第32話 アデレード

 王宮の一室でひとり、王妃アデレードは葡萄酒の入ったゴブレットを傾けながら物思いに沈んでいた。昔のことを思い出す。はじめに結婚した夫がすぐに死んで、体を売って生きていくしかなくなったとき、クラレンスに拾われた。


 自分にはなんの後ろ盾もない。高貴な血や同盟者がなければ生きていくことができない。クラレンスは野心家で頼りがいがあった。短い間ではあったが情のようなものもあった。


 クラレンスが饗宴で陛下を接待したときにはじめて陛下と会った。私が陛下に見初められて、陛下からクラレンスへ結婚の申し入れがあった。


 クラレンスがそれを受けたと聞いたとき私は少しだけがっかりした。嬉々として陛下に輿入れしたと思われているが、私は怖かった。なんの後ろ盾もない王宮へ行くのが恐ろしかった。実際そこは恐ろしい場所だった。人々の声を聞いた。あらぬ中傷を数え切れないほど受けた。


「陛下をたらしこんだ妖女だ」


「クラレンスと共謀して前の王妃を毒殺したんじゃないのか」


「気をつけろ」


「引きずり降ろさなければ、我らに危害が及ぶかもしれぬ」


「横柄な女だ」


「卑しい身のくせに」


 敵意むきだしの視線の中でおどおどしていた私を救ったのは陛下の言葉だった。


「お前は王妃だ。堂々としていろ。それが王妃の務めだ」


 陛下の隣であれば私に恐れるものが無くなった。しかしそれは長く続かなかった。ほどなくして陛下が病に伏せられた。


 後ろ盾がなくなった私は恐怖の虜になる。陛下が亡くなってしまったら?私はこの敵だらけの中で孤立する。それは脅迫観念だった。同盟者を得るため王宮の有力者たちと関係を持つ。それだけでは安心できず、クラレンスを王宮の中枢に引き入れた。しかしそれが私を憎み嫌う者たちを刺激した。


「ほれみろ。策略家だ」


「身内びいきだ。これが結婚の狙いだったのだ」


 アデレードは周囲の騒がしさに我にかえった。近衛騎士団長の一団が王妃の部屋になだれ込んでくる。


「いったいどういう騒ぎかしら?」


「あなたに王太子殿下暗殺未遂の疑いがあります」


「根拠はあるの?」


「あなたは陛下の子を身ごもっておられます。その子は将来王位を継ぐ可能性のある子です。しかしその邪魔になるのは前王妃の子である王太子です。王太子を殺害する強い動機があります。王太子が襲撃された場所は族が活動しない場所です。王太子が通ることを知っていたとしか思えません。王太子があの道を通ることを知っていたのは王妃殿下を含めわずかです。族に王太子があの道を通ることを教え、襲わせたのではないですか」


「噂話と大差のない根拠ね」


「大法官閣下の許可がありました。あなたを拘束します」


王妃が拘束される。


 王妃の拘束に立ち会ったミゲルは、葛藤する。王妃の身が危ないのではないか。


***


 アデレードが閉じ込められている部屋にクラレンスが様子を見に来る。


「王妃殿下、不自由はございませんか?」


「近衛騎士団長からは不自由のない生活を約束されたわ」


「つまり、この子はあなたの子よ」


 クラレンスには子がいなかった。困惑しつつも、こみ上げる感情がないわけではない。信じたいのだ。クラレンスは認めざるを得なかった。いま、自分の胸の内にこみ上げてきたのは嬉しさだ。


「私の子か」


「はい。閣下、これは二人だけの永遠の秘密です」


「ああ、そうだとも」


 しかも幸運に恵まれれば、我が子が玉座に座ることになるかもしれないのだ。


***


 大法官は、王太子、王太子妃、近衛騎士団長を集めた。


「王妃の拘束を解かねばなりません」


 マチスが慌てて問う。


「なぜです?」


「王族に対してこれ以上の拘束は前例がありません。ましてや王妃殿下は陛下の御子を宿した大切なお体。心穏やかに過ごされるように取りはからねばなりません」


 セフィーゼが口を挟む。


「しかし王妃には王太子殿下を謀殺しようとした疑いがあるのですよ!?その容疑者を解放するなど暴挙です!疑惑が晴れない限り監視下におかなければ。証拠を隠滅する恐れがあります。もう一度王太子殿下のお命を狙う可能性だってあります。今の生活に不自由はないはずです。」


「殿下、私の権限でやれることはすべてやりました。」


「しかし」


「とにかく、これ以上の拘束は認められません。大法官として、王妃殿下の拘束期限は明日までとします」


「失礼します」


 クラレンスが退室する。


「どういうことです?」


 セフィーゼがマチスに尋ねる。


「王妃に篭絡されたようです」


「それはわかっています。どうやって?」


「我々が約束した以上の見返りを提示されたのか……いや、それは考えにくいです。あるいは、その」


「なに?」


「その、クラレンス殿と王妃には、表向き以上の関係があったとの噂を聞いたことがあります」


「それはつまり、男女の関係ということ?女の武器を使ったってこと?」


「あり得るかと」


 セフィーゼは窓際にいって外の様子を見る。


「何か手をうたなければ」


 マチスがうつむきながらつぶやくと、セフィーゼがため息をついてから言った。


「私に策があるわ」

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