第四章(08) いまあなたが話している相手は
* * *
怪我で死んだわけではない。何者かに殺されたのだ。
――訳がわからない。
「くそ……っ!」
救えた命だったのだ。それがどうして。一体何の理由で。
それすらもよくわからない。
ただ、死んでしまったのは事実なのだ。
そして今日の奇襲の失敗。また失われたいくつもの命。
ベッドに転がり、パウは天井を睨む。あまりにもうまくいかない。もがいているのに、何も掴めない。
すると視界の端から、ふわりと悪戯っぽい笑みが入ってきた。
「苦戦してるみたいね」
パウは思わずミラーカを睨んでしまったが、彼女はそれすらも愚かしいというように、より口の端を吊り上げた。ベッドに腰を下ろせば、長い髪を後ろに流す。
「それもそうよね、こんな訳のわからない事態だけじゃなくて、グレゴに逆に奇襲をかけられたんだから」
「……どうして奇襲がばれたのかわからない。あいつは……人の気配を感知する能力を持ってるのか?」
それとも今日はたまたま、空を飛んでいたのか。そうであるのならあまりにも運が悪い。
「……あんな風に、なるなんて」
つと、改めて思う。共食いによってあのように進化し、恐ろしい力をつけるなんて。
声を漏らせば、ミラーカは目を細める。
「私は力をつけているのに、他のグレゴにも、そういうことは考えなかったの?」
そして仰向けに倒れるパウの隣へ、彼女は寄り添うように横になり頬杖をついた。
「それに、ユルノが殺されたのは、都合が悪かったから、でしょう?」
「都合が悪かった?」
不意に何を言い出すのだろうか。確かに、誰かに殺されているのだから、その誰かにとってユルノが生きているのは、都合の悪いことだったのかもしれないが。
ミラーカはちらりとパウを見て、まるで呆れたかのように深く溜息を吐いた。
「あらゆる可能性を考えてよ、パウ……あなた、私をこうしたぐらいに能力はあるはずなのに、そういうことは全く考えられないのね……」
しゅる、とシーツの上を滑る音。立ち上がったミラーカは窓辺に腰を下ろした。曇りない空、汚れ一つない窓。そこから射し込む月光は、先程まで黄色かったはずであるのに、いまは青く染まっている。ミラーカの夢、幻覚の中。漂う埃すらも青白く輝いて、ここがいま、自分と彼女だけの世界であると、パウに知らしめる。
まるで世界は、水面の下にあるかのようだった。見上げれば美しく、だが足元を見れば底なしの闇が広がっている水の中。落ちることなく浮いていて、しかし水中から出ることは許されない。ミラーカが全てを支配している。
「そもそもあの動く死体の仕組みは、種を植え付けて魂を食らい、手足として使うもの――寄生みたいなものね。本体と種、見えない糸で繋がっている……」
だから本体であるグレゴそのものを弱らせれば『死体』達を解放できる。それは間違いではないと、彼女は言った。
パウは身体を起こす。
「……見えるのか、そういうことが」
「ええ、見えるというか、感じるというか」
まるで魔術師をも超えた存在のようだ。
「死体であっても、種を植え付ければ動かせるのよ……魂を食らうことは、できないけどね。ないものは、食べられないでしょう?」
そこまで説明されて、パウは何故急に彼女がそんな説明をし始めたのか、はっとした。
今日の奇襲の失敗。相手に事前に計画を知られていたとしたのなら。
「街に生者に紛れて『死体』がいる?」
それならば奇襲がばれていて、逆に仕掛けられてしまったことに納得がいく。つまり内通者がいる、ということだ。
けれども言って、疑問が浮かぶ。果たして意思も知能をも失ったような彼らに、そんなことができるのか、と。
「裏切り者がいるって考えはいいけど、最後まで聞きなさい、パウ」
ミラーカは細い人差し指を立てる。
「『死体』じゃそれは無理があるでしょ? 見た目でもきっとすぐに気付けるだろうし」
「じゃあ、何が言いたい」
「……『死体』だから、無理なのよ、パウ。そうじゃないなら、可能でしょう?」
パウは、ミラーカが何を言わせようとしているのか、全くわからなくて言葉が出てこなかった。『死体』以外に何があるというのだ。
ミラーカは再び呆れたように溜息を吐けば、両手を広げる。
「仕方ないわね、もう一つ、ヒントをあげるわ……パウ、あのグレゴは、できれば死体は生きた状態でほしいと思ってるみたいよ。あいつ、どうも燃費が悪いようで、すごく飢えてるみたい。生きている状態で種を植え付けないと、魂は食べられない……あいつは自分の手駒で狩りをするけど、手駒に狩られすぎると、食べられる魂も残らないのよ」
そう言われても、未だにパウはぴんと来なかった。
つまりグレゴは、どうにか生きた状態で人間がほしいということ。けれども人間はもちろん抵抗する。あの光を何とか避けようとする。
ならばグレゴとしては手駒を使って動きを止めたいものの、その戦いの中、生かしたままでおきたかった人間を死なせてしまう可能性もある。
内通者がいることは、ミラーカの口振りからすると確からしい。
――そいつが、戦士達に何か仕掛ければ、うまく生きたまま、抵抗させずにグレゴに食わせることができる?
グレゴの狙い、そして内通者がいると仮定して考えて、導き出した答え。
けれども。
「いやでも、あのグレゴが操るのは『死体』だけだろう?」
パウが首を傾げれば、ミラーカは本当に呆れたというような声を漏らして、虚空を仰いだ。もどかしそうに素足をこすり合わせる。
「パウ……あらゆる可能性を考えてって。あと一度『死体』から考えを離した方がいいわ……あなたはあのグレゴが進化したことによって『死体を操る能力だけを得た』って、思い込みすぎなのよ」
死体を操る能力「だけ」を得たと、思い込んでいる。
そんなつもりはなかったが、言われるとそうであった気がした。そもそもグレゴが進化したという事実だけで、いっぱいいっぱいだったのだから。
頭が冷えてきたような気がした。そして見えてきた可能性に、寒気が這い寄ってくる。
――死体でないのなら。
「最後のヒント」
やっとパウに答えが見えてきたのだと察したのだろう、ミラーカの表情に、もう呆れた様子はなかった。
ただ楽しそうに、自身を指さす。
彼女はグレゴ。蠅化したグレゴとは違い、蝶化したグレゴであるものの、他のグレゴを食べることにより能力を得て――また言葉を取り戻したグレゴ。
「パウ――いまあなたが話している相手は、何?」
グレゴの進化というものは。進化したグレゴに潜む可能性とは。
「私は今日の事件で確信したのよ……今日の奇襲がばれてしまっていたことから……そしてユルノが恐らく『口封じ』に殺されたことから……」
よくよく考えなくとも、わかることだった。
奇襲がばれていたのなら、盗み聞きされたか、内通者の存在を疑うべきで。
『死体』以外の内通者がいるとしたのなら、それは何であるかと考えれば。
生きている人間。
「グレゴと手を組んでいる、生きた人間がいるかもしれないってことか?」
――突如鳴り響いた警鐘が、蝶の夢を破いた。青みがかっていた世界は揺れる。月光は黄色に染まる。窓ガラスは激しい警鐘にがたがたと割れそうなほど揺れていた。そして窓辺にとまっている蝶の羽も、外からの振動に震えている。
慌ててパウが外へ飛び出せば、蝶のミラーカは肩にとまる。
「パウ……あいつ、飢えていて、もう限界なの」
はじめて喋った時よりはずっと流暢であるものの、先程とは違って、どこか幼い口調。
「街に来た……裏切り者も、出てくるはず……」
* * *
夜の闇も濃い中『聖域守』の見張り達が、街の人々を避難させている。街の人々には、相変わらず気丈な顔をした者もいるが、ついに恐怖に顔を引きつらせた者や、長いこと守ってきた場所に二度と戻れないかもしれないと、悲壮の覚悟を浮かべた者もいる。闇を震わせる警鐘に、子供達は泣いていた。
何かがおかしい――宿屋を飛び出したパウがまず向かったのは『聖域守』の本部だった。外で街の人々を避難させているのは見張り達だけ。ほかの『聖域守』は外に見当たらない。
本部へ飛び込んで、パウは言葉を失った。
『聖域守』達は武器を手に、なんとか戦地へ赴こうとしていた。けれどもふらつき、壁に寄りかかり、果てにその場に座り込む者ばかり。床に倒れて起き上がれない者もいる。
「毒」
ミラーカに言われなくともわかっていた。恐らく裏切り者が皆に毒を盛ったのだ。
すぐさまパウは近くの『聖域守』に駆け寄り、解毒の魔法を施す。少し楽になったらしく、倒れていた彼は手をついて起き上がった。
そこへより響く、絶望の警鐘。
「あいつだ! あいつが、前線に! 誰か!」
グレゴが来たのだ。ミラーカは言っていた、あのグレゴの飢えは限界だと。
門が悲鳴を上げている。『死体』達がついに街に攻め入ろうとしている。その裏に、あのグレゴのどの生き物のものと例えられない声も聞こえる。
がたがたと階段を滑り落ちてくるような音が聞こえて、パウが顔を上げると、なんとか手すりに掴まって立っているトーガの姿があった。額には玉のような汗を浮かべている。
トーガは一階でも広がっている異様な光景に、困惑と苦痛の表情を浮かべた。力が抜けてしまったのか、くずおれそうになるが、パウは駆け寄り支えた。そして解毒を試みる。
「一体、何が……」
「毒を盛られてる、裏切り者がいたんだ」
口にすれば、トーガは目を白黒させる。
「裏切り者……?」
「奇襲が失敗したのも、そいつのせいだ――ここに、解毒薬はあるか?」
ちょうどそう尋ねた時に、どたどたと誰かが廊下を駆け抜けてきた。先程解毒を施した『聖域守』と、毒の影響をあまり受けなかったらしい者、数人。手には小瓶を持っている。
「効くかわからないが、医務室から持ってきた!」
「――パウ、お前は前線へ……解毒は薬でなんとかする」
解毒が終わり、やっとトーガは自分の足で立ち上がった。まだ少しふらついていたが、それも一瞬だけ。
解毒薬が渡されていくが、すぐには回復できない。外では『死体』の行進の足音と、仲間が来ないもののなんとか食い止めようと戦う『聖域守』の勇む声、怒声、悲鳴、断末魔が渦巻いている。
立ち上がることができた『聖域守』達は、それが使命だと外へ飛び出していく。
「一体誰がこんなことを……でもいまは、街を守らないと」
トーガも外へ飛び出す。パウも続いた。グレゴが来ているのなら、皆をあの光から守らなくてはいけない。『死体』達がいたとしても、いまは前線に出るほかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます