終章(02) 好きといってくれた色


 * * *


 それ以上、アーゼは何も尋ねてこなかった。他に話すこともなく、そろそろ行くと、彼は席を立った。

「――もし、どうしようもないのなら」

 去り際、パウが扉を閉じる前に、アーゼはきっと顔を上げた。

「……一度、デューに戻ってきたらどうだ? 話したとおり……フィオロウスはまだ大変な状態だし、お前がいれば俺達だって心強いし、何よりお前を心配してる人達だっているし……あっ! カーテレインさんが言ってた、お前は『遠き日の霜』を滅ぼしたんだ、だから罰は軽くするしかないって。少なくとも『魂削り』は――」

 そこまで勢いのままに話して、アーゼは不意に口を閉ざす。やがて俯いてしまった。

 そんな様子のアーゼを、パウはぼんやりと見つめていた。

「……ごめん」

 しばらくして、俯いたままのアーゼが短く謝った。ゆるゆると顔を上げれば、視線はよそに向けていた。

「お前……いろいろ、大変だったんだよな。ほんと、ごめん……でも、何かあれば、来てくれ。しばらくは近くの村に滞在してる予定だから」

 そうして彼は背を向けると、森の中へ消えていく。

 残されたパウは何も言わずに山小屋の片付けを再開した。今日中にここを去る予定だった。

 ここにも、青い蝶の姿はなかったから。

 ――死んだ。

 先程、自分がアーゼに言った言葉を思い出す。

 わかっている。ミラーカはもういない。

 けれども、山小屋を出る。向かうのは森の奥。木々が生い茂っていて、先はひどく暗く見える。

 青い光が、そこに見えるわけがない。

 ――死んだ。

 ――怪物でも、神様でも、なんでもない。人間だったから。

 少し意外だと思ったのは、自分自身で、淡々とその事実を口にできたことだった。

 わかっては、いるのだ。

 ……そうであるのに、自分はいったい、何をしているのだろうか。

 森の中を進む歩みは止まらない。まだ夢の中を歩いているような感覚が拭えなかった。風が吹いたのなら、ぼろぼろのマントが揺れる。

 ――風が吹いてくる暗闇の先に、小さな蝶の姿が見えた気がした。

 息を呑んで、パウは立ち止まってしまった。瞬きをしたのなら、蝶の姿はどこにもなかった。ただ吹いてくる風だけが冷たい。

 わかっている。

 ミラーカはもうどこにもいないのだ。

「死んだんだ……」

 思わず口に出てしまう。

「ミラーカは、もういないんだ……」

 足の力がゆっくりと抜けていく。気付けばパウは、冷たい地面の上に座り込んでしまっていた。

 本当に、何をしているのだろうか。

 何をどうしたらいいのか、わからない。

 ――いっそ、あの時ミラーカと一緒に死んでいたのなら。

 いまだって、死んでいるようなものじゃないか。

 冷たい地面の上で、丸まってしまう。閉じた目から、涙が溢れていた。生々しいほどに温かい。滴り地面が湿ったのなら、土の匂いが立ち上った。

 けれどもこうして自分を生かすことが、彼女なりの復讐であり。

 でも――。

 ――私は、以前のあなたが……私のせいでおかしくなってしまう前のあなたが好きだったから……。

 ひゅっ、と、息が止まる。

 ――あなたらしいあなたが好きだった。

 不意に思い出されたのは、彼女の言葉。

 ――臆病で、そのくせ無茶ばかりして、でも正義感は強くて、まっすぐで、人のためのことを考えられる、あなたが好きで……愛されたかった。

 ああ、何も変わっていないじゃないか。

 こんなのはもう、やめるべきだったのに、自分は、まだ。

 ……まだ、願ってしまっている。

 思い出したように、息を吐きだした。

 そして、吸う。

 風の冷たさが、頬を伝う涙を拭うようにさらっていった。

 ――何度もこんな風にうずくまってきた気がした。

 けれどもその度に、立ち上がってきたからこそ、いまここにいて。

「……ほんと、何してるんだろうな、俺」

 笑いながら、声を漏らしてしまった。 

 いまこうしているところを見られたのなら、呆れられてしまうのではないかと、思えて。

 立ち上がる。とんと杖で地面をつき、それでもパウは立った。

 いやになるくらい冷たい風が、いまは心地よく思えた。

 目の前に、蝶の幻はもう見えない。

 ……だから、踵を返した。

 暗い森の外へ、向かっていく。

 少なくとも、自分が向かうべき場所はここではないと考えて。

 口にしたとおり、ミラーカはもう、いないのだから。


 * * *


 どうしたらいいのか、わからなくて。

 では、自分に何ができるのか、考えて。

 思い出すのはアーゼの提案。

 デューに戻ってみるのも、いいかもしれない。そう考えたのなら、村へ向かう足は少し速まる。足を悪くして随分と月日が経った。この状態で歩くことにはとっくに慣れているが、やはり不便であることに違いない。それでも一歩、また一歩と進んでいく。

 途中、こみ上げてくるものに耐えきれず、青空の下、何回かうずくまってしまった。

 まだミラーカのことを、受け入れられない。

 わかっているけれども、そうか、と言えない。

 振り返りたくなる。

 しかし決して振り返らない。立ち上がったのなら、パウはまた歩き出す。

 そうだ、自分はそもそも。

 人々のための魔術師になりたくて。

 だから人々のために尽くそうと。

 彼女だって、それを、好きだと言ってくれたのだ。

 いつまでも彼女のことを思っていては、また呆れられてしまうかもしれない。

 でもこれだけは許してほしいと、ふとパウは青空を見上げた。

 空の色は、彼女の色とはまた違う。

 太陽が眩しくて思わず手をかざした。小指のない右手の影ができ、指の隙間から光が漏れる。

 小指は彼女に、あげてしまったのだから。

 追いかけるようなことは、もうしない。

 けれど、いつまでも思うことだけは、させてほしい。

 いつまでも執着し、後悔し、だからこそ前へ進むことを許してほしい。

 今度は一人で歩いていくから。

 ――再び魔術師は進んでいく。

 自分がしたいと思うことをするため。するべきことを自分で決めて、行うために。


 * * *


 * * *


 * * *


 フィオロウス国の中央部『黄の蜜』地方、大都市ポルト・イエーラ。

 デューヘ向かう定期魔力翼船は、未だにここからしか出ていないらしかった。一応、支援の必要な地域とデューの間を直接行き来する魔力翼船もあるらしいが、数は多くないためタイミングよく乗れるかわからない上に、乗せてもらえるかもわからないという。だから少人数でのデューへの移動は、騎士団員やデューの魔術師であってもポルト・イエーラを経由し定期魔力翼船を使わなくてはいけないのだと、アーゼに説明された。

「手間だし時間はかかるけど……どこも何も足りてない状態だから」

「――俺としては、都合がいいけど」

 並びながら歩くパウがそう言ったのなら、アーゼは首を傾げた。

 ポルト・イエーラに到着し、デューへの魔力翼船の出航時間を確認したのなら、随分と余裕があった。それに対しても、パウは都合がいいと言って、

「こんな格好じゃ、デューに戻れないだろ? 身なりは整えとかないと……」

 出航の時間までに、持ち物を整理する。特にぼろぼろだった紫色のマントは、新調する必要もあって、パウは店の外でアーゼを待たせ、新しいマントを選んだ。

 新しいマントを身につけてパウが外に出たのなら、やっと出てきたか、とアーゼが顔を向ける。だがその瞬間、彼の顔は強ばった。

「……その色でいいのか?」

 少しして、アーゼは尋ねてくる。だからパウは、

「俺は愛せなかったけど、俺を愛そうとしてくれた人が、好きといってくれた色だ」

 ――深い青色のマントを風に揺らし、歩き出す。

「悪い、時間がかかったな……そろそろ船が出る時間だろ、急がないと」

 後にその魔術師は、片耳に再び、黄色の耳飾りを輝かせる。

 青色のマントを靡かせるその様から、いつからか『青の羽』という異名で呼ばれ始める。

 だがどちらも、まだ少し先のことで、彼自身も知らない。

 ただいまは、進んでいく。

 一歩。また一歩。



【終章 幻を抜けた先 終】

【贖いのオリキュレール 終】






◆◆◆◆◆






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

これにて『贖いのオリキュレール』は完結です。長いことお付き合いいただき、本当に嬉しい限りです。

面白かったと思っていただけたのなら幸いです。

感想がありましたら、書いていただけると活力になります。

お疲れさまでした。


2023年3月26日 ひゐ(宵々屋)

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