じられなかった。サキが呼びかけても耳に入らないようで、幽鬼のように歩いていった。
***
ティアナがドーラへ嫁ぐ話は、アルヴィオン側から断りを申し入れ破談となった。次いでウェンリィとティアナの結婚が発表された。その準備は驚くべき速さで進められた。ヴァンは護衛の仕事を淡々とこなしていた。少なくともサキの前ではティアナと口を聞くこともなかった。
結婚式が盛大に取り行われることになる。ニコロが猛烈な勢いで働く。ディミトリィがニコロに発破をかける。
「ここで獅子奮迅の活躍をすれば、新しい王の下でも我々の地位は安泰だ」
先日の戴冠式とこの結婚式では、新しい王に気に入られようと廷臣たちが張り切っている。ディミトリィも例外ではなかった。何しろ新しい主人は若い。ことによるとその治世は半世紀以上になるかもしれない。君主に不興を買えば、惨めな役回りを一生押し付けられることになりかねない。逆に気に入られれば、長い栄華を極められるかもしれない。ここが自分の一生の勝負所だと考えて猛烈に働く者がいても不思議ではなかった。ニコロのところに小間使いが来て報告する。
「ワイン商と肉屋が代金の請求に来ております」
「つけておけ!」
国庫はとうの昔に空になっている。そして空になってからがニコロの本領だ。あらゆる手段で資金を調達する。金貸し業への法規制を緩めて恩を売っておいた金貸し達に声をかけ、領地、宮殿、徴税権、国の所有になっている工芸品やドレス、家畜を担保に低利で借りつける。王宮の貴婦人たちは自分の着ているドレスが借金の担保になっていることなどつゆほども知らないだろう。
借金が返せず貴婦人のドレスが剥ぎ取られては困る。返済の目処がつけなければならない。今後の収入の見込みを計算し、支出の削減も考える。
サキが観察したところ、金貸しや商人たちはこの小人を信頼しているようだ。この小男が財政をコントロールしきって結局はちゃんと返済してくれるはずだと。仕事は深夜まで続いた。明け方、ニコロと助手たちは仕事場でぶっ倒れていた。
***
結婚式の当日になった。
美しく飾り立てられたティアナが姿をあらわすと、遠目に見ていた客たちは歓声を上げた。「美しいわ」婦人たちが口々にティアナを称賛する。しかしティアナの顔は人形のように無表情である。それは客たちには緊張と受け取られた。大司教が両人に結婚の意思を確認する。
ふたりは誓約の言葉を発したようだが、周囲の者には聞き取れなかった。
大司教が咳払いして祝いの口上をはじめる。
「本来であれば、サルアン様がウェンリィ様に祝いの言葉をたむけられるはずでした。しかし不幸にもサルアン様はこの地上におられません」
アーロンがたまらず天井を見上げる。
「かつてサルアン様とライオネル様の兄弟間では不幸な争いがありました。しかし、ここにその子らふたりは一つとなり、融和したのです。これからアルヴィオンは、陛下と新たなお后様の下に一つに団結して平和を築いていくでしょう」
祝宴がはじまり、ディミトリィが客人たちをもてなす。客人たちに酒を注いでまわり、冗談をとばしている。
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