第10話 評議会

 シオンが王宮へやって来てから、はじめての評議会が開催される。ヴィドーが部屋の扉を開けると、すでに出席者の面々が揃っていた。立派な卓を囲んで座っている評議会の構成員と、その背後の陪席に座る助手たちの視線が一斉にこちらへ集まる。シオンはヴィドーからも事前に聞かされていた彼らの顔を確認していく。


 入口からみて右手奥に座るのは大法官のクラレンス。茶色の髪に、疑りぶかそうな顔。この男がヴィドーの政敵だ。


 その隣は大蔵卿のディミトリィ。黒く細長い口ひげをたくわえた男。朝から一杯ひっかけてきたようで、酒気を帯びている。この男はクラレンスの太鼓持ちだ。


 入口からみて左手側、大蔵卿の正面に座るのは近衛騎士団長のマチス。撫でつけた金髪に、鋭い眼。この中ではおそらく一番若い。現在はヴィドーと協力関係にある。そして……11年前にライオネルの謀反に協力して彼を王にした男だ。


 大蔵卿の隣は密偵頭のモーゼフ。全盲の老人で、不気味な雰囲気を漂わせている。この老人にもライオネルの王位簒奪に協力した噂がある。


 部屋の正面一番奥は王の座席。今は空席だ。


 ヴィドーは大法官の向かいの元帥の席に座る。シオンはその背後の陪席に座る。


 シオンは陪席に座る者たちにも目を走らせた。大法官の背後には分厚い行政記録を携えた助手の男が座っている。


 密偵頭の背後には陰気な表情の大男がいる。濡れた落ち葉のような黒い長髪が頭に張り付いている。


 大蔵卿の後ろに黒い衣をまとった禿げ頭の小男がいる。この男のことはヴィドーから聞いて少しだけ知っている。ニコロという名で、数字が得意でない大蔵卿に代わって国の財政管理の実務を取り仕切っているという男だ。


 クラレンスが口火をきる。


「さて、国王陛下が執務不能な状態が長く続いており、国の統治がままなりません。すでにお聞き及びだと存じますが、先日ハンス王太子殿下を乗せた馬車が賊に襲撃を受ける事件も起こりました。幸い殿下はご無事でしたが、賊どもが国の混乱に乗じたのかもしれません。治安の悪化がはじまっている恐れがあります。これ以上、国の統治者が不在な状況を続けるわけには参りません。ただちに摂政を置くべきです」


 クラレンスは咳払いして続ける。


「本来であれば王位継承者であるハンス王太子殿下が第一候補ですが、成人しておられません。王太子殿下の成人されるまでの期間、王妃殿下が摂政に就任されるべきところですが、王妃殿下はまつりごとにご関心がなく摂政への就任を拒絶されております。統治法の定めるところによれば、このように王族に摂政の適任者がいない場合は、本評議会の推薦に基づいて大法官たる私が指名することになっております。本評議会は可及的速やかに摂政を任命する必要があります。誰か摂政に推薦できる人物はいないものでしょうか」


 大蔵卿のディミトリィがすかさず立ち上がって「私も昨夜、一晩中それを考えておりました」と、部屋の中を歩き回りはじめた。


「摂政に推薦できる人物……。この国のかじ取りを託すことができる人物……。誰が最も相応しいか……。当然統治の経験が豊かで、人をまとめる実力が求められます。私は一晩中悩み続けました。そしてひとりの人物に思い当たりました。その方は統治の経験が豊かで、人々の尊敬を集めておられる。偉大な国王陛下の代理にふさわしい方は、他ならぬクラレンス殿です。クラレンス殿が摂政に就任し、この国をお導きください」と事前の打ち合わせどおりクラレンスを推薦する。


「しかし、陛下の病状が回復するかもしれない」元帥が反駁する。


「宮廷医の見解では、回復する見込みは薄いとのこと。私も陛下の回復を心からお祈りしておりますが、摂政の任命はやむを得ないかと」大蔵卿が口を挟む。


「さて、指名権は大法官である私にありますが、誰を指名すべきか思い悩んでいます。誰が適任でしょう?」クラレンスが問う。


「大法官閣下ご自身が適任かと」と大蔵卿。示し合わせていたのだろう。


「しかし……」


 まずい状況を元帥が阻止しようとするが、二の句が次げない。


「過去、若年でない王の存命中の摂政叙任はどのような状況下で認められてきましたかな」と密偵頭。


 クラレンスの得意分野だ。


「150年ほど前、ニコラス賢王が病で執務不能になられたとき、王の片腕だった宰相ウォルターが摂政として国を統治し、王と変わらない善政をしいたそうです。今回の状況にそっくりだ。名摂政として歴史に名を残している」


 大蔵卿がすかさず合いの手を入れる。


「まさしく。クラレンス殿が現代のウォルターとして歴史に名を刻んでいただかなければ」


「お待ちください」


 盲目の密偵頭を除き、全員がその声の主であるシオンに顔を向ける。


「何か?」


 クラレンスが笑顔で聞く。


「恐れながら……摂政と大法官との兼任は認められておりません」


 クラレンスの笑顔が消えた。


「何を言い出すのです?」


 シオンはちらりとクラレンスの表情を見たが、意に介した様子もなく続ける。


「220年前、当時の国王エクリノアスは大法官が自ら摂政に任命することを禁じた王命を発しています。王が幼少のみぎり、大法官が自らを摂政に任じ、政治と法を思うがままにし、専横の限りを尽くしました。成人して親政を開始された王は摂政を追放し、今後永久に摂政と大法官を同じ人物が兼任することを禁止されました。その王命は現在に至るまで有効なままです」


「本当か?」


 クラレンスが背後の助手に聞くと、助手は慌てて分厚い行政記録をめくる。


「た、確かに、その王命が発せられたという記録はあります。ですが、70年前に統治法は改正されており、過去の法は無効になったはずです」


「その改正には例外があり、王命は除外されています」


「本当か!?」


 再び助手が行政記録をめくる。だが、どこを見ればよいかわからず右往左往している。シオンが声をかける。


「第37条をみてください」そう言われて助手が行政記録に目を落とす。


「たしかに無効とする法や命令から王命を除外するとありますが、これは改正時の王の発した王命を除外する趣旨であり、220年前の王命のことなど」


「しかし、そうは読めません。すべての王命と解するべきです」

「そんな昔の命令はとっくに無効になっているはずだ!」


 頭に血がのぼった大法官が声を荒らげたが、シオンは冷静に切り返す。


「では行政記録を確認してください。王命は220年前に有効となっており、現在に至るまでその王命を取り消した記録はありません。大法官閣下が大法官の職を辞任されれば摂政への就任が可能になりますが、その場合は大法官が空席になりますので、摂政の指名権は指名権第2位の元帥へ移り、元帥閣下が摂政を指名されることになります」


 大法官は言葉を失った。


 旗色がよくなったヴィドーが余裕の表情で割って入る。


「行政記録を確認する必要がありますね。少なくとも、今日、摂政就任を承認するわけにはいかなくなりました。さあ、大法官閣下、行政記録の確認に取り掛かってください。何日かかりますか? 記録は220年分あります」


 評議会が終わり、元帥が上機嫌でシオンを連れ立って部屋を出ていく。


 執務室に戻った元帥は破顔し、後ろからついてきていたシオンのほうに

振り返る。


「でかした!」


 元帥が上機嫌でシオンを褒めたたえる。その様子をみていたマッセムは小さく舌打ちして執務室を出て行った。


***


 その夜、王宮の図書室で勉強していたシオンのところに、密偵頭の小間使いがたずねてきた。


「シオン様、お勉強中のところ申し訳ございません」


「何でしょうか?」 


「密偵頭がお呼びです」


(モーゼフ殿が俺に何の用だ? 元帥に報告すべきか? ……いや)


***


 シオンはヴィドーには報告せず、直接密偵頭の執務室にやって来た。


「何のご用でしょうか」


 椅子に腰かけた密偵頭の後ろには例の陰気な表情の助手が立っていた。立っているとかなりの大男だとわかった。密偵頭が話をはじめた。


「呼び出して申し訳ありません。誰にも聞かれずに安心して話せる場所がよかったのです。それに私はこの目だから自分から出向くのはなかなか難儀でしてね」「どうぞお気になさらず」


 シオンはこの密会の意図をはかりかね、相手の出方を待った。


「シオンと言いましたね。元帥閣下はよい懐刀を手に入れたようですな」


「……」


「年はいくつになりますかな?」


「……21になります」モーゼフは口元を緩ませた。


「年齢を偽るかと思いましたが。つまらない嘘は吐かないわけですか。関心、関心」


 シオンの心臓が高鳴りはじめた。彼の動揺を光を失った目で見透かすように密偵頭が続ける。


「嘘の要諦は、肝心なこと以外は真実を語り、真実の森の中に嘘を隠すことです。周りも嘘で固めた嘘はすぐに暴かれますから」


「何がおっしゃりたいのですか?」


「11年前、この国にとって最も大事だった若者が亡くなりました。生きておられればあなたと同い年になります」密偵頭の表情も口調は穏やかなままだ。


 ここで密偵頭に襲い掛かったらどうなるか。枯れ木のような体つきの盲目の老人だ。難なく倒せるだろう。問題は介添人だ。この陰気な介添人はどれほどの技量の持ち主なのだろうか。帯剣している。護衛役だけに腕も立つだろう。こちらは素手だ。さすがに素手で立ち向かうのは無謀か。


「サルアン王の嫡子、ウェンリィのことですか?」


「そうです」


 シオンは老人の答えに息を飲んだ。この老人がこのことを誰かに話せば自分は捕らえられ処刑される。この老人に命を握られたのだ。しかしその恐怖を努めて隠し、反撃を試みる。


「あなたは11年前、ライオネル王の王位簒奪を手助けしたのでは?」


「ほう。それはどういうことですかな?」


「噂を聞きました。あなたが、前の近衛騎士団長の悪い噂を流して失脚に追い込み、現団長のマチス殿の団長就任を助けたという噂です」


「噂……ですか」


「噂です。しかし、辻褄は合います。ライオネル王は王宮を奪った後、徹底的に王宮の中の人員を入れ替えました。サルアン王の息のかかった者はほぼ全員が王宮を追われました。例外は数少ない。その例外の一人があなただ。あなたは入れ替えられなかったばかりか、ライオネル王に重用されています。それはライオネル王の王位簒奪を手助けしたからでは?」


「もしその噂が本当なら、私は貴方の父上と母上の仇ということになりますね。困ったことです。私も貴方の復讐のリストに入っているのですかな?」


「……」


「我々は友人にはなれないようですな。今日のところはお引き取り下さい」


 シオンが踵を返して部屋を出ようとすると、その背中に密偵頭が言葉をかけた。


「用心なさることです。きっとすぐに王宮の恐ろしさを知るでしょう」


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