第三章(02) 虎のとこの、鷹女


 * * *


 コサドアの遺体が見つかったのは、大陸の東『青の花弁』地方と、南『緑の花弁』の地方の境目のあたりだった。

 巨大蝿の噂は『青の花弁』地方でのものが多かった。おそらくコサドアは、調べているうちに南へと向かって行ったのだろう。そして、そこで。

 遺体には傷が一つ。心臓を貫く刺傷、それだけ。

 師は明らかに人間に殺されたのだ。

 やはり蝿は幻か何かで、その裏には魔法を扱う何者かが――より、そう考えられる。

 ――けれども、コサドアをこうも殺せるほどの相手であるなんて。

 一体何者なのか。そもそも何が目的なのだろうか。

 ――その人物に繋がるであろう確かな情報は何もない。コサドアの遺体にも、この騒動の犯人に関する手がかりは何も残っていなかった。

 だが――巨大蝿に関する噂は、次々と流れてくるのだ。

 巨大蠅を調べている最中に、殺されてしまった師匠。

 間違いなく、殺された原因はそこにある。

 ならば、巨大蝿を追えば。その正体を突き止めれば。

 ――そうしてメオリがやって来たのが、大陸の南『緑の花弁』地方にある街ナーラ・ニタだった。巨大蝿の目撃情報が、付近にいくつもあったのだ。

 街に着いて一晩過ごした翌日。メオリは賑わう街中に繰り出していた。

 この街は比較的に大きな街。商人もよく出入りをして、交易の街として栄えている。そうなると、様々な噂も街に入ってくるのだが。

「そんなアホみたいな話あるかよ。でっかい蠅なんてさ。最初に噂を流した奴、趣味悪すぎだろ」

「でも私も聞いたよ! 火を吹くんだって! それで村を焼き払って、人間をこんがり焼いて食べるんだって!」

「旅人から聞いたけど、突然目の前に現れるらしいぜ……小さな蝿が、一匹、また一匹って集まって、千匹くらい集まったと思ったら、巨大な蠅になって……!」

「あれはね、罪深い人間達に罰を下す存在なんだ。だから私達は大丈夫。私達は善き人間だからね」

 ――なんか……よくわかんない話だなぁ。

 耳を澄ませながら街を歩いていると、尋ねなくとも、あらゆるところから巨大蠅の話が聞こえてくる。最初こそ、そんな能力があるのか、そんな存在なのか、とメオリは驚いたが……どうも妄言が混ざっているように思える。巨大蝿の話は、ひどく刺激的で興味深い話だ、その噂には簡単に尾ひれが付くのだろう。

 そして肝心なことに――具体的な話が、全く聞こえてこない。

 その巨大蝿の確かな話はもちろん、どこにいるのかも聞こえてはこない。ぼんやりとした話ばかりだ。

 こういう場合は、どうしたらいいか。

 ――街で最も噂が集まる場所に向かえばいいのだ。

 市場から少し離れた場所にある、酒場へと向かった。中に入れば、昼前であるにもかかわらず店は賑わっていた。酒を飲んですでに酔い潰れそうな者もいる。

 シトラは外に待機させた。もともと街の中で連れて歩いては目立つし驚く人もいるために、街中では自分の上空を飛んでついてくるように指示を出している。

「巨大蠅ねぇ……みんな色々言ってるけど……誇張や妄想も混じってるみたいで」

 メオリがカウンター席で適当に注文して、店主に話を聞けば、

「ま、確かなのは、人を喰うってこと、バカでかいってところだけだね……あとは……みんな好き勝手言ってるよ」

「……そうですか」

「どこにいるかも……この地域周辺ってぐらいしかわからないね。昨日は街の東で見たって、酔ったお客さんに言われたよ。そしたら、これまた酔ったお客さんが、いいや西だって……」

 ――少なくとも、蠅が複数匹いるのは確かだった。デューにいた際、あらゆる場所での目撃情報を、噂で聞いたのだから。

 ということは、この周辺には複数匹いるのだろうか。いや、情報源は酔っ払いだ……。

 何を信じたらいいのかわからない。実際に見た人間がいればいいのだけれども。

 街の自警団にもう一度話を聞きに行くべきか……昨日、盗賊達を突き出した際に巨大蝿について話を聞いたが、彼らも人々が口々にする噂に振り回されているようで、確かな情報を得られていないようだった。だが彼らは毎日街の周辺を調べているようだから、もしかすると新しい情報があるかもしれない。

 そうメオリが、黙って考えていると。

「ついに懸賞金でもかけられたのかい? その蠅。結局誰も、ちゃんと見てないようなのに」

 不意に、店主が言ったものだから、メオリは首を傾げた。

 店主はグラスに酒を注ぎながら、おや、と同じく首を傾げた。

「蝿の噂話で盛り上がりたがる人間は多いんだけどね……あんたみたいに、真剣に探し出そうとする人間はなかなかいないから……でも、さっきも来たんだよ、蝿について、詳しくて確かな話を聞いたことはないかって。そりゃあ、真剣な顔でさ」

 店主は顔を上げれば、確かめるように目を細めた。

「……そういやそいつも、あんたと似た耳飾りをつけてたな。きらきらしててね……って、それもしかして……『千華の光』の……?」

 細めた目が、丸くなっていく。同じく、メオリも目を丸くした。

 ――他の『千華の光』が蠅を探して?

「それ、どんな人でしたっ?」

 思わず立ち上がって聞いてしまった。店主は一瞬驚くものの、

「足を悪くした男だったよ。杖をついていて、どうも暗い感じで……」

 杖をついている――。

 『千華の光』はそう多くはない。だが知っている『千華の光』の魔術師の中に、足を悪くして杖をついている者はいなかった。

 知らない魔術師か。しかし彼も巨大蠅について調べているというのなら、追っているのだろう。自分のように個人的になのか、デューからの指示でなのかは、わからないけれども。

 会って、知っていることを聞かなくては。酒場を飛び出せば、メオリは次に、街の自警団の本部を目指して歩き出した――もしかすると、その杖をついた魔術師も、そちらに向かったかもしれないと思ったのだ。自分と同じように蠅について調べているのなら、そうするかもしれない、と。

 人通りの多い市場を、心なしか早足でメオリは進んだ。上空ではシトラが翼を広げてついてくる。

 賑わう街はまさに平和だ。その平和さ故に退屈で、だからこそ人々は巨大な蠅についてあれこれと話しているようだった。

 各地で村や街を壊滅させているという巨大な蠅――それがもし現実であったなら。

 だが今日も空は晴れていて、市場では昨日と変わらず様々なものが売られている。だからこそ「巨大な蠅」というのは他人事なのだ。

 そもそも嘘のような話である。その存在も。その被害の規模も。現実味のない、おとぎ話のようなものなのだ。

 その時だった――市場の賑わいを切り裂くような悲鳴が上がった。

 すぐさま身構えて、メオリは振り返った。その先の人ごみで、男が一人、周囲の人間に構わず走っていた。人に当たって突き飛ばしてしまおうが、一切気にせず必死の形相で走っている。

 その顔に、見覚えがあった。

「――昨日の盗賊の親玉!」

 間違いなく、あの盗賊のかしらだった。自警団に突き出したはずの男。と、男を追って、路地から自警団の剣士達が出てきた。

 盗賊のかしらは、なんとか逃げ出したのだろう。彼は魚を捌いていた屋台に駆け寄ったかと思えば、まな板にあった包丁を手にした。

 人々が恐怖に逃げ戸惑う。男は迫ってきていた自警団に向かってぶんと包丁を振るい、威嚇する。そして自警団が怯んだ隙に、男はまた走り出す。

 果てに甲高い悲鳴が一つ上がる。男に捕まり、首に包丁を突きつけられた女は、恐怖に顔を引きつらせて涙を流した。

「おら、下がれ下がれ! こいつを殺すぞ!」

 男が怒鳴れば、周囲の人々はもちろん、自警団達も動けなくなり固まった。先程まで賑わっていた市場に、緊張が走る。

「……ほら、どけどけ!」

 優位に立ったことに口の端をつり上げた男は、人質を連れたまま、人ごみを割ろうと怒鳴る。このままでは、誰も下手に手を出せない。

 ……メオリが見上げれば、近くの屋台の屋根に、シトラが降り立っていた。身を小さくして、じいとこちらを見つめていた。メオリもシトラを見つめる。

 ――ナイフを奪って。

 ……魔力金を核に魔力で作られる使い魔は、主である魔術師とは別の存在であるものの、その存在を魔力が構成している故に、主の魔術師と繋がった存在だ。意思が完全に伝わるわけではないものの、それでも心は繋がっている。

 そして共に過ごした時間や経験が、信頼関係を強固にしていく。

 「魔力の人形」とも呼ばれることがある使い魔。生み出したばかりの頃は、その通り人形であり、主が魔力をうまく使って動かさなければ動いてはくれない。だがその「育成」を繰り返すうちに人形が意思を持つようになり「パートナー」として成長していく。

 使い魔とは、魂の一部。

 ……その代償に、使い魔が深く傷ついた時、主である魔術師にも痛みが伝わるが。

 メオリから視線を外して、シトラは金の瞳で標的を睨む。身をかがめて、瞬きをして。そして。

 刹那――シトラが飛び立とうとした、その直前。

 ――盗賊のかしらの目前に、男が一人、現れた。

 何の前触れもなく。音もなく。

 瞬間移動魔法だった。

 その男が現れたのと同時に、盗賊のかしらだけが後方に吹っ飛んだ。人質の女に傷一つつけずに。吹っ飛んだ際に、手から包丁が離れて地面に転がる。そして彼は奥にあった屋台に突っ込んだ。

 器用なことに、瞬間移動魔法で現れたその男は、盗賊のかしらだけを魔法で吹っ飛ばしたのだ。その掌の前に小さな魔法陣が現れていた。手を下げれば、彼はとん、と杖で地面をついた。

「……おいあんた、怪我はないか」

 彼は人質にされていた女へ声をかける。女は我に返ってこくこくと頷いていた。

 それから彼は、杖をつきながら盗賊のかしらへ歩み寄った。その背を青い蝶が追う。

 盗賊の男は、屋台を潰すような形で気を失っていた。近くには、その屋台の持ち主であろう、中年の男がいた。

「……悪い。壊した」

 魔術師が言えば、中年の男は、

「あ、あ……誰も怪我してないし、悪い奴は捕まえられたし、気にしなくていいさ……古かったしな、これ」

 最後に、魔術師の男は自警団達へ振り返った。

「さっさと今のうちに連れてったらどうだ?」

 その振り返った時に、彼の耳元にある黄色の輝きを、メオリは見た。

 『千華の光』の証。

 彼だ――酒場で聞いた、蠅を探しているという、もう一人の魔術師。

 自警団達がはっとして、盗賊のかしらへ駆け寄った。それを見届けて、魔術師の男は歩き出そうとする。

「――ま、待って! 待て!」

 慌ててメオリは人ごみを分けて走り出した。

「待って、そこの魔術師!」

 叫べば、やっと彼は立ち止まって振り返ってくれた。

 黒い髪で、顔の向かって左半分が隠れてしまっている男だった。眼鏡をかけていて、見える片目は赤色。

 その顔にどこか見覚えがあって、メオリは瞬きしてしまった。

 ……いや、こんな特徴的な人間、見たら憶えていそうなものだが。

 しかし、どこかで。そう、確か――ルキュイの街の任務で。

「あんた、確か……」

 徐々に思い出してきて、というよりも、確信してきて、自然に彼を指さす。

 あの時と容姿は違っているものの、間違いない。

「――パウ! パウじゃないか!」

 ……パウは、しばらくの間、メオリを見つめていた。そこに、ぴいと鳴いて、シトラがメオリの肩に降り立つ。それで思い出したようだった。

「虎のとこの、鷹女……」

 パウもメオリを指さして、認めたのだった。

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