第108話 交渉テーブル
ニコロの陣内に間に合わせの交渉テーブルが設けられる。ニコロとオルセイは向かい合って座った。周りにはニコロに従う主だった諸侯が集まってきた。ニコロには聞きたいことが山ほどあった。
交渉の場らしく心理的に優位に立つために何か駆け引きめいたことをやるべきなのかもしれない。だが、ニコロにそんな気持ちの余裕はなく、とにかく一刻も早く事実を確かめたかった。そこで単刀直入に切り出した。
「シオンが死んだようだが?」
「はい。シオンというのがウェンリィ陛下のことを指すのであれば、そのとおりです」
オルセイがあっさりと認めたので、周囲の諸侯がどよめいた。
「英雄の巨像に殺されたようだ」
オルセイはニコロのこの冗談には取りあわず真顔で答える。
「いいえ。殺したのはあのサキという女です」
サキが。ニコロは目を見開いた。彼女がやったのか。オルセイが続ける。
「先ほど女の処刑が行われるところでした。目撃した者の話によると、隙をついて手枷を外し、陛下を城壁から突き落とし、自らも川へ飛び込んだそうです。陛下は不幸にもあの像の剣のところに落ちたのです」
「サキはどうなった?」
「目撃者によれば、川から這い上がり、逃げていったそうです」
サキは生きている!復讐を果たし、まんまと生き延びた。ニコロは昂る感情を抑えた。アーロンをみると、彼も自分と同じ状況だとわかった。鼻から大きく息を吐き、飛び上がりそうになるのを必死で抑えているようだ。ぷるぷると小刻みに震えている。
とても痛快な気分だ。自分も飛び上がって快哉を叫びたい。しかし王の威厳というものがある。喉まで上がってきた快哉をなんとか飲み込んだ。そして大きくゆっくりと息を吸って吐いた。
「シオンの死は、王都内の諸侯も皆知っているのか?」
ニコロは平静を装って聞いたが、少し声がうわずった。
「はい。王都内では周知の事実です。いまや兵卒も、市民までもが皆知っています」
「王都内は大混乱だろう」
「はい。ただいま秩序の回復に努めています」
「クルセウス王の軍勢は?」
「デュラン国へ引き返しています。おそらく王の死を知ったのでしょう」
クルセウス王としては戦う大義名分を失ったし、利益もないと判断したのだろう。
「レナードはどうした?」
「ご自身の城へ戻られました」
「奴め、逃げたか」とアーロンが歯がみする。
オルセイが話を戻す。
「陛下の死を確認し、王都内の諸侯が集まって緊急会合をおこないました。そして私を交渉役として送り出すことに決まりました」
「王都は無抵抗で私を迎え入れるのか?」
「そのための条件について交渉に参りました」
「聞こう。条件はなんだ?」
「王都に残った諸侯を罰しないことです」
マリウスがすかさず口を挟む。
「駄目です。我が方へついた貴族たちにしめしがつきません。陛下に刃を向けた者には相応の報いがあってしかるべきです」
オルセイが反論する。
「そちらの四人の貴族の方々は明日の決戦で寝返ることに同意しましたが?」
「そ、それは」
ニコロの後ろで四人の貴族が口々に言い訳をはじめた。オルセイも反論する。
「我々もあの方……ウェンリィ様と信じる方へ忠誠を誓い、それを貫いたのです。騎士たるもの自らが仕える君主を右に左にころころと変えるべきではありません。我々はすくなくともおのれの君主の死まで忠誠を守り通しました。それをこの方々は」
四人の貴族は再びごにょごにょと言い訳したが、ニコロがテーブルを叩く。
「もうよい! 諸侯にはあらためて忠誠を誓わせる。私に刃を向けたことも裏切ったことも忘れよう。条件はそれだけか?」
オルセイが少し言いにくそうに口を開く。
「これは王都の諸侯の総意ではなく、私の私的な望みですが、私の娘と貴方の婚約を望んでおります」
アーロンが怒りをあらわにする。
「シオンが死んで王の父の立場を失ったから陛下に鞍替えしようというのか」
マリウスは冷静に進言する。
「しかし検討に値します。オルセイを親族とすれば、彼の一派に属する諸侯の陛下への忠誠は強まるでしょう。それに陛下が即位されたら世継ぎとなる子が必要です」
ニコロが大きく息を吐く。考え、決断すべきことが山ほどあるというのに、今は結婚や子供のことまで考えていられない。
「婚約の件はひとまず棚上げだ。今後検討しよう。オルセイは王都に戻り、諸侯に条件を飲むと伝えよ」
オルセイが王都に戻ってしばらく経った。ニコロは軍勢を城門から少し離れた位置に整列させ、門が開くのを今か今かと待っていた。本当に開くのか。ニコロは何かに騙されているような気がしてきた。
しかし、門は開く。脱出して以来の王都だ。熱烈な歓迎とは言い難い。多くの民家は戸を閉ざしたままだ。シオンがニコロの軍は王都で民を虐殺し、略奪をはたらくつもりだと喧伝したのだろう。美しいシオンは民に人気が高い。
王宮に入る。かつてニコロをいじめていた貴族たちがぽかんと口を開けて、名だたる高家の者たちに囲まれているニコロをみている。王都の諸侯がニコロらを出迎える。
「少なくない諸侯が自分の領地へ帰りました。ここの残った者は皆、陛下に忠誠を誓う者です」
「余が王位につくことに異存はないな?」
「はっ」
一同はニコロにひざまずいた。その奥でニコロをいじめていた貴族たちが痛ましいほど頭を下げていた。
王の間に入り、ニコロが玉座に腰かける。マリウスがやってきて聞く。
「陛下、戴冠式はいつ行いますか?」
「戴冠式はレナードを降すまで行わない。まだ戦は終わっていない。まずは自分の領地へ帰った諸侯たちに忠誠を誓わせる。書記官たちに手紙を書かせてくれ」
「かしこまりました、陛下」
「まったく。手紙、手紙、手紙だ。今日はようやく手紙から解放されて戦場で矢の雨をかいくぐり敵に猛然を突っ込めると思ったのに、そんなことはなく、また手紙だ」
「しかし陛下はそのほうが得意分野なのでは?」
ニコロはマリウスをみる。意外とこいつは失礼なことを平気でいう。だが手紙のほうが得意なのは自分でも認めざるを得なかった。
「たまには豪傑を気取らせてくれ」
歴史家はこの奇妙な戦をどう記述するだろうか。
「この玉座を奪うためには矢の雨をかいくぐり、死体の山を築き、血で染まった道を渡ってくるものと思っていた。だが矢の一本すら飛んでこなかった。道には血の一滴もない。死体は巨像にぶら下がっている奴だけだ」
「結構なことです。ライオネルはサルアン様から王座を奪う際、流れた血はわずかだけだったと称賛されました。陛下はさらに少ない血だけで王座につきました。これは素晴らしいことでは?」
「密偵頭を呼んでくれ」
マリウスと入れ替わりでフレドがやってくる。
「私に仕える気はあるか?」
「これまでと同じ条件であれば」
「よし。交渉成立だ。早速頼みがある。サキの行方を探してくれ」
「御意」
フレドが去ろうとするところにニコロが付け加える。
「待て。探して報告するだけだぞ。彼女には絶対危害を加えるな」
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