第102話 補足

 ニコロはうろたえた。マリウスはまっすぐとこちらを見据え、その指は自分に向けられているように見える。しかしそんなはずはない。誰か別の人物を指しているのではときょろきょろと周りを見渡すが、彼の付近にそれらしき人物はいない。マリウスの指は真っ直ぐと自分に向いている。


 マリウスのまったく想定外の行動に法廷内ははじめ水を打ったように静寂につつまれた。やがて誰かが何かをつぶやき、ふたりめが疑問を口にし、それが人々に伝染していき、法廷全体がざわつきはじめた。


 マリウスは生真面目で信仰心の篤い人として知られている。冗談を言うタイプではないし、冗談好きの男でもこの厳格な裁判の中では自重するだろう。皆がマリウスの意図を理解できず、困惑していた。


 呆気にとられていたレナードがようやく言葉を絞り出した。


「マリウス殿、貴公は誰を、誰を指しているのだ?」


「ニコロ殿です」


 指されているニコロも半ば口を開いたまま呆気に取られている。聴衆はマリウスがはっきりとした意図を持ってニコロを指していると知り、ざわつきは一層大きくなった。


「な、何を言っている? 私の質問の意味がわからなかったか? 私は正当な王位継承者を指し示せと言ったのだ」


「はい。ですから正当な王位継承者であるニコロ殿を指しております」


 マリウスがレナードのほうに向きなおった。


「ご説明が必要でしょう。先ほどとばした三つ目の報告をいたします」


 マリウスが淡々とした口調で話しはじめる。


「私は正統な王位継承者を調べるにあたって、最も重要な人物に話を聞きに行きました。ロデリック殿です。彼はサルアン様の古い親友です。サルアン様を最もよく知る人物といってもよいでしょう。その方からサルアン様の青年時代の話を聞きました。サルアン様は王妃と結婚されるさらに前、ある女性と関係を持ちました。そしてその女性と駆け落ちしました。結婚されたのです」


 アーロンは自分がロデリックときの会話を思い出した。あのときロデリックとこんな会話をした。


――しかしサルアン様の豊かな愛情は他にも注がれていたのです


――それはつまり


――サルアン様が愛された女性が、王妃様以外にもいました


――その女性というのは?


――身分は高くない街の女で、陛下が見そめられたようです。これ以上はどうかお許しください。サルアン様に、その女性のことは生涯秘密にすると約束したのです


 あのときロデリックの言った女性とは、サキの母エマではなかったということか。つまり、サルアンはサキの母エマに出会うもっと前、王妃と結婚するよりも前に、恋に落ちた女性がいたということか。


 マリウスが続ける。


「そしておふたりの間に、神は男子を授けられました。その男子こそ、ニコロ殿です。つまり、ニコロ殿こそサルアン様の最初の嫡男であり、王位継承者です」


 聴衆の一人が興奮気味に聞く。


「その女性は生きておられるのですか!?」


「残念ながら、ニコロ殿の母上はすでに亡くなっておられます。ですので――」


 唖然としていたいレナードが我に返る。


「証人は聴衆の質問には答えなくてよろしい! その結婚について、サルアン様の御父上は承知していたのか?」


「いいえ。サルアン様は両親に話しても反対されるだけだと考え、隠しておられました。つまり、秘密結婚でした。はじめは当人らと司祭と神のほか、ロデリック殿しか知らなかったそうです」


「馬鹿な! そのような結婚が正式に認められるものか! 子供の戯れではないか!」


「教会に認められた正式な司祭が立ち合い、当事者二人が結婚の意思を示せば正式な結婚です」


「証言者がひとりもいないのでは証拠にならぬ!」


「遠い地におられるロデリック殿には本裁判への出廷を丁重に断られましたが、先ほど申し上げた、秘密結婚に立ち会った司祭を連れてきています」


 マリウスの部下が老人を連れてくる。老人の姿をみて聴衆がざわつく。その姿は薄汚れた乞食そのもので、どう見ても司祭にはみえない。レナードが即座に言い放つ。


「見ろ! このような乞食、司祭ではない!」


「はい。おっしゃる通りです。この者は司祭ではなく、物乞いをして生活しております」


 マリウスがあっさりと認めたのでレナードは拍子抜けした。


「そうであろう!」


「しかしそれは現在の話。サルアン様とかの女性との結婚の際には教会が認めた正式な司祭であることを確認済みです。彼はその後身を持ち崩し、教会からは破門されて現在のような身の上になったのです。このことは大司教殿に裏付けていただきましょう。大司教殿、この方の顔をよくご欄ください。見覚えがありませんか?」


 言われた大司教は眉をひそめながら目を凝らして老人の顔をのぞき込んだが、ふいに大司教の表情が驚きの色を帯びた。大司教が戸惑いながら口を開く。


「その男を知っている。若いころ同じ教区にいた者だ」


「この方は正式な司祭でしたか?」


「ああ。十二年前までな。サルアン様の若いころは正式な司祭だった。よく覚えている。なぜなら、その男に破門を宣告したのが、他ならぬ私だからだ」


 大司教の言葉に再び聴衆がざわついた。マリウスが畳み掛ける。


「すなわち、当時は正式な司祭であった彼が立ち合い、当事者二人が結婚の意思を示したのです。正式な司祭の立ち会いのもと、当事者ふたりが結婚を誓い合った。それは紛れもなく正式な結婚の手続きです」


 聴衆が頭を整理するための間をおいてから、彼は話を続ける。


「もうひとつ調べたことがあります。ニコロ殿が王宮へ来られた経緯です。ニコロ殿はディミトリィ殿の父上に雇われ、仕えておられました。なぜ、ディミトリィ殿の父上に抜擢されたのかということを調べました。ディミトリィ殿の父上に仕えていた家令から聞きました。サルアン様の紹介だったのです。サルアン様がディミトリィ殿の父上にニコロ殿を推薦されたのです。算術に強く勤勉で気が利く子がいるから、見習いとして使ってほしいと」


 マリウスがニコロをみる。


「その家令も不思議に思ったそうです。当然でしょう。王太子が父親不明の身分が低い女の子供を推薦してきたのですから。しかし、その子供がサルアン様の隠し子であったのなら合点がいきます。見習いとして王宮に住まわせれば、近くで子供を見守ることができる。生活に不自由させることもありません。あるいはニコロ殿の母上がサルアン様に子供を王宮に上げてほしいと要望されたのかもしれません」

 

 ニコロは母親から聞かされたことを思い出していた。近所の子供らにいじめられて泣いて帰ったとき母親が彼を抱きしめてやさしく語った「お前の父親は高貴で立派なお方だ」という言葉を。片親であることを馬鹿にされて帰り、母にあたったときに悲しそうな顔をして母が言った「事情があって結婚するわけにはいかなかったのよ」という言葉を。


 幾度か、サルアンが執務中のニコロのところへ訪れ、言葉をかけれたこともあった。「国のためによく励め」と頭を撫でられた。「お前はサルアン様に目をかけられているな」といって不思議そうにする同僚たち。穏やかな笑顔で見守られていたこともあった。まさか。ほうとうに?ほんとうにサルアン様が私の父なのか。


 マリウスが傍聴者たちに聞かせるように告げる。


「話をまとめます。サルアン様とニコロ殿の母君の結婚は正式な結婚であり、ニコロ殿はサルアン様の嫡子、正式な世継ぎです。サルアン様とウェンリィ様の母君の結婚は重婚により、無効です。ウェンリィ様は婚外子であり、嫡子であるニコロ殿がおられる以上、承継順位はその下になります。つまり、そこに座っておられる方が本物のウェンリィ様か否かは関係なく、ニコロ殿こそが正当な王位継承者です。私からの報告は以上です」

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