第2章 危険なゲーム

第7話 助手

 レナードが部屋に入ると、奥には元帥のヴィドーが座っていた。ここは王宮内にある元帥の執務室だ。元帥は、国の軍事について国王に次ぐ指揮権を持つ役職である。ヴィドーの傍らには彼の息子のマッセムが立っていた。レナードがヴィドーに一礼する。レナードの後ろにはフードを被った男がついてきていた。ヴィドーが尋ねる。


「その男が手紙でおっしゃっていた男ですか」


「はい。名をシオンと申します。必ず閣下のお役に立つかと」


 レナードに促されて男がフードをおろすと、黒い髪を伸ばした秀麗な顔が現れた。ヴィドーは値踏みするようにその男の眼を覗いた。


「時間がもったいない。一刻も早く優秀な助手が必要なのだ。さっそく試させてもらうぞ」


 元帥は手元の行政記録書を開く。


「166年前、賢王ニコラスが発布した王命は?」


「ドーラへの関税とデュランへの関税の比率を8対25とする関税令です」


 ヴィドーは頷き、次々と行政に関する知識を問う問題を出すが、シオンは完璧に答えていった。


「ではこれが最後の問いだ。難しいぞ」ヴィドーはやや意地悪くちらりと青年を見た。「184年前に発布された王命の内容は?」


「その年に王命が発布された記録はありません」


 シオンは躊躇なく答え、ヴィドーは満足そうに、にやりと笑った。


「この男には発行された法律や取り決めなど、行政記録をすべて記憶させています。王宮のしきたり、諸侯の知識、王宮の廷臣に必要な教養も身に着けさせました。馬術、剣術、戦術、廷臣としての嗜みは十分かと。必ずや閣下のお役に立てるはずです」


 レナードが胸を張る。


***


 元帥は青年を王宮の近くの練兵場へ連れていき、弓の的当てをやらせてみたが、腕前は見事なものだった。ヴィドーが必要としているのは法律面で元帥を補佐する者なので、馬術、剣術、弓術などはこの際関係がない。だが、根っからの軍人であるヴィドーにとって、それらは男子の素養である。そうした術に長けた人間にはそれだけで好感を持ってしまう。


「さすがレナード殿が推薦されるだけのことはある。非常に有能な若者だ。よし。気に入ったぞ。この男を元帥補佐にする」


 マッセムが口を挟む。


「父上! このような得体の知れない男を評議会に連れて行くのですか!」


「お前が決めることではない」


 元帥は息子を冷たく突き放した。


 息子のマッセムとは生まれてからほとんどの期間を離れ離れに暮らしてきた。息子が幼いころは乳母に預けっぱなしで、ヴィドーはライオネルの右腕として、隣国との戦の前線に張り付いていた。息子をこの腕に抱いた記憶も碌にない。

 

 ライオネルが王位に就き、新しい王から元帥に任命されてからは、ヴィドーは王宮で過ごしてきた。その間、息子はずっと故郷にいた。後継者として元帥の仕事を近くで見せようと、ほとんど話したこともない息子を半年前に故郷の領地から王宮へ呼び寄せた。


 しかし息子の素質はヴィドーの期待には遠くおよばなかった。マッセムは狩猟を好むので馬術や弓術の腕前はそこそこだが、凡庸の域を出ない。目下の者の扱いも粗雑で、あまり人望が高いとは言えない。法やら政治やらには疎い(もっともこの点についてはヴィドーも同じなのだが)。


 息子に対して最も不満なのが、成長が感じられないことだ。王都に呼び寄せてから半年、まったく成長を感じられない。マッセムが部下に対して横暴な態度を取るのを見かねて、目下の者にも慈悲と寛容さをもって接する者が信頼と尊敬を勝ち得るのだと口酸っぱく教えてきた。しかし、息子は学ばなかった。


 詮無いこととは思いながら、つい息子とあの若者とを比較してしまう。シオンという若者は、ヴィドーが理想の息子として思い描く人物像そのものと言ってよかった。しかし、あの若者は我が息子ではない。ヴィドーはため息をついた。自分が息子に元帥の地位を継がせることを望めば、それは了承されるだろう。


 しかし、それは陛下や王家のためになるだろうか。息子には十分な領地と財産を残してやれる。元帥の地位はそれにふさわしい者に継がせるべきでなないか。例えば、シオンのような男だ。私は陛下の臣下だ。陛下にとって最もよい選択をするべきではないか。これは息子のためでもある。元帥の立場で失態を犯せば大きな責任を負うことになる。評議会で責任を追及されて名誉も領地も失うことになるかもしれない。


 息子には元帥の地位も継いでほしいと思っていた。しかしそれは欲深いことだったかもしれない。よかれと思って背負わせたものが重すぎ、人を押し潰すことがある。人にはそれぞれ器の大きさがあり、背負えるものは違う。あいつに重い荷を背負わせることは、あいつのためにならない。


***


 翌日、ヴィドーがシオンを連れ、王宮とその付属施設を案内する。ヴィドーが王宮内を歩くと、すれ違う人々は脇に避けて道を譲る。それもそのはずで、元帥は、王族を別にすれば、王宮内では大法官に次ぐ2番手の地位だ。ヴィドーとシオンは外にある厩舎にやってきた。


「ここが厩舎だ」


 厩舎長が元帥に気付き一礼するが、顔を上げて 元帥の後ろにいるシオンの顔を見た途端、驚いたような表情になる。シオンはとっさに顔を伏せて通り過ぎる。幸い元帥は何も気づいていないようだ。


***


 ヴィドーとシオンが書記室に向かって王宮の廊下を歩いていると、向こうから若い貴婦人とその護衛がやってきた。


「おや、あれはティアナ王女殿下だぞ」


 元帥がティアナを認めて挨拶をする。


「ご機嫌麗しく存じます、殿下」


「お元気そうですね。元帥閣下」


「どちらかへお出かけで?」


「後学のため、北方の街の視察に出かけるところです」


 ティアナはふとヴィドーに後ろにいる若者を見た。ティアナとシオンの目が合い、ティアナはとっさに目をそらした。


「この者は私の助手として昨日から私に仕えている者です。いま王宮内を案内していることころです」


「シオンと申します。よろしくお願いいたします」


「そうですか」


 ティアナは目をそらしながら答えた。


「これから書記室を案内しますので、これにて失礼いたします」


 ヴィドーとシオンは王女と別れ、奥へ進んでいった。


***


 シオンを連れてヴィドーは王宮の一室に入る。鳩小屋に隣接する書記室だ。手紙などの郵便物は一旦ここに集約され、王宮内の個人に受け渡される。


「ここでは王宮に出入りする手紙の整理をしている。毎朝ここに来て私宛ての手紙がないか確認しろ。手紙があれば私に届けろ。この仕事はマッセムにやらせていたが、今日からお前の役目とする」


「承けたまわりました、閣下」


「そういうことだ、タロス。この男をよろしく頼む」


「はい、閣下」


 タロスと呼ばれた男が返事をしながらシオンを見る。


 タロスはシオンの顔を見て何やら思案げな表情になり、やがて何か思い出そうとしている人の顔になる。シオンはさりげなく顔を伏せ、ヴィドーの後ろについて部屋を出て行った。


 部屋に残されたタロスは、頭の中の記憶を探っていた。元帥閣下が連れてきたあの男、どこかで会ったことがある気がする。そうだ、あの方に似ている。ウェンリィ王太子殿下。黒い髪、目鼻立ち、輪郭、あの方の面影がある。あの方が生きてあの年まで成長しておられたら、こうなっていたのではないかと思われる姿だ。だが、あの方とっくの昔に亡くなったのだ。つまり、あれは似ているだけの男ということだ。そう思いなおして彼は仕事に戻った。

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