第70話 追跡

 サキはクワトロが預けられた農家へやってくる。


「サキ!」


クワトロがサキが抱いている子供に気付く。


「すまないが、この子に家畜の乳をやってくれないか」


 クワトロは子供とサキの関係が気になったに違いないが質問はせず、「家畜の乳より人の母乳のほうがいいだろ?ここの奥さんは赤ん坊がいるから乳が出るんだ。もらえるようにお願いしてみるよ」クワトロが農家の女房のことろへいって口をきく。


「なあ。乳を飲ませてやってくれよ」女房が泣き叫んでいる子供に乳を与えると子供は夢中で吸った。そしてたっぷりと飲んだ後、泣き止んで眠った。


「ああ、よかった」


 サキは疲労と安堵から意識を失って倒れる。


***


 しばらくして粗末なベッドの上でサキが目覚める。クワトロがいう。


「夫婦を説得して、サキたちはしばらく滞在できるようにしたよ」


「ありがとう、クワトロ」


「当然だ。あんたは命の恩人だからね。俺にとってもここのおじちゃんおばちゃんにとっても」少し聞きにくそうにクワトロが聞く。


「その子は?」


「私の子ではない。ある人から託されたんだ」


「ジェンゴは一緒じゃないのかい?」


 クワトロは日頃からジェンゴに剣の稽古をつけてもらっていた。そのためジェンゴをよく慕っていた。ジェンゴのほうでもクワトロを自分の弟か子供のように可愛がっていた。


「ああ。少しわけがあってね」


「喧嘩でもして家出してきたの?」


「ああ。そんなところだ」


***


 “谷”の者らにはサキを捜索するようにかしらから命令が出た。エミリアはサキの裏切りに衝撃を受けていた。サキは“谷”を裏切り、王妃を窓から突き落として殺害し、子供を誘拐して逃走した。


 あのときサキが抱いていた子はティアナの子だったということだ。信じられない思いだ。一体何があったのだろうか。何か事情があったはずだ。


 全員総出での捜索がはじまった。かしらの命令は絶対だ。いまはとにかくサキの行方を探すしかない。エミリアはひとり他の“谷”の者から離れていくジェンゴの背中をみた。


***


 ジェンゴにはある考えがあり、単独でサキの捜索をしていた。王都の北にある中規模の街に来ていた。


 サキが頼るのはクワトロが預けられた農家のところだろう。この農家のことはサキとジェンゴ以外、“谷”の他の者は知らない。しかし長居はせず、すぐに遠くへ逃げるはずだ。


 あそこから遠くへ旅に出るなら、この街を経由するはずだ。ここでは市場も開かれていて旅に必要なものがひと通り揃えられるし、あちこちへ向かう馬車が拾える。そう睨んでここで見張っていた。


 ジェンゴはそれらしい赤子連れの女を見つけ、後を追いかける。遠巻きに顔が見えるが別人だった。立ち去ろうとするが、あることを思い付いて女に話かける。


「ご婦人。ちょっとお願いしたいことがあるんだが」


***


 ジェンゴはその後も辛抱強く待つと、ついに探していた人があらわれた。今度は間違いない。サキだ。ジェンゴがサキを尾行する。


 サキは市場を見て回った後、路地裏へ入っていく。見失いそうになり、あわてて追うジェンゴ。


 ジェンゴが路地裏に足を踏み入れると、サキは姿を消していた。ジェンゴは薄暗いなかを慎重に進んでいく。樽が積み上がった物陰の前で立ち止まる。


「いるんだろ?」


 剣を抜いたサキが物陰から姿をあらわした。


「尾行に気付いていたのか」


「尾行や追跡は苦手だったな、ジェンゴ」


「だが剣の腕は俺が上だ。お前と手合わせして負けたことは一度もない」


「だがこの場所ではどうだ?お前が得意な大剣は振り回せないぞ」


(誘いこまれたか)


「私の剣術はこのような場所でこそ真価を発揮する」


 ジェンゴが大剣を抜く。サキも構える。ここから先、一瞬でも気を抜けばすぐ死につながる。ジェンゴの剣術は一見その体躯を活かした単純な剣術に見える。強くて速い攻撃で敵を圧倒するのが主な戦法だ。


 しかし、ジェンゴの剣は無駄な動きがなく、正確に相手の急所を突く技術もあり、変幻自在で多彩な技も持っている。相手の弱点を見抜き、最適な戦い方に切り替える戦術眼も備えている。


 多くの敵はジェンゴがそうした技を出す間もなく斬られるため、力で押し切る剣術にみえるのだ。強くて速い剣に加えて多彩な技を繰り出しはじめたジェンゴはもはや手がつけられない。それを熟知しているサキは狭い路地に誘い込むことでその多彩な技を封じた。


 ジェンゴが大剣を縦に斬りつけてくる。単純に強くて速い。サキは間合いを読んで紙一重でかわす。すぐさま突きが来る。サキは上体を倒してこれも紙一重でかわし、そのまま後転して体を起こし、剣を構える。多彩な技を封じたおかげで攻撃は読める。防御に徹すればそう簡単に当たらないだろう。


 しかしそれでは勝てないことがサキにはわかっていた。ジェンゴのもうひとつの武器はその無尽蔵の体力だ。ジェンゴの得物は、大男でも数回振れば息を切らしそうな大剣だ。ジェンゴと対峙した相手は体力の消耗を狙うことを考えがちだ。


 剣を何度も空振りさせていれれば、遠からず息が切れて隙ができるだろうというわけだ。実際まともに立ち合うと不利な怪力自慢の大柄な相手には有効な戦術だ。サキもジェンゴとの立ち合いで、何度か逃げ回って消耗戦に持ち込んだことがある。しかし、ジェンゴの持久力と、無駄のない動きが体力の消費を防ぐことがあいまって、結局サキがスタミナ切れで降参することになるのだった。


 逃げ回っていても先に力尽きるのは自分だ。反撃に転じなければ。ジェンゴのわずかな隙を狙っての素早い攻撃。ジェンゴの腕を引っ掻いた。かすり傷だ。それでも。今度はジェンゴの縦斬りを躱し、突きを繰り出す。踏み込みが甘く、ジェンゴが素早く身を引いたため肩口を小突いただけだ。剣先にもわずかに血がついている。


(いけるかもしれない)


 サキはジェンゴとの立ち合いでこれまで感じたことのない手ごたえを感じていた。ジェンゴの攻撃をかわしながら、わずかずつにでも確実にダメージを与えていく。一つ一つはかすり傷に過ぎないかもしれないが、それが幾つも合わされば確実にジェンゴの体力を奪うはずだ。しかし、薄氷の上を歩くような戦いに違いない。こちらがひとつでもミスを犯せば、ジェンゴの必殺一撃で一瞬のうちに勝負が決まる。


 ジェンゴの足を狙った突きを後ろに飛びのいてかわす。ジェンゴはすかさず剣を上に引き上げるが、サキはそれも読んでおり、横に身をかわしながら、ジェンゴの脇腹に横なぎの剣を放つ。浅い。しかし、ジェンゴの脇腹に赤い線ができる。その後もジェンゴの攻撃をサキが紙一重でかわしながら、浅い攻撃を確実に与える展開が続く。サキはジェンゴの攻撃の何度かに一度できるチャンスに浅いながらも数度の攻撃を加えることができた。


(このままいけば)


 サキが楽観的になりかけたとき、ジェンゴの剣をかわしたサキがわずかにバランスを崩す、そこにジェンゴの連撃が襲い掛かる。サキは咄嗟に後ろに身を退くが、かわしきれずやむなく剣でジェンゴの剛剣を受け止める。後ろに退きながらであるので、まともに受け止めたわけではないが、サキの腕はしびれ、感覚を失った。


(まずい!もう一撃受け止めたら剣を取り落とす)


 受け止めた衝撃で足元もバランスを崩している。次の攻撃はかわすことができない。剣で受け止めるしかない。しかし受け止めれば剣を落してしまう!勝負は決まった。サキは死の覚悟を決める。

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