第37話 一報
王宮へ駆け込んできた使い番は、泥まみれだった。清掃婦はひそかに舌打ちした。使い番は綺麗に掃き清めた床の上に泥まみれの靴で踏み込み駆けていく。
清掃婦はため息をついた。
(また掃き直しじゃない)
勝利を知らせに来た使い番だろう。今度の戦は陛下が圧倒的に優位で勝利は確実だと聞いている。使い番はその役目上、このような無礼を見逃される。お偉方にいち早く重大な知らせを伝えるためだというが、自分にとっては迷惑なだけだ。そんな分かりきった報告を急いでする必要があるのか。せめて靴の泥くらいはらってからでは遅いのか。清掃婦はもう一度大きくため息をついて、使い番が汚した床を清めはじめた。
***
使い番は礼を省略して報告をはじめた。
「わが軍は敗れました!国王陛下は行方不明、元帥閣下は戦死。敵はこちらへ向かっております!」
クラレンスは使い番の報告を呆然として聞いていた。彼は「評議会を開き、対応を協議する。皆を集めよ」と命じるのがやっとだった。
評議会に大法官、大蔵卿、密偵頭が集まる。それだけでは軍人がいないため、近衛騎士団の副団長ミゲルが呼ばれた。陪席にはシオンとニコロも控えている。ミゲルが状況を説明する。
「王都の守備隊だけでは勝ち目はなく、戦えば勝ち目は薄いでしょう。今、王都の守備は歴史上かつてないほど薄くなっています。王都を守る守備隊に近衛騎士団長の息がかかった者が多く、近衛騎士団長に従って敵方に従っているからです」
ディミトリィが提案する。
「諸侯に王都を守るように指令を出しますか?」
クラレンスは首を横に振る。
「指令を出しても多くは集まらないでしょう。ライオネル陛下は亡くなったと口々に言っています。王の遺体を見たと証言する者も」
「我々は確認できていません」
モーゼフが割って入る。
「もはや既成事実になっています」
「敵の流言かもしれません」
「敵? 王太子は敵ではなく今や我々の君主なのでは? そう。そうなのです。ハンス王太子殿下の軍を受け入れては?」
クラレンスが面々を見渡す。
「開城して降伏するのですか?」
シオンの問いに、クラレンスが反駁する。
「降伏ではない。陛下は行方不明ということだが、状況から考えて十中八九亡くなっておられる。であればこの城の城主は誰だ? 王太子殿下だ。だから受け入れるのだ。城の主に対して門を閉ざすことはできない」
「しかし、王都の市民はツン族を王都に入れないように要求しています。市民たちはツン族がアルヴィオン国内のあちこちで略奪を働いたことを知っていて、自分たちにも同じ目にあうと恐れているのです。降伏すれば市民は――」
「だからと言って戦えば、我々の命はない」
「私も開城すべきだと思います。交渉して王都で略奪を働かないことを条件として飲ませた上で、開城しましょう」
大蔵卿がクラレンス側につくと、結論は開城に傾いた。だが、問題は残っていた。
「非常に難しい交渉です。ツン族が通った街や村は例外なく略奪されています。略奪を報酬として与える。それが奴らのやり方であり、伝統なのです。敵方に圧倒的に有利な戦況で、その条件を勝ち取るのは至難の業でしょう。誰が交渉役になりますか?」
シオンの問いに、大法官も大蔵卿も黙って下を向いてしまった。もちろん危険な役回りだ。敵の実質的な指揮官であるユリヌスの残虐性は皆知っている。下手をすればその場で首が飛ぶ。
そのとき、ティアナが入ってくる。モーゼフを除く全員の視線が彼女に集中する。
「わたしが弟と話をするわ。父も母も元帥もいない今、都の民を守るのはわたししかいない」
***
逃げた領主たちは、自分の領地に戻って様子見をはじめた。ライオネル王は戦死したらしいという噂も流れた。それはユリヌスが流した噂でもあったし、自然発生した嘘言でもあった。王がいっこうに姿をあらわさないことが、その噂を確からしく思わせた。
戦の後すぐに王太子に臣従し、王太子の軍勢に合流する貴族もちらほらいたが、はじめは少数だった。潮目が変わったのは有力な公爵であるオルセイが王太子に臣下の礼を取ってからだ。それをきっかけに、諸侯は先を争うように王太子に臣下の礼を取った。領地が近い者は、王都へ進軍する王太子の軍勢に加わった。そのため王都へ向かう王太子の軍勢は二万ほどになっていた。
その王太子の軍勢が王都に到着し、包囲した。城壁からティアナとサキがその軍勢をみている。ティアナがつぶやく。
「弟を止めなければ」
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