第21話 出陣

 ヴィドーが王都に戻ってきた。王都を離れるときは二千の軍勢を連れて出立したが、いまや百騎足らずになっていた。多くの兵は逃げ遅れ、討ち取られ、あるいは敵の捕虜となった。ヴィドー自身も土埃にまみれ、みすぼらしい姿での帰還となった。


 王都の中の道を王宮に向かうが、市民の視線が痛い。哀れみ同情するような目。そうした目に見られていると屈辱感と悔しさが増した。


 王宮に来たヴィドーは、約束した援軍を送らなかったクラレンスに怒りをぶつけようと思っていたが、王宮でヴィドーを待ち受けていた廷臣から予想外の報告を聞く。


「閣下、陛下が病気から回復され、政務に復帰しておられます。謁見の間であなたをお待ちです」


***


 謁見の間でひざまずき、玉座からライオネルの視線を浴びた元帥は恥辱で憤死せんばかりだった。これに比べれば、市民の視線など生易しい何でもないものだった。狂気から回復した王との再会を、こんな形で迎えることになるとは。


 敗戦の報告をしなければならない。完膚なきまでの大敗北の報告を。言葉をひとつをでも違えれば命はない。命がけの弁解だ。しかし実のところヴィドーは、命などどうでもよい心境になっていた。この視線を浴び続けるくらいなら命などいくらでもくれてやる。実際の時間はそれほど長くなかったが、彼にはライオネルが次の言葉を発するまでの間は永遠のように感じられた。


「敗れて多くの兵を失ったようだな。状況を報告しろ」


「はっ。二千を引き連れ王都を出立しました。その際、評議会は追って援軍を送ることを約束しました。到達前に城は落ちました。私が城に到着しても、援軍はおろか王都からは何の連絡もありませんでした」


 クラレンスをみる。クラレンスは目を逸らす。元帥は王に向きなおしてつつける。


「やむなく西の砦へ入ろうとしました。しかし西の砦はドーラに占領されていたのです。砦から攻撃を受けたため王都への退却を余儀なくされました。退却中にデュランの兵が待ち伏せしており、不意打ちを受け、この有様です」


 誤魔化しもレトリックも得意でない。ヴィドーは腹をくくり結局ありのままを報告する。これで首が落ちるなら構わん。王の裁断に委ねた。


「なぜ援軍を送らなかった?」


 ライオネルはクラレンスをみた。クラレンスは、


「敵の攻撃がこれほど大規模だとは考えられなかったのです。そのため援軍の必要はないと判断したのです」


「お前の判断が妥当だったかどうかは、後で詳しく調べよう。ひとまずクラレンスと摂政を兼任することは禁じる。しばらく謹慎しろ。今は城を取り戻すことが最優先だ」


 元帥は自分への裁断を待ったが、王が口にしたのは意外な言葉だった。


「元帥、急ぎ軍を編成しろ。余自ら率いて城を取り戻す。諸侯を招集しろ」


 元帥は驚いて顔を上げたが、ライオネルはすでに立ち上がって出陣の準備に向かいはじめていた。


***


 王宮はひっくり返ったような大騒ぎになった。書記官たちは総出で王名の招集令状を書き、国内各地の諸侯へ送る。王都周辺の諸侯には王都へ終結するように命じ、王都から離れた領地にいる諸侯は直接現地へ終結するように命じる。王都周辺の諸侯がはせ参じてきた。


 王都の近隣で主要な軍を派遣してきたのはオルセイだ。元帥がライオネルの右腕ならば、彼は左腕だ。若きライオネルとともに戦地を転々としてきた歴戦の将で、疾風のオルセイと呼ばれ、機動力を生かした遊撃戦を得意とする。ライオネルの下では元帥に次ぐ戦功をあげている。今回もその名のとおり疾風のごとく素早く馳せ参じたのだった。彼は千五百の兵を供出した。


 王宮の騒がしい様子は地下牢のアーロンとシオンも感じていた。そこに、タロスがやってくる。


「アーロン、差し入れだ」


「タロス、王宮内が騒がしいようだ。一体なにが起こっている?」


「ライオネル陛下が出陣する準備を進めている」


「元帥閣下は?」


「ヴィドー元帥閣下も一緒に出陣されるだろう」


 アーロンが後ろの若者にささやく。


「ヴィドー様はあなたが囚われていることを知らないのかもしれません」


 タロスは奥に人がいることに気付き、暗がりの中、目をこらす。若者の顔をみて驚く。


「あなたは、元帥閣下の助手の……。なぜアーロンと同じ房に?」


「詳しいことは今度話す。それより頼みがある。ヴィドー様に、この方が牢獄に囚われていることを伝えてくれ。この方はまったくの無実なのだ。しかもこの方は何者かに刺客を差し向けられ命を狙われた。間一髪のところで無事だったが危険な状況だから早く助けてくださるように、と」


 タロスは戸惑いながらも了承した。


「わかった。もうすぐヴィドー様が出陣されてしまう。急いでお伝えしよう」


 牢を出る希望が出てきた。


***


 出陣の準備で忙殺されるなか、執務室にやって来たヴィドーはシオンがいないことに気付き、マッセムに聞いた。


「シオンはどこだ?」


「ああ、えぇっと、私が使いを頼みました。それで街に出ています」


 ヴィドーは気になったがいまはそれを詳しく聞いている時間はない。マッセムが執務室から廊下に出ると、タロスがやってきた。


「どうした?」


「元帥閣下に伝言を頼まれているのです」


「誰からの伝言だ?」


「ある囚人からです」


 マッセムは警戒する。囚人?父に囚人の知り合いなんかいるか?シオンを連想した。


「閣下はお忙しい。伝言であれば後で私から閣下に伝えておくから言え」


「できれば直接にお伝えしたいのですが」


「駄目だ! 今、閣下は戦の準備で寸刻でも惜しいのだ! 必ず伝えるから早く言え」


 マッセムの剣幕におされてタロスはやむなく従う。


「アーロンからの伝言です。あなたの助手が無実の罪で牢獄に囚われている、彼は何者かに刺客を差し向けられ命を狙われた、間一髪のところで無事だったが危険な状況だから早く助けてくださるようにと、お伝えください」


 マッセムは動揺したが表情を変えずにうなずいた。


「必ず伝えておくから行け」


 マッセムに追い払われてタロスは去っていった。暗殺は失敗したのか。しかしこの伝言を握りつぶせたのは幸いだった。まだツキはある。


***


 オルセイの兵を主要な部隊とした三千程度の兵が集まると王は出立してしまった。


 ティアナはサキ、ジェンゴと城壁からライオネルの出立をみていた。ティアナがため息をつく。


「陛下が回復されてからお話する暇もなかったわ」


「きっと無事に戻られます」


 サキは王女に慰めの言葉をかけながらも、ライオネルは母の仇であるだけに、胸中は複雑だった。ジェンゴがサキに耳打ちする。


「あの王様、王宮に密偵がいることに気付いているな。密偵の不意をついて出立しやがった。今から連絡を送っても間に合わないだろう。なかなか賢い王様だ」

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