第23話 結婚

 もうすぐやってくるはずのドーラのセフィーゼ王女を出迎えるため、王都の北門で、ハンスは供の者たちと王女を待っていた。ハンスは気が気でなかった。というのも、自分の婚約者に関する人々の噂話を聞いてしまったからだ。


「信じられないような醜女らしい」


「女ながら全身に毛が生えているそうだ」


「猪と馬をかけあわせて生まれた子のような顔をしているらしい」


 そんな話がハンスの耳にも入ってきた。ドーラは武骨な気風で知られる国だ。かの国では女も男のように逞しいらしい。しかも父親はあのハラゴン王だ。生きた伝説の武人だ。会ったことはないが、とんでもない大男だと聞いている。その娘となれば、噂が根も葉もないものとは思えない。ハンスは猪と馬の子のような顔を想像してみたが、胸くそが悪くなっただけで、なんの慰めにもならなかった。自分がこれまで密かに憧れた王宮の美しい貴婦人たちを思い出して悲しくなった。しかし父が決めてしまった結婚だ。自分に断ることなどできない。


 馬車がやってきた。


 ハンスは覚悟を決めた。馬車から降りてくるのが猪でも驚かない。馬車から女が降りてくる。ハンスは息を飲んだ。女は美しく、腕には毛など生えていなかった。女の美しい髪が揺れた。女はハンスに近づき、恭しくお辞儀をする。


「お初にお目にかかります、殿下」


 ハンスは言葉が出ない。


「どうかされました?」


 ようやくハンスが声を絞り出すことに成功した。


「い、いえ、王女が想像以上に美しく、み、見とれていたのです」


 セフィーゼは悪戯っぽく微笑みながら推量する。


「私がどのように噂されているかは聞き及んでおりました。全身に毛が生えているとでも? 人々の噂などあてにならぬものです」


***


 ヴァンは休憩中に街へ出て連絡役のフレドと落ちあい、かしらと連絡を取っていた。この日もヴァンが街から帰ってきて、サキ、ジェンゴに告げる。


「ライオネルの病状をかしらがクルセウスに報告したが、クルセウスはどうもすでに知っていたらっしい。つまり、俺たちとは別の情報源をこの王宮に持っているようだ」


「他にも密偵がいて、王が狂ってるって話はそっちから聞いて知ってた。そのうえで、その情報が正しいか俺たちを使って調べたってことか?」


「ああ」


「じゃあ俺たちは裏取りのために使われているだけってことか?」


「ああ。そして俺たちが信頼できるか確かめたのかもな」


「気に入らねえな。不愉快だぜ。そんな扱いされてかしらは怒ってないのかよ」


かしらも不愉快だろう。だが大きな報酬が約束された依頼主だ。我慢するしかないさ……さて、そのかしらから次の任務について指令がきた。国庫の財政状況と金の流れを調べろ、可能なら帳簿の写しを手に入れろ、だと」


 ジェンゴが頭を抱える。


「一番苦手な分野だぜ。お前らに任せた」


「サキ、やれるか?」


***


 大蔵卿の執務室の前にサキがやってくる。執務室から出てきた男たちが愚痴を言い合っているのが聞こえてくる。


「あのネズミめ!」


「あのような下賤の者が偉そうにふんぞり返るなど、忌まわしいですな!」


 男たちとすれ違い、サキが執務室に入る。執務室に大蔵卿の姿はなく、助手が机にむかって執務をこなしていた。子供のような背丈に数えるほどしか髪が生えていない頭が乗っている。


「君は、たしか王女殿下の護衛の」


「忙しいようだな」


「ああ。王族同士の結婚式となると、出費は膨大だ。膨大な支出のための事務、その金も工面しなくてはならない。何の用だい?」


「式のために王女のドレスを新調したいが、そのための予算を大蔵卿に相談したい」


「閣下はご不在だ。私は助手のニコロだ。私に言いたまえ」


「財務の管理は大蔵卿の権限では?」


「実際の管理はすべて私に一任されている。大蔵卿は数字がお嫌いでね」


(この男が影の大蔵卿というわけか。)


 サキはドレスの見積り予算が書かれた紙を渡す。ニコロは紙を一瞥して苦い顔になる。


「とても出せる金額ではないな」


 そう言ってニコロは紙に何か走り書きする。


「この職人に依頼するといい。倉庫の着なくなったドレスの生地を使わせろ。

そうすればこの金額まで値切れる」


 サキは紙を受け取った。


「結婚とは教会に正式に認められた司祭を立会人として、当事者二人が神と互いに誓うことだけで成立するものだ。教会でもそう定めている。それ以外のものはすべて本来不要なものだ。祝福する人々も瀟洒なドレスも豪華な食事もすべて飾りに過ぎん。素っ裸の新郎新婦が、素っ裸の司祭の前で誓え合えばそれで結婚式は終わりだ。他のものは本質的には不要な飾りだ。ならば財政状況が芳しくない今、飾りに大きな費用を割くことはできん。不服かね?」


 先ほどの男たちもこんな感じで断られ、部屋を追い出されたのだろう。


「いや」


「よし。ところで君は男の恰好をして男のような仕事をしているが、今度の結婚式では君もドレスを着るのかね?」


 想定していなかった問いに、サキは少しうろたえながら答える。


「いや。このままだろう。ドレスなど着たことがない」


「貴族の女たちのようにドレスを着てみたくはないのかね?」


考えたこともなかったが、

「そうだな。一度くらいは」

素直な言葉が口から出たのはサキ自身も意外だった。


 答えた後で恥ずかしさがこみ上げてきて、あわててサキは本来聞きたかったことに話題を変える。


「そんなことより以前から聞いてみたかったことがある。この国の国庫の不思議だ。普通収入と支出は一致するはずだろう。ところがこの国の国庫では支出のほうが多い。一体どんな魔法を使っている?」


「支払いまでに時間を作る。王の力を背景に脅したりしてね。その間に金を商人に貸し出して利子を得るのだ」


「そうやって作った余剰の資金で貧しい者に施しをして、民のために堤防を築き、橋を造るのだ。王の善政の評判をそうして支えている」


「王宮ではあんたを悪く言う者も多いみたいだが」


「財布の紐を握っている人間というのは嫌われるものだ。家庭でもいっしょだろう。私は貧しい出自でね。おまけにこの体だ。ここでは蔑まれ、嫌われているが、民のために誰かがしなければ」


「どういう経緯で王宮に来た?」


「父はおらず母親に育てられた。街の商人のところで修業していたが、ディミトリィ様の御父上に登用された」


「さっきの男たちは?」


「目先の金が足りないこちらの足元を見て、国の徴税権を買い取ろうと申し出てきた者達だ。連中に徴税権を売ったらどうなると思う? 私兵を使うかならず者を雇ってあこぎな取り立てをする。棒で打ち、貧しい民からすべてを剥ぎ取っていくのだ。そんなことを許すわけにはいかない。なんとか金を工面するのだ」


 似た境遇のためか、小柄で横暴さと無縁の体が警戒心を解かせるのか、サキはニコロに好感を持た。そして調査したことを報告することに後ろめたさを感じていた。


 「何か手伝おうか?」


 サキがニコロに聞く。


「ではそこの棚の古い帳簿を取ってくれ」


 ニコロは顔を手元に落とし、何か書き物をはじめた。サキは書棚にある帳簿を手に取った。


「何色の帳簿だ?」


「赤い表紙のやつだ」


 迷うふりをして別の帳簿を手に取る。最新の帳簿だ。中を開いて最新の頁をみる。その文字と数字を頭に焼き付ける。


「どうした? どれかわからないか?」


「あ、いや。わかった」


 サキは最新の帳簿を棚に戻しつつ、赤い表紙の帳簿を取ってニコロへ渡す。用は済んだのでさっさと切り上げたい。サキは大蔵卿の執務室を辞した。


 ヴァンとジェンゴが待つ部屋に戻ったサキは、黙って机のほうへ行って座り、机の上に用意されていた紙に記憶した文字と数字を書き写しはじめる。ヴァンとジェンゴも黙って見守っている。サキが書き写し終わり、深い息を吐く。


「終わった」


 ヴァンが聞く。


「正確か?」


「覚えるための時間は短かったが、大丈夫だ」サキは紙をヴァンに渡す。


***


 アルヴィオンの王太子ハンスと、ドーラの王女セフィーゼの結婚式が華やかに行われた。ハンスが幸せを隠しきれない様子で人々に祝福されている。


 国王と王妃、そして大勢の貴族や廷臣らが見守る中、大司教の前でハンスとセフィーゼが結婚の誓いを立てる。大司教が愛について長々と説教をするので、豪華な料理を目の前におあずけをくらった人々はじりじりしていた。ようやく説教が終わり、次は待ちに待った祝宴の開始だ。だが異変はその直後に起こった。


 国王が立ち上がって杯をかかげ、祝宴のはじまりを告げるはずだ。人々は国王に注目し、彼の言葉を待つが、ライオネルは座ったまま動かない。隣の王妃が肘に触れて促そうとするが、王妃は異変に気付いた。ライオネルはうなり声をあげ、突然四つん這いになり、駆けだした。


 シオンとともに参列していたヴィドーは、シオンのほうを振り返った。


 「陛下を隣室へ移動させるぞ」


 参列者らは呆然として事態を見守っている中、ヴィドーはシオンとともに王のもとへ駆け寄り、ライオネルを抑えにかかる。ライオネルは激しく暴れ、ヴィドーの腕に噛みついた。それでもふたりは何とか抑え、噛みつかれたまま王を抱えて退席する。隣室へ王を移動したふたりの耳に、隣から人々の騒然とした声が漏れ聞こえてくる。


「陛下のご病気とはまさか」


「なんということだ」


「ご乱心の気があると聞いたことはあるが」


「噂に過ぎないと思っていたが、本当だったのか」


 人々がざわつくなか、王妃が取り繕おうとして立ち上がる。


「陛下は体調がすぐれないようです。裏でお休みになられますので、どうか皆様はふたりの若者を祝い、楽しんでください」


 あでアデレードのその言葉で一応その場はおさまり、参列者は料理に手をつけはじめはしたが、人々の動揺はくすぶり続けた。

 

 隣室でヴィドーはびっしょり汗をかきながら、シオンに苦り切った顔をむける。


「この国の最重要の機密が、公の場で大勢の人間に見られてしまった」

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