第45話 城

 レナードの城は自然の地形を利用して建てられた城だ。ふたつの崖を跨るように築かれている。ふたつの崖の間には裂け目が入っており、細く深い谷間ができている。一つ目の崖は片面が比較的なだらかであり、坂を登って人馬が城の門へたどり着くことができる。二つ目の崖は方側は前述のように谷間になっているし、他の方向も切り立った崖になっている。城二つの崖にそれぞれ一の城、二の城が建てられている。


 レナードがサルアン王からこの城を与えられたとき、二つの丘をそれぞれ木で囲い、吊り橋が二つの丘が渡され、二の城のほうに居館が設けられただけの簡素な砦だった。木の囲いを石の城壁にして、居館を近代的な主塔に立て直した。一の城の門には落とし戸などの様々な防衛用の塔をあちこちに備えさせた。ウェンリィ王太子がこの城に避難したのはその頃だ。レナードはその後も増築を続けた。城壁の高さを三倍にして、丘の高さと合わせると人の体長十人分ほどの高さを確保した。さらに居館を増築した主塔も含めた塔もそれに合わせて高くした。丘と丘は跳ね橋で連絡するようにした。


 シオンに案内され、城の中にティアナたちが入っていく。ティアナはシオンに手を引かれながら丘と丘を連絡する跳ね橋を渡る。下を見ると深い谷になっている。


「しかし面白い作りの城だな」


 ジェンゴが跳ね橋の中ほどで周囲を見回しながらつぶやく。


「ここでそっちの城が敵に落とされたらこの跳ね橋を上げてここで防衛するのか。

無理に渡ろうとする敵はこの谷底に真っ逆さまってわけか」


「レナード様が考案された構造だ。城作りの達人だ」


「この城は敵に攻められたことがあるのかい?」


「今の城の構造になってから敵に攻められたことはない。だが落としがたい城だということは見てもらってわかると思う」


 ティアナは二の城の奥の部屋に案内された。ヴァン、サキ、ジェンゴは城のあちこちを回り、防衛施設を確認し、防衛時の作戦を議論して過ごした。


 翌日、ティアナに王妃の死の知らせが届く。シオンはティアナの傍らにやってきてティアナを慰める。


「状況を打開するためデュラン国に支援を求めます。レナード様と私が使者としてクルセウス王のところへ向かいます」


「クルセウス王は、どんな方なのでしょう」


「王都で耳にされるクルセウス王の噂はこんなところでしょう。醜悪な老人で、魔王と呼ばれ冷酷無比。諸侯や民に恐れられ恐怖で国を統治する王」


 ティアナがうなずく。


「概ねはあたっていると思います。しかし、クルセウス王が即位するまでの経緯はご存知でしょうか」


「いいえ、あまり聞いたことがありません」


「私が育ったデュラン国との国境付近では、クルセウス王の噂話をよく聞きます。クルセウス王のことは王都の方より詳しいのです。お聞かせしましょう」


***


 玉座の上で頬杖をつきながら、クルセウスは己の数奇な半生を思い出していた。


 ――私は王である父の十三番目の男子だった。嫡子ではなく、母も身分の低い妾に過ぎなかった。さしずめ父は酔った勢いで欲望に身を任せ、望まぬ私が生まれたのであろう。母は私が物心つく前に病で亡くなった。


 十三男にして何の後ろ盾もない私が王位を継承する可能性は限りなく低く、城では下男とさほど変わらない扱いを受けてきた。父も私のことなど忘れていただろう。


 内気で剣や馬に関心を示さず、本を好んだ私は、やがて学問を修めさせるためと称して修道院へ出されることになった。あからさまな厄介払いだ。通例では修道院へ送られる王家の者は王位継承権を放棄させられる。しかし、王位からあまりにも遠い私を気にとめる者などおらず、放棄させられることはなかった。修道院での暮らしは質素で、時間だけはあった。


 やがて父が亡くなり、城では兄たちが王座を巡って争いをはじめた。しかしそれは私には何の関係もない世界の話で、私は歴史書や学術書を読み漁り、薬学や地質学の研究に没頭した。


 一族同士の殺しあいは果てしなく続き、ある者は毒の盛られた葡萄酒に、ある者は戦場で剣の刃にたおれた。流行り病に倒れた者たちもいた。生き残って一時的に王冠を手にした者も、贅沢な暮らしが祟りほどなくして死んだ。いっぽう私は贅沢とは無縁の規則正しく質素な生活を続けて老いていった。


 ある日、貴族がたずねてきて私に告げた。長年の内乱で王家の男子はすべて亡くなり、残ったのは私だけになったと。そして内乱をおさめるため私に王座についてほしいと。私は修道院を出て城へ入り、齢七十五にして王位についた。


 私は喜びいさんで王位に就いたのではない。私に野心はなかった。私は権力に胸を焦がすには、人々を従えることに喜びを見出すには、あまりに年を取り過ぎていたのだ。その貴族がひどく困った様子で請うものだから、道に迷った人を助けるような小さな親切心で王位に就いたのだ。だから玉座に腰かけた私に居並ぶ諸侯がひざまずいたときも何の感慨もわかなかった。


 諸侯は内乱に疲れ果て、安定を求めていた。私は彼らにとって善き王だったと思う。修道院で孤立していて、どの貴族や廷臣とも利害関係のなかった私は公正であった。とっくの昔に欲が細っていて野心を持たない私は、彼らから何かを奪うことをしなかった。これは他の王では考えられないことだろう。私は公正な王としての評判を得て、貴族の反発を緩和し、国は安定を取り戻した。


 あるとき私を王座につかせた貴族が、私と彼の娘との結婚を提案してきた。王には後継者が必要だのと言って。もちろん老いぼれが子をなすことなど考えられない。彼は単に王の縁戚者になることで己の地位を盤石にしたかったのだろう。他の者のすすめもあり、特に断る理由もなく、私は承諾した。それは、祝宴を催したり、今後隣に女が座ることになるだけの話で、私の人生に何の変化ももたらさないだろうと思っていた。


 しかしはじめて彼の娘と会ったとき、その可憐さに私は息を飲んだ。半世紀も前に消え去ったはずの心の輝きが自分の胸にまだ残っていることを知った。娘の名はネラといった。彼女はそのとき十三歳だった。私は生まれてはじめて女を知り、その喜びを知った。


 あるときネラが花を摘んできた。その花の葉は薬の材料になるため、修道院の造園で育成したことがあった。だからその花のことは良く知っていた。土に混ぜる肥料の種類、最適な水の量。私がその花について持っている知識を披露するのを忍耐強く聞いていた妻は、私の服に花をつけた。私は花を妻の髪にかざった。そのときはじめて花の美しさを知ったのだ。


 ネラの私に対する感情は、男女の情愛とは異なるものであったかもしれない。私のしわがれた肌に嫌悪を感じていたかもしれない。それで彼女を咎めるつもりはない。二人の間には確実に通じ合うものがあったのだ。


 私は彼女を通してはじめてこの世界の美しさを知ったのだ。


 すべてを奪われたのは突然だった。ネラが何者かによって毒を盛られ、暗殺された。妻は子を宿していたことがわかった。


 その翌朝、私の寝室に洗面器を運んできた侍女は、私の顔をみるなり震えだした。私は洗面器に張った水に映る自分の顔を見た。怒りと悲しみのあまり、私の髪はすべて抜け落ちて、顔中に血管が浮き出て、蒼ざめていた。それは人間の顔とは思えなかった。人が悪魔と聞いて想像する容貌だった。


 それから、人々は影で私を魔王と呼ぶようになった。そして私もそのように振舞った。


 私は執拗にネラを暗殺した者たちを探した。あらゆる手段を用いた徹底的な調査の結果、暗殺の黒幕は妻の父親と権勢を競っていた政敵だと知れた。もちろんその男には相応の罰を与えた。相応の罰を。


***


「恐ろしい老人です」


 話を終え、シオンはティアナをみた。


「クルセウス王は援軍を出してくれるでしょうか?」


「わかりません。しかし、それでも今は彼にすがるしかありません」

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