第四章(07) 作戦は失敗だ

 グレゴの奇妙な声が『死体』達を煽るかのように響く。しかし時間が経つに連れ、外は静まっていった。どうやらうまく目くらましできたらしい、パウは肩の力を抜いた。

 生き残った戦士達も安堵に声なく溜息を吐く。けれども見回せば、最初にいた人数よりも、半分以下になっていた。元々大人数では歩くのが難しい悪路と、目立つわけにはいかなかった故に少人数で向かっていた。それがパウを除いて、残りはトーガとエルヴァ、そして四人の『聖域守』だけになってしまった。

 誰かが何かを言うのを待っていた。この現状に、結論を出してくれるのを待っていた。

「……作戦は失敗だ」

 答えを口に出してくれたのは、リーダーであるトーガだった。

「この人数で向かったとしても、あいつに勝てるとは……思えない」

「じゃあいま死んでいったみんなは、無駄死にしたってことか!」

 怒りの声を上げたのはエルヴァだった。奇襲を受けるまで気楽ににこにことしていた顔は、今起きた惨劇に顔を蒼白にさせていて、潤んだ瞳だけはぎらぎらと燃えていた。

「仇をとりにいかないと。ここで立ち止まってどうすんだ! あの怪物、きっと俺達が諦めたって思ってるはずだ、だからそこを突けば」

「無駄死にと言ったな。この人数で向かって、さらに死者を増やすつもりか?」

「じゃあ何のためにみんなは死んだんだ!」

 そう騒ぐエルヴァの隣、そろそろと仲間が肩を叩いて宥めた。エルヴァはそれで黙り込んでしまった。彼もわかってはいるらしい。

「お前はどう思う」

 トーガはパウに尋ねてくる。パウはトーガを見て、エルヴァを見て、そして生き残りの『聖域守』を見て、結論を出す。

「難しい……俺がいくら『死体』を燃やして防ぐからといっても……あの数だ、間に合わないこともあるだろうし、あの怪物の光も防がなくちゃならない。はっきり言って人数が少ない方が俺としては守りやすいが……」

 やはりこの人数。自分は恐らく、グレゴとの直接の戦いには入れないだろう。防御しかできない。すると消耗戦になる気がしたのだ。

「もし俺達があいつを弱らせ捕まえられるとしたら、短期で決まる戦いになる。だが長引けば……負ける」

 戦ったなら、どちらになると思うか、という話なのだ。そこで一つ、重大な問題がある。

「あの怪物、姿が変わったけど……また何度傷つけても、治るんだろうしなぁ。やっぱり、死なないかもしれないし」

 仲間の一人が絶望を纏った。消耗戦になるとしたら、恐らくあちらが有利なのだ。

 姿が変わったからと、治癒ができなくなった、不死身ではなくなったと、パウも考えられなかった。そもそも芋虫から蠅化した際にも、その特徴は引き継がれている。ミラーカに食わせることによって殺すことはできるが、弱らせられなければ不可能だ。

 また『死体』を操っているように見える角を砕けば『死体』を取り返せる、というのも憶測である。

「一度、街に戻る」

 下される指示は淡々としていて、有様を物語っているようにも思えた。

「街を守らせている戦力を新たに加え立て直さないと。それから……家族に、死を伝えなくてはいけない……」

 その時だった。

 影によどむ洞窟。その奥で影がむくりと動いた。地を這ってくるのは低い呻き声。

 座り込んでいた仲間もとっさに立ち上がって、全員が奥の闇に身構えた。外からぼんやりと差し込む光が、洞窟の奥まで点々と続く血の跡を浮き上がらせる。

「こんなところにも潜んでいるなんて」

 一人が言う。だが別の一人は瞼を閉じて、ゆっくり開く。

「……いや、よかった。誰だかわからないけど、連れて帰れるんだ。あの怪物から、取り返せるんだ」

 だがいつまで待っても、闇からは何も出てこなかった。不審に思ったパウは、小さな光の球を生みだし、そろそろと闇の底へ向かわせる。血の跡の上を漂う光は暗黒を払い、行き止まりを照らし出す。

 傷だらけの男が、冷たい岩に背を預けて座り込んでいた。光を見れば少し眩しそうに目を細め、低い苦痛の声を漏らす。服は血にまみれ、光の刺さっていない胸は弱々しく呼吸をしていた。

「ユルノ」

 エルヴァは亡霊にでも出会ったかのような顔をしていた。

 飛び出したのはトーガだった。ユルノに駆け寄り傷を診る。

「傷は! ……応急処置はしてあるな。よく生きて……」

 水を、と渇いた唇が震える。パウは水筒を手に取ればふたを開けてユルノの唇に当てた。そろそろと飲ませれば、ユルノは少しほっとしたような表情を浮かべた。パウは続けて、応急処置はしてあるものの、まだ不安の残る脇腹の傷に治癒の魔法を施す。この治癒の魔法も応急処置の一つではあるが、苦痛が和らいでいくのか、ユルノの険しくも弱々しい顔は穏やかなものになっていった。

「彼は?」

「二日前に隊の一つが谷の様子を調べに向かったが、一人も帰らなかった……ユルノはその一人だ」

 と、ユルノはまた唇を震わせる。かすれた声はまるで寂しく荒野に吹く風のようで、聞き取ることは難しい。

「崖、を、登って……仲間が……動け、な、く……」

「無理して喋んな! 落ちつけって……」

 エルヴァが宥めるが、ユルノはその姿からは想像もできないほどの力でトーガの服を掴めば、何かを伝えようと、またかすれた声を絞り出す。けれどももう声にはならない。ユルノが急に動いたため、治療を施していたパウの魔法が揺らぐ。すると激痛が戻ってきたのか、ユルノはやはり声を上げられずに顔を歪めた。

「休め。生き延びたんだ、ここで無理をするべきではない」

 優しくも厳しくトーガが言い聞かせれば、やっとユルノは目を閉じた。

 パウが一通り治療を終えれば、エルヴァが眠りに落ちたユルノを見下ろしていた。

「……戻ろう、街に」

 誰も反対しなかった。多くを失ったが、失わずに済んだ命を連れて、街へと戻った。


 * * *


 うまくいけば全てが終わるはずだった奇襲は、逆に奇襲をかけられて失敗に終わった。

 また仲間を失い奪われ、街に残っていた『聖域守』達の間には、底知れない不安と恐怖が更に濃さを増した。

 だがユルノの生還が人々に笑顔を与えた。背負われて連れ帰られたユルノは『聖域守』の本部の病室に寝かされた。気絶するように眠ったままだったが、手当てを受けて、いまは柔らかなベッドの上にいる。

 帰還後、パウはトーガの執務室で、再び彼と作戦を練っていた。

 また街に襲撃があれば、耐えるのは難しい。一刻を争う事態であるのだ。

「もう一度奇襲を試みたいが、手口はばれてしまっている。もうあの道は、使えない」

 トーガが見つめるのは、今日の死者の名簿だった。瞳は一瞬、深い影に淀んだ。

「せめてあの怪物が最前線に来てくれたのなら……敵の軍勢が、問題なのだ」

 ゼフタルクは大陸中央にある街や、栄えた漁港のような大きな街ではない。だが『聖域守』は多く、普段であればゼフタルクだけではなく、雇われて各地に散らばっている。今回は街の危機により、全ての『聖域守』がここに集まった。ここに集まって、敵の手駒となってしまった。

 数が多すぎる。魔法で敵を燃やしながら進むのは無理だと、パウ本人はもちろん、トーガにもわかっていた。

「やっぱり、もう一度奇襲をかけるしかないだろ」

 あの『死体』の軍勢に気付かれず、奥地にいるグレゴの元まで行ければいいのだ。

「今日の道はだめだったが、別のルートはあるか? さすがに谷底を歩くのは危ないが、俺の魔法で、霧でみんなを隠して進むのはどうだ? 今日の目くらましは効いたぞ」

「だがそれでは、お前が消耗してしまわないか? あの怪物と戦うには、あの光を防ぐことのできるお前が鍵になる……『死体』がやってきたのなら、炎の壁も作ってもらわなくてはいけないのだ」

「だからこの作戦でいくのなら、敵を短い間に確実にしとめてほしい……それなら、消耗していても問題ないだろ?」

 しばらくトーガは顎に手を当て、考えたままだった。静かな夜、窓の外に家々の明かりは、この状況でも毅然と灯って生活の煙を上げている。今日、遺体を燃やす炎はない。ユルノ以外は誰も連れて帰れなかった。

「わかった。だが他の者にも相談してからだ。死者があまりにも多すぎるからな。万が一、街が襲われた際に、人々を守り逃がす戦士のことも考えておかなくてはいけないし、とにかく人が足りない……」

 ようやくトーガが顔を上げてくれたが、どたどたと、階段を駆け上がり廊下を走ってくる足音がけたたましく空気を震わせた。ばんと扉が開いて、まるで掴んだ光を逃がしてしまったような顔をして泣く『聖域守』が部屋に駆け込んでくる。

「ユルノが! ユルノがっ、死にました……!」

 パウとトーガが病室に走れば、夕方には安心したように眠っていたユルノの胸が、赤く染まっていた。毛布の上から刺されたらしく、身体に毛布はかかったままで、赤色が染み渡っている。

 目をかすかに開けたユルノは、夜の冷ややかさに温度を失っていくばかりだった。その顔に手を伸ばし、瞼を下ろさせたのは、傍らに立っていたエルヴァだった。

「目を覚ましたかもしれないって、俺とピューカで見に来たら……もう、こうだった。何で……何でなんだ……?」

 エルヴァの拳が、壁に叩きつけられる。

「どうして……? 誰が……?」

 ――誰が。

 ユルノは戦いの怪我で死んだわけではない。胸を誰かに刺されて死んだ。

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