第20話 希望

 その可能性は暗い牢獄の中で私に光をもたらしました。あなたが生きておられるのであれば、騎士としての私の使命はひとつ。忠誠を貫くことです。誓いを守り抜くことです。あなたが生きておられるなら、いつか簒奪された王位を取り返す戦いをはじめられるはずだと考えました。私の務めはそのときにわずかでも力になることです。


 そのときに体がなまって剣を振るうこともできなければ騎士としての面目が立ちません。私は自身の体を見直しました。そこにあったのは私の記憶の中にある鍛え上げた戦士の肉体ではなく、食事を拒み骨だけのように痩せ衰えて惨めになった自分の体でした。そんな体では殿下の役に立つことなどできません。私は食事を取りはじめ、体がなまらないように鍛錬をはじめました。


 情けないことに、衰えた私の体は、はじめは立っていることさえ困難でした。それでもタロスが運んでくる差し入れを食べ、すこしずつ鍛錬の強度を増していくことで私の体は徐々に蘇ってきました。そして鍛錬をずっと続けたのです。


 馬鹿げたことをやっていると思うこともありました。普通に考えれば王太子殿下が生きておられる可能性は非常に低い。もし殿下が生きておられ、どこかの地で決起したとしても、投獄された身では殿下の下にはせ参じることはできません。私が殿下のお力になれる可能性はとてつもなく低かったのです。それでも私にとっては唯一の生きる希望です。


 タロスのことは許していませんが、食料の差し入れは体力を保つために必要でしたし、彼は牢獄の外の情報を入手するために貴重な存在です。タロスは牢獄通いを続けてくれました。王太子殿下が生きていたという情報がもたらされるのをひたすら待ちわびましたが、ついぞそんな話を聞くことはありませんでした。それでも私は殿下が生きておられることを信じ、そのことにすがり、体を鍛えてその時を待ち続けます。そして、そんな生活が十一年続きました。


 あの日、貴族用の独房からあなたの声が聞こえました。


 ――私はサルアン王の嫡男ウェンリィだ!


 それを聞いたときの私の気持ちは誰にも想像できますまい。驚きと戸惑い。信じ難い話で、軽挙妄動は慎まなければならないと自分を戒めながらも、期待が膨らむのを抑えられませんでした。私の妄信は確信に変わったのは、あなたがこの大牢に移されてきたときです。そのお姿はたしかにあのウェンリィ様が成長すればこうなるであろうと想像したとおりの精悍な若者ではないですか。私はその夜、ひとりで涙しました。このときほど神に感謝したことはありません。


 あなたは私には気づいていないご様子でしたが。それもそのはず。私は十一年の投獄生活で、このとおり髪や髭は伸び放題、痩せて体型も顔も変わりました。ふいに話しかけて人に聞かれてもまずい。ずっとあなたとふたりだけで話せる絶好の機会をうかがっておりました。そのうちあることに気付きました。あなたを狙う獣の目です。あの男は噂に聞いていました。金で誰でも殺す殺し屋です。私は男の動きを警戒しはじめました。すると先ほど、男が妙な動きを見せてあなたに近づいたので、危険を感じて止めに入ったのです。危ないところでした。


 アーロンが話を終えてシオンをみると、この若者は目に涙をたたえていた。シオンはアーロンの手の甲に自分の手のひらを重ね、言った。


「お主の類まれな忠誠心、心より感謝するぞ。お主こそ真の騎士だ」


 シオンの目から涙が零れ落ちた。それをみたアーロンの胸にも熱いものがこみ上げ、おさえられなくなった。薄暗い牢の中、ふたりはしばらくの間声を殺して泣いた。


 感情が落ち着いてきて、今度はアーロンが若者の話を聞く。


「今度は殿下のお話を聞かせていただけないでしょうか。私と別れた後、何があったのですか?」


「そなたと離れた後、木陰と休んでいるところを偶然レナード殿に発見され、匿われたのだ」


「そうでしたか。レナード殿があなたの偽りの死を工作されたのですか」


「ああ。レナード殿は私に断りなく、私と容貌が似た少年の顔を焼き、その遺体を王太子の身代わりとしてライオネルに差し出した。むごい犠牲だった。なんの罪もない少年だ。だがレナード殿を責めることはできない。彼には命を救われ、養育された大きな恩がある。そしてお陰で、この復讐と王位奪回の機会を得られたのだから」


「王宮へはどういう経緯でいらっしゃったのです?」


「元帥の助手として推薦していただき、正体を隠して潜り込んだのだ。王宮で実力をつけて仲間を増やし、やがて機会をみて正体を明かし、王位を奪還するために。しかし王宮内で私の唯一の後ろ盾となっていたヴィドー殿が今は戦場に出て不在となっている。他に頼れる者もいない。アーロン、そなたは私に力を貸してくれるか?」


「もちろんです」


 アーロンは力強くうなずいた。

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