第2話 謀反

 叫び声が遠くに聞こえ、サキは目を覚ました。長い間寝付けずにいたが、いつの間にか眠っていたようだ。辺りは暗く、まだ夜中だろう。部屋の外が何やら騒がしい。男が怒鳴っているような声が聞こえる。


「何の騒ぎかしら?」


 エマも目を覚ましたようだ。


 エマとサキはベッドから出て窓の外を見てみると、中庭で数人の騎士に囲まれた男が剣を手に何か怒鳴っている。ただならぬ雰囲気にサキは恐怖を覚える。男の声が聞こえてきた。


「裏切者どもめ!」


 ふいに、男の背後の騎士が男を蹴り倒した。サキは驚き、母の顔をみる。


「お母さん」


「しぃっ」


 今度は男の正面に立っていた騎士が、ひざ立ちになった男に剣を向け、そして……突き刺した!

 

 サキは叫び声をあげかけそうになるが、母の手が口に回ってきて抑えられた。頭を上から母の反対の手で押され、かがんで窓から身を隠す格好になった。心臓が早鐘を打つ。母の荒い息遣いから、緊張が伝わってくる。やがて遠くなっていく足音から、息絶えた男を残して騎士たちが立ち去っていくのが感じられたが、母とサキはそのまま身をかがめていた。

 

 しばらくして窓とは反対側にある出入口に、トマスが周囲を警戒しながら現れた。エマがトマスに気付いて彼の顔を見ると、トマスは人差し指を口に当てて、声を抑えながらエマに聞く。


「無事か?」


「はい。トマス様、一体何が起こっているのです?」


「王弟ライオネルが謀反を起こした。王宮の騎士の大半が謀反に加担したようだ。王宮はライオネルに制圧されつつある」


 エマが息を飲む。


「国王陛下は?」


 エマの問いにトマスは顔をしかめながら首を横に振る。


「ここにいては危険だ。ついてきなさい。私が出口までの安全な経路を案内するから、その子を連れて王宮を離れるのだ」


 トマスに続いてエマはサキの手を引いて部屋を出る。


 三人はトマスを先頭に急ぎ足で進んでいったが、角を曲がったところでトマスの足が止まる。角の先には三人の武装した騎士と廷臣らしき男が立ちはだかり、行く手を遮っていた。廷臣が声をかけてくる。


「トマス様、どちらへ行かれるのですか?」


「クラレンス! 貴様……謀反に与していたのか」


 騎士の中には昼間見た男もいる。クラレンスと呼ばれた廷臣が騎士のひとりに目配せすると、その騎士が剣を抜いてトマスに近づいてきた。


 トマスは身構えたが、覚悟を決めたのか廷臣を睨んだまま動かなかった。トマスは剣で貫かれ、血を吐きながらその場にひざをついた。トマスはなおも廷臣を睨んでいたが、胸を騎士に蹴られ、仰向けに倒れた。


 トマスが息絶えたことを確認すると、騎士たちの視線は呆然を立ちつくしていたエマたちのほうに向けられた。昼間見た男がエマを指さしながら口を開いた。


「ほら、言ったとおりだろう。昼間見たんだ。上からは貴族の女には手を出すなってお達しが出てるが、この女は貴族じゃねえ。どっかの村の女さ。なあ、あんたの言うとおりこの男を始末したんだ。今度は俺たちの望みを叶えてくれ。俺たちの望みはあの女だ」


「好きにするがいい。私がうまく納めてやろう。だが、女は必ず始末しておけ。生きていると面倒だ」


 廷臣はそう言い残し、踵を返して立ち去った。


 男たちがゆっくりと迫ってきた。


「走って」


 次の瞬間、サキは強い力で母に手を引かれる。


 角を曲がって元来た方へ走った。しかし勝手のわからない場所だ。どちらへ行けばよいのかわからない。

 

 男たちがゆっくりと追いかけてくる。逃げきれないとたかをくくっているのだろう。


「おーい。どこへ行く? そっちは行き止まりだぜ」


 男たちの笑い声が聞こえてきた。


 エマは次の角を曲がったところでサキを物陰に隠して言い聞かせた。


「ここにいなさい。決して出てこないで。声を出してもいけない。男たちをやり過ごしたら出てきて、反対側に逃げるのよ」


 エマはそう言い残し、サキが何かを言う間を与えず駆けだした。すぐに男たちの気配が近づいてきた。エマはわざと男たちに自分の姿を見せ、すぐに次の角を曲がった。


 男たちがエマを追ってサキが隠れた物陰の前を通り過ぎていく。必死で息を押し殺す。ただ恐怖に圧倒され、体が震え、身動きがとれなかった。


 男たちが行き過ぎてしばらくしてから、サキはようやく腰を上げることができた。誰もいないことを確認して、物陰から出て、母に言われたとおり男たちが行った反対方向へ、よろよろと歩きだした。


 ここからどこへ向かえばいい?王宮から逃げる?しかしここへは今日来たばかりだ。どちらへ行けば出口なのかも全く見当がつかない。目的も定まらないまま、ただ、ふらふらと歩くしかなかった。


そのとき、


「何をしている……!」


 後ろからの声にサキの心臓は飛び出そうになった。


見つかった……!


 しかし、その押し殺した声には聞き覚えがあった。振り返るとそこにはウェンリィの姿があった。王太子の背後にはアーロンもいる。王太子はサキの身を案じて言った。


「状況がわからないのか。こんなところにいては危ない」


「母が、男の人達に追いかけられて……助けなきゃ」


 王太子がアーロンを振り返ると、アーロンは厳しい表情で首を横に振る。


「なりません。我々は今すぐ王宮を離れなければなりません」


 王太子は困惑した顔で、少し思案し、サキのほうを向き直す。


「すまない。今、君のお母さんを助けることはできない」


 王太子は再びアーロンのほうを振り返って言った。


「暴走した謀反人たちが乱暴狼藉を働いている。こんな小さな子をここに置いていては危険だ。我々と一緒に連れて行く。それならよいだろう?」


 アーロンは一瞬険しい顔で思案したが、うなずいた。王太子がサキのほうに向きなおった。


「ここから君を安全なところに連れていく。お母さんのことはそれから何とかしよう」


「でも、お母さんが」


 アーロンが割って入る。


「娘よ。母親が心配なのはわかる。だが、殿下もご両親が危険なのだ。しかし殿下は未来のために生き抜かなければならない。だから断腸の思いでこうしてここを離れようとされている。それが殿下の使命なのだ。そなたも同じだ。そなたの母もそれを願っておるのではないか」


 サキは王太子の顔を見る。その表情に悲壮な決意を感じ取った。彼も胸を引き裂かれるような思いでここを離れようとしているのだ。アーロンが再び強い口調で促す。


「問答している時間はないのだ。今すぐ腹を決めるのだ。さもなければ置いていくしかないのだぞ」


 今はついていくしかない。


 サキの沈黙を了承したとものと受け取り、王太子が説明する。


「王宮のすべての出口は敵の手に回っているだろう。だが、敵の知らない隠し通路がある。そこから逃げるのだ。さあ、早く行かなければ」


 アーロンの先導で、サキは王太子に手を引かれて王宮内を駆けていく。

 

 途中、あちこちから悲鳴が聞こえる。その度に、次に聞こえてくるのは母の悲鳴なのではないかという不安に襲われた。

 

 王宮の複雑な回廊を通り抜け、礼拝堂についた。ここが王太子たちの目的地らしい。


 礼拝堂に入ると、その奥、壁面の両端にはなんでもないようにみえる柱があった。一方の柱をアーロンが引くと、柱が扉のように開き、らせん状の隠し階段があらわれた。


「さあ、殿下。暗いのでお気を付けて」


 アーロンに促され、王太子が階段を下りはじめた。王太子が階段を半ばまで下りると、アーロンはサキのほうを向いた。


「大丈夫だ。さあ下りて」


 サキは後ろを振り返り、母を想った。


 そして向きなおって階段を見る。暗くて地面が見えず、それは地の底まで続いているかのように思われた。


 意を決し、サキは階段に足を踏み出した。

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