第110話 女王の来訪

 戦後の処理を済ませるとニコロは王都へ戻った。王宮で戴冠式がおこなわれる。


 玉座に腰かけるニコロの前に、侍従たちがそろそろと王冠を運んでくる。子供の背丈ほどもある高い冠だ。侍従たちの手によってニコロに王冠がかぶせられ――ない。王冠はニコロの頭には大きすぎるため、かぶせた真似だけをして王冠は持ち去られる段取りだった。


 そして事件が起こった。緊張し過ぎた侍従が手をすべらせ、王冠がすっぽりとニコロの顔を覆い隠した。ニコロは小さな体の上に顔のない王冠が乗った奇妙な物体と化していた。


 戴冠式に列席していた諸侯や廷臣たちは笑いを押し殺すのに難儀した。


***


 翌月、親善のためアウラが王都へやって来た。王都の民衆はアウラ女王を歓迎した。小国ながら歴史ある国の君主だ。


 王都の一番大きな通りをアウラの馬車が王宮へ向かう。人だかりが大通りの両脇にできた。王宮でアウラをニコロが迎える。両国の臣下らは己れが仕える君主に少しでも威厳を出そうと装飾過剰ぎみの服装で小さい体を飾り立てた。豪奢な衣装に身を包んでいるが、当の本人達はうんざりした気分だった。


 人は羨ましく思うかもしれないが、飾り立てれば立てるほど自分の体が貧相に思えてきて余計にみじめな気持ちになる。そうした気持ちが他人にはわかるまいと思っていたが、わかりあえる相手が目の前にいたのだ。


 晩餐会で妻であるエレノアをアウラに紹介する。


「オルセイの娘で我が妻エレノアだ」


「タナティアのアウラです。王妃殿下」


 出席者が皆席についた。ディミトリィが軽口を叩く。


「私が敬愛するサルアン様は婚外に子を二人設けていたのです」


 すでに酔っているようだ。


「婚外に子を設けるなど、なんたることか!信じられないことですな!マリウス殿、アーロン殿」


 マリウスとアーロンは恥じ入って黙ってしまった。堅物と思われる人物二人である。大いに賛同してくれると思って話をふったのに、思わぬ反応だったためディミトリィは話の持っていき場を失った。


「ともかく、ニコロ陛下万歳。乾杯。タナティアと両国の友情に乾杯」


 アウラはこっそりとアーロンに話しかける。


「セフィーゼ殿も赤子も元気です」


 隠していた手紙を取り出し、アーロンに渡す。


「セフィーゼ殿からです」


 アーロンが驚きながら受け取る。


「セフィーゼ殿は決してあなたに会いに来てほしいとは申されません。しかし本心は明らかです。たまには会いに行って差し上げては?」


「私も会いたいのです。子供も抱きたい。ですが、陛下のおそばが私のいるべき場所なのです」


 晩餐会はその後つつがなく執り行われた。ニコロはアウラが幼くして非の打ちどころのない君主の振る舞いをしているのをみて感心した。意外だったのは、晩餐会が終わりその日の公式の行事がすべて終わった後、アウラが非公式にニコロと話をしたいと申し出てきたことだった。


 互いに向かい合って座った。アウラははじめとりとめのない雑談をしていたが、本題に入ったのは、ニコロが葡萄酒の入ったゴブレットを口に運んだときだった。


「陛下、サキをご存知でしょう?」


 ニコロが飲みかけていた葡萄酒を噴き出した。予想外の人物の名が挙がったのに驚きしばらくむせた後、少し落ち着いてから話を再開する。


「失礼。女王こそご存知なのですか?」


「恩人です。タナティアに陰謀が起こったとき、解決に協力してくれたのです」


 そういえばサキは逃亡中、タナティアに滞在していた時期がある。


「一時期、サキと一緒に生活しました」


「一緒に暮らしていたのですか?」


「はい。短い期間でしたが」


 まさか女王と知り合いで一緒に暮らしたこともある仲とは。


「ある夜、サキと互いに物語を作って披露するという遊びをやったのです。そしてサキは私にあるおとぎ話を聞かせてくれたのです。その内容をよく覚えていて、本にさせました」


 女王が悪戯っぽく微笑みながら本を差し出す。


「ありがちな男女の恋のおとぎ話です。だけど面白いと思いますよ。陛下にとっては」


 ニコロは半信半疑で読み始めた。ニコロは、はじめは少女が好みそうなありがちな話だと思って読んでいたが、やがてその内容に青ざめてきて、汗がにじみ出した。


「こ、これは」


 女王はニコロの反応に満足そうにいう。


「すごい偶然でしょう? まるで予言書だわ」


 アウラは純粋にこれが偶然だと考えて面白がっているようだが、ニコロが考えていたことはまったく別の可能性だった。ニコロはその考えを振り払うことができず、それは彼の頭の中でますます大きくなっていった。


***


 数日後の評議会。評議会の大法官はマリウス、近衛騎士団長はアーロン、大蔵卿はディミトリィ、密偵頭はフレド、元帥はオルセイである。今日はフレドの姿がない。


 マリウスが「めずらしく密偵頭殿が遅刻しているようですね」と言ったところでフレドがやってきた。


「密偵頭殿、今はじめようとしていたところです」


「失礼」


 フレドはつかつかと部屋の奥へ進み、自分の席を通り過ぎてニコロの横にきた。


「陛下」


 フレドはマリウスの顔をちらとみてからニコロに耳打ちする。何事かの報告を受けたニコロは目を見開いた。そして椅子から立ち上がる。


「私はこれから出かけねばならなくなった。しばらく王宮を離れる。その間、国政はそなたらに任せた」


 そしてフレドをみて「案内しろ」と促す。


 突然のことに、評議会の面々は唖然としていたが、アーロンが慌てて立ち上がり、部屋から出ていったニコロを追いかけた。


「陛下、どちらへ行かれるのですか? 私もお供します」


「いや、そなたは残れ」


「陛下をお守りするのが私の役目です」


 ニコロは少し困った表情になる。これから向かう先にアーロンを連れていくと面倒なことになる。


「いつもそなたを頼りにしている。しかし今回の件は少し特殊なケースのだ。隠密術に長けた者のほうが適任だ。そなたは王都を守るのだ」


 アーロンは不服そうだったが、なだめてようやく出かけることができた。


***


 サキが庭で洗濯物を干していると、馬に乗った四人の男がやってきた。やや異様なのは、男の一人はフードを深くかぶり、その背丈が子供のようなに小さいことだ。


 フードを被った小男がほかの者らに何やら言う。小男ともう一人の男が馬から降りてこちらに近づいてくる。残りの男はその場に留まる。近づいてくる一人はフレドだとすぐわかった。だとすれば小男のほうは。フードの小男がフードをめくると、やはりニコロだった。


「久しぶりだな」


「ネズミ公」


「その呼び方は王命で禁止しているんだが」


 ニコロは苦笑する。


「ここはアルヴィオンじゃない」


「君をみつけるのはずいぶん苦労したよ」


「ここはタナティアだ。国境をどうやって超えたんだ?」


「関所で偽名を語ったよ。行商人だということにしてね。通行証は偽造じゃないぞ。王の名において自分で発給したものだ。だけど信じてもらえなかった。最後は金で解決した」


「関所の番人が私に向かって『お前は噂に聞くネズミ王の姿そのものだな』と言って笑いやがった。磔にしてやろうかと思ったがやめておいた」


 サキの顔が少し緩んだ。


「ここじゃなんだ。家で話そう。一国の王にふさわしいもてなしはできないが」


 サキは粗末な家を指す。


 一同は家に入った。ニコロとサキは卓を挟んで向かい合わせに座った。従士がニコロとサキに酒を注ぐ。


「じゃあ、再会を祝して」


 サキは乾杯しようとしたが、ニコロはそれを遮った。


「酔っ払ってしまうわけにはいかない。君から私の疑問の答えを聞くまではね」


 ニコロは椅子から立ち上がって卓に身を乗り出し、単刀直入に切り出した。


「君が仕組んだんだね?」


 それだけでサキはニコロが何を言わんとしているかがわかった。ニコロはサキの目を真っ直ぐみて改めて問う。


「君が、

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