第77話 投げかけ

 アーロンは王宮から少し離れたところにある厩舎へ向かった。厩舎で働いている小僧に厩舎長の所在を聞くと、幸い厩舎長は馬の世話の最中で、すぐにつかまった。アーロンはさっそく本題に切り出した。


「お前は幼少のころの陛下とは親しかったのか?」


「へい。陛下は馬術を好まれましたから。馬屋には愛馬の様子を見によくいらっしゃっていました」


「ライオネルは宮中の人間を総入れ替えしたはずだが、何故お前は宮中に残ることができた?」


「ライオネル様がここの良馬までは入れ替えることはなさりませんでした。ライオネル様も良馬を手元に置いておきたかったのでしょう。ここの馬たちは私によく懐いていました。私が落ち着かせないと手がつけられない馬もおりましたから。それで私は宮中に残ることになったのです」


「タロスという者がお前に会いにきただろう?」


「へい」


「何を聞かれた?」


 厩舎長はあまり答えたくなさそうだったが、しつこく聞くと白状した。


「成人された陛下を再び見たときの最初の印象です。私は幼少のころの陛下をよく知っている王宮では数少ない人間ですから。タロス様は、成人された陛下をそうと知らずに見たとき、陛下だと思ったかとお尋ねでした」


「それで、どう答えたのだ?」


 厩舎長は少し困った様子で頭を掻いた。


「いやあ。それが。今でも信じ難いのです。こんな不敬なことを申し上げるのは気が引けるのですが、陛下があの王太子殿下だという実感がないのです。いや、確かによく似ていらっしゃる。声もそっくりです。何が違うと聞かれても答えられないのですが、とにかく違うのです。子供のころの陛下と今の陛下で同じ人だと思えないのです。子供が大人になるということはそういうことなのかもしれませんが。それに」


「それに?」


「子供のころの陛下は私のような下賤の者にもよく声を掛けてくださいました。思い上がりかもしれませんが、特に私とは親しくお喋りをなさいました。しかし今の陛下は素っ気なくて、私のことなどすっかりお忘れのようで」


 厩舎長の表情が一瞬暗くなったが、笑顔を作って話を続ける。


「いや、そもそも王族の方は私のような者に親しくされるほうがおかしかったのかもしれません。変な期待をする私がいけないのでしょう」


「タロスからは他に何か聞かれたか?」


「へい。私以外に王宮に古くからいる者は誰があるかと。それで、何人かご紹介いたしました」


「その者たちを私にも紹介してくれるか」


***


 それからアーロンは、厩舎長に紹介された王宮の住人たちに話を聞いてまわった。彼らはやはりタロスに成人した陛下をそうと知らずに見たとき、陛下だと思ったかと尋ねられていた。彼らはいずれも別人だと感じたようで、今でも違和感がぬぐい切れない様子であった。


 この結果を踏まえてアーロンは考えた。タロスは一体何を調べていたのか、アーロンにもはっきりと見えてきた。


 タロスはウェンリィが偽物だということを疑い、それを調べていたのだ。


 おそらく厩舎長たちの話を聞いてタロスはウェンリィが偽物ということを確信したのだろう。そしてそのことを自分に伝えようとしたのではないか。しかしそれをに知られ、口封じのために消されたのではないか。


 しかし本当だろうか。確かにアーロンはごく短い期間しか幼いウェンリィと過ごしていない。それに比べて今回話を聞いた者たちは幼少のころのウェンリィをよく知る者たちだ。その者たちが、幼少の王太子と今の陛下とは別人だという印象を持っている。


 どちらの目が正しいか、客観的に考えれば明らかだ。そしてアーロンが殺されたことが、何より真実を示しているのではないか。陛下が偽者だということが事実無根なら、タロスを殺す必要はない。


 アーロンは受け入れがたい現実を消化しきれず、苦悶する。自分が信じてきたこと、自分がよって立ってきたことが何もかも崩れる。


 おそらく、私の目は曇っていたのだ。私は信じたかったのだ。私が死ぬべきだったあの夜、生け捕りにされた。あの夜王子を守って死んでいれば名誉は保てたのに、生き長らえてしまった。


 牢獄の中、私は誇りも名誉もすべて失った。ウェンリィ様の遺体は顔が焼け判別できなかったと聞いたとき、ウェンリィ様が生きているという可能性に縋るしかなかった。王子が死んだなどという話は受け入れることができなかった。私の存在価値は王子を守ったということしかなかったのだから。


 そして盲目的に信じたのだ。自分が信じたいことを。牢獄の生活を生き抜くには、その希望にすがるしかなかった。いつかウェンリィ様があらわれると信じて、それを心の拠りどころにするしかなかった。長い獄中生活を生きていくには、何か心の拠りどころが必要だ。


 私にとってはそれがウェンリィ様の生存だった。いつかウェンリィ様が父上の無念を晴らすためにあらわれる。そのときにお仕えしなければならない。それが生きる意味だった。それを失えば私は生きていくことができない。だから時間を経てその信仰はより盲目的になり、絶対的な教理になった。獄中で体をなまらせず、準備を怠らなかった。


 偽者がウェンリィを名乗ったとき、私はすべてが報われた気がした。私はサルアン様に与えられた使命を守れたのだ! 生きている意味があった! 騎士としての名誉を守れた! 獄中生活の苦しみのすべてが一瞬にして帳消しになるほどの喜びが胸に満ち、光が目の前に差した。あのときウェンリィ様が本物か疑ってかかることなど不可能だった。


 もうこれ以上この件を調べることはよそうか。もちろんウェンリィ様が偽者だったということを受け入れるのは困難だ。だが、私にとってさらに受け入れ難いのは、私が本物のウェンリィ様を救うことができなかったということだ。それを認めることはあまりに苦しい。


 タロス、お前が投げかけたものはあまりに重いぞ。

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