第67話 逃亡

 ティアナの腹の膨らみが目立ちはじめた数か月後の冬のある明け方、事件が起こった。ティアナがいないと騒ぎになる。サキも探し、ティアナ中庭の生垣の影で呆然とうずくまっているのをみつけた。その体が冷え切っていた。ティアナは寝室に運ばれ手当される。子供は無事だった。


 ティアナにサキは頼まれる。


「どうしてこんなことを?」


「怖いの。どうしてよいかわからないの」


「もうすぐ子供が生まれる。知っているでしょう? あの人の子かもしれない。もしそうであれば大変なことになる。子供が生まれたとき、もしそうならすぐにあの人に知らせて。遠くへ逃げるようにいって」


 サキはティアナの手を握った。


「わかりました」


 その事件以来、ティアナは厳しく監視されることになった。


 春になり、ティアナが破水する。彼女は寝室に運びこまれ、寝室に産婆たちがやってくる。女たちが王妃を取り囲む。


「男性は外へ出てください」


 産婆にうながされ近衛騎士たちは部屋の外へ出ていく。寝室にいる護衛はサキだけになった。


 そして子供が生まれる。産婆が取り上げた子供の肌は褐色だった。しかし彼女はその意味を深く考える間を与えられない。


「もうひとり生まれます!」


 侍女の言葉に我に返り赤子を傍らの助手にあずける。もうひとりの赤子が母体から出ようとしていた。つまり、双子だ。ふたりめも産声を上げた。二人目の子供も、やはり褐色をしていた。


 王宮医が入って来て子供を確認する。


「これは、どういうことだ」


 王宮医が言葉をつまらせる。


「とにかく陛下にお知らせせねば」


 子供を産婆に託し、血を布でぬぐいながら王宮医は部屋を後にした。ティアナは全身が汗でびっしょり濡れている。魂が抜けたような有様だ。しかし意識ははっきりしており、サキをみる。そして頷く。サキも頷き返し、部屋を後にする。


 サキは城の塔に登り、蠟燭の灯りを手で遮ったり出したりを繰り返して明滅させる。事前にヴァンと示し合わせていた、逃げろという合図だ。


 同じころ、城の外でヴァンは塔をみていた。そして灯りが明滅するのを確認した。ヴァンは歩き出した。


 サキは合図を出し終わり、しばらく呆然としていた。これでヴァンとは二度と会えないだろう。彼はどこへ行くだろう。おそらく東へ向かい、タナティアを超え、東方の国へ行くのではないか。


 彼は東方の行商人の子だ。両親に連れられてこの国へ来たが、両親が死んで路頭に迷っていたところをかしらに拾われた。幼いころにこの国に来たので生まれ故郷に知り合いはいないだろう。用心棒でもやるのだろうか。彼の腕なら引く手あまただろう。いずれにせよもう会うことはない。


 いまは彼の無事をひたすら祈るだけだ。自分はここに残り、ティアナを守ろう。ヴァンと離れ、それぞれの人生を歩むのだ。そろそろ王宮内は大騒ぎになっているだろう。ティアナをひとりにしているのは心配だ。それに長い間不在にしていると不審がられる。もう戻らなければ。


 サキが王宮内に戻るとジェンゴに声をかけられた。


「おい、ヴァンをみていないか?」


「いや」


 どきりとしたが、平静を装って答える。


「頭が俺たちを呼んでいる。ヴァンもだがみあたらない。とにかく俺たちだけでも謁見の間に行くぞ。頭が待っている」


 謁見の間にいくと、シオン、レナード、頭、フレドらが話し合っていた。


「来たかサキ。お前は出産の場に立ち会ったから事情は知っているだろう。子供の父親はおそらくヴァンだ」


「あいつを探して捕らえなければならない。お前はあいつと親しい。どこにいるか知らないか?」


「いいえ。昨夜からみていません」


 これは本当だ。そしてヴァンをみることは二度とないだろう。かしらの観察眼は鋭い。表情、声音、仕草に出せば嘘はたちまち見破られる。だが、今のはうまくいっているはずだ。


 もう一度、かしらの顔を見る。ふと、かしらの顔が驚きに満ちた表情に変わっていく。かしらだけではない。シオンの顔も意外なものをみる表情になっている。サキが後ろを振り返ると、そこにはヴァンが立っていた。

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