第三章(03) でも仲間がいて心強いよ
* * *
「まさか、こんなところで会えるなんて!」
メオリはそう言って、自分の前に出されたパスタをフォークで巻き取っていた。
「あと、さっきのは随分器用だった……! 盗賊だけを吹き飛ばすなんてね……あんた、やっぱりすごいなぁ」
パスタを口にすれば、咀嚼して、飲み込んで。
「それに……まさか、でかい蠅を探しているもう一人の魔術師ってのが、パウだったなんて」
――メオリの正面に座るパウは、何も言わずに彼女を見つめていた。食欲がそうなかったため、飲み物だけを注文した。一口もつけてはいなかった。グラスの縁では、ミラーカがとまって休んでいる。
立ち話もなんだから、と、メオリに近くの食堂まで引っ張られてしまったのだ。
メオリ――かつて任務で一緒になったことのある魔術師。彼女の鷹を見て、思い出した。
そんな彼女が、何故。
「お前も……巨大蠅を探してるのか?」
グレゴ、という言葉を飲み込んで、パウは尋ねる。
慎重にならなくてはいけなかった。
何故なら――敵か味方か、わからないから。
――もし、魔術師至上主義者達の仲間、『遠き日の霜』としてグレゴを探しているのなら。
「そう、探してる……この街の周辺に出たっていうから。昨日ここに来たんだ」
メオリはフォークを一度皿に置いて、溜息を吐いた。
「……どうして探してるんだ?」
言葉を選ぶようにして、簡潔にパウがまた尋ねれば、自分のグラスに手を伸ばそうとしていたメオリはぴたりと動きを止めた。そしてパウを見据える。それこそ、鷹のような瞳で。
思わずパウは睨み返した――何を考えている。何を企んでいる。
食堂の喧噪が遠くなっていくような気がした。頭の隅で、パウはここから逃げ出す算段を立てていた。メオリの使い魔は鷹だ、逃げ出しても、うまく撒くのは難しい――。
やがて彼女は口を開いた。
「……その様子だと、私の師匠のこと、知らないみたいだな」
「――師匠?」
想定していなかった言葉に、気が抜けてしまった。睨み鋭くなっていた瞳を、パウは一瞬だけ大きく開いた。
「そ。師匠……ちょっと前の話だから、そこらへんの魔術師はとにかく『千華の光』ならもう伝わってるんじゃないかと思ったんだけど……」
メオリは再びグラスに手を伸ばした。冷たい水に満ちたグラス。透明で、波打てば店内の照明にきらきらと輝いた。
けれども彼女は、グラスを手にするだけで、口元まで持っていかなかった。包んで手のひらを冷やそうとするかのように持ったままだった。
「殺されたんだ、師匠。でかい蠅を調べてる最中に。誰かにね」
淡々とした言葉だった。やがて店の賑わいに紛れてしまう、ありふれたような言葉だった。
けれども、パウは確かに聞いた。
「……あのコサドアが?」
メオリの師匠コサドア。『霧中の猛虎』とも呼ばれる、腕の立つ『千華の光』の魔術師だった。会ったことはない。けれども噂や功績は有名だった――老齢であるものの、その眼光も、魔法の光も衰えず鋭いまま。そして連れている使い魔の虎で、獲物を確実に仕留める――まさに歴戦の魔術師だと聞いた。
そんな彼が死んだ。巨大な蠅について調べている最中に。
――まさかグレゴに殺されたのか?
わずかに開いてしまった口をゆっくりと閉じて、パウはテーブルに視線を落とした。
……いや、しかし、メオリは。
「……誰かに殺されたって……どういうことだ?」
確かに、そう言ったのだ。
グレゴを調べている最中に死んだのなら、グレゴに喰われてしまったと考えるのが自然だろう――メオリがグレゴについてどこまで知っているのか、知らないが。
しかし彼女は、確かに「誰かに殺された」と口にしたのだ。
パウが何を考えているのか、メオリは察したようだった。
「誰かに殺されたんだよ。例のでかい蠅じゃなくて、誰か……人間にね。そうじゃなきゃ、心臓を一突きされた状態で見つからないでしょ」
「……心臓を、刺されて?」
「師匠の虎の心臓……魔力金も丁寧に砕かれてた。まあそうしないと使い魔は殺せないし、師匠にも近づけなかったと思うけどね……」
淡々と話すメオリは、水を一口だけ飲めば、それ以上何も話そうとしなかった。フォークを握れば、再びパスタを食べ始める。くるくると巻いて、さらに巻いて、また巻いて、一向に口に運ぼうとはしなかった。メオリが黙っていても、パウも無言でいても、店の喧噪がその静寂をさらっていく。重々しい空気は、誰の目にも見えなかった。
ようやくメオリは、意を決したようにやっとパスタを口に運んだ。ろくに噛まずに飲み込んで、水で流し込んで。
「師匠は蠅の噂を聞いて、あれはただの蠅じゃないって調べに行ったんだ。私は、道をたがえた魔術師が、幻かなんかで蠅を作り出していてその裏で虐殺をしてるんじゃないかって言ったけど……師匠は、それにしても妙だって言ってね」
巨大な蠅が本当にいると思わない魔術師であれば、メオリのように正体を考えるのが普通だろう。
「師匠は十中八九、その極悪非道の魔術師に殺されたんだ……だから、蠅を探してる。蠅にたどり着けば……師匠を殺した奴にたどり着けるから」
けれどもそれは妙な話で、パウは黙り続けていた。
――グレゴは幻ではないのだ。実際に人を喰らう。
……だから『霧中の猛虎』が巨大蠅に喰われて見るも無残な姿になったと言ってくれた方が、こうも鼓動が早くならずに済んだのだ。
それが、何者かに殺されたとなると。
……コサドアほどの魔術師を殺すことのできる相手に、心当たりはあった。
――口封じか、それとも単純に邪魔だったからか……。
自然と、パウは口を堅く結んでいた。
犯人は、間違いなくグレゴ研究所の上位の魔術師……『遠き日の霜』の誰かだろう。
コサドアは何か『遠き日の霜』に関する手がかりを掴んだのかもしれない。それを彼らに気付かれて。あるいはコサドアに何か知られる前に向こうが動いて……。
まさか自分の知らない間に、そんなことが起きていたなんて――血の気が引いていくのをパウは感じていた。
敵はグレゴだけではない。そのことを、忘れたわけではなかった。しかしベラー達が、そんな行動をしているとは思わなかったのだ。
「……で? パウは何で蠅を探してるの? デューからの任務?」
と、顔を蒼白とさせているパウをちらりと見て、今度はメオリが尋ねてきた。
グラスの縁にとまるミラーカが、ふわふわと青い羽根を動かした。
「……『千華の光』だからな」
少し考えてパウはミラーカのとまるグラスに手を伸ばした。引きずるようにして動かせば、結露でできた水滴が滴り、テーブルに筋を作った。縁にとまっていたミラーカは、ふわりと控えめに羽ばたいて、パウの肩にとまった。
「任務でも何でもない……やばい奴がいるって聞いたから」
そう答えれば、メオリはきょとんとしていた。
「あんたってさ……やっぱり、正義感っていうの? 強いな」
しかし微笑む。
「ルキュイの街でもそうだった。あんた、すごくつまらなさそうにしてるし人付き合い悪くて……私や他の魔術師は、たった一人『千華の光』として任務に加わったあんたといろいろ話がしたかったのにさ……協力もしなくちゃいけないのに、あんたは黙ったまんま冷たいまんまで、空気ばかり悪くして」
ルキュイの街での任務のことを、パウはあまり憶えてはいなかった。
しかし言われて思い出す。あの時、若くして『千華の光』になった自分に、様々な魔術師が声をかけてきたことを。
「でも……いざ『帳の魔術師団』との戦いが始まれば……あんたは誰よりも激しく戦った」
メオリは続ける。頬杖をついて。
「一人残さず、あんたは捕まえた。本当に、一人も逃さなかった。ちょっと無茶してるんじゃないかって声をかけても……絶対に逃がすわけにはいかないって……必死だった。あいつらは、何人もの人を苦しめたんだって……」
そう、彼女は苦笑していた。
「ま……あんた、腕はあるんだけど、結構周囲に構わず派手な戦いをするから、後が大変だったけどね……さっきみたいに」
そういえば、と、パウは顔を上げる。
メオリの耳には、黄色の耳飾りが輝いていた。知らない間に、彼女も『千華の光』になっていたらしい。メオリが首を傾げれば、黄色の宝石はきらりと輝いた。
「でも、仲間がいて心強いよ」
そして彼女が、唐突にそう笑ったものだから。
「……仲間?」
「パウも巨大蠅を探してるんでしょ? なら、一人で探すより、二人で探した方がいい」
けれども彼女は、はっとして頬杖をつくのをやめれば、
「ああそうか、あんた、誰かと行動するの苦手なタイプだったな」
「――いや、一緒に探してくれるのなら、その方が助かる」
パウは頭を横に振った。メオリは『遠き日の霜』の関係者ではないだろう。信頼できる。その上、こちらは昨日からこの街でグレゴの情報を集めているものの、確かな情報がまだないのだ。協力できるのなら。そして、それだけではない。
「……今の俺は、こういう状態だしな」
テーブルに立てかけていた杖を、パウは掴んで示した。すると、思い出したようにメオリは不思議そうな顔をしたのだった。
「そういえば、何があったか知らないけど……随分見た目が変わったな?」
その問いに、パウは答えなかった。まだ見えている片目で、メオリを睨むように見つめる。そうしていると、やがて彼女は溜息を吐いた。
「……中身の方は、変わってないな。そうやって特に話そうとしないで妙に強情そうなところ」
「……お前は、前も結構喋ってた気がする」
「まあね」
見れば、いつの間にか、メオリはパスタを食べ終わっていた。空になった皿を横によければ、近くを通った食堂の店員が皿を片づけていく。それを見届けて、彼女は。
「で、パウ。あんた……巨大蠅について、どこまで知ってる?」
両肘をテーブルについて、手を組んで、パウを見据えた。
パウは。
「……」
しばらく黙ってしまった。
目はメオリから動かさない。しかし言葉が見つからなかった。
戸惑ってしまったのだ。巨大な蠅について、ほとんどのことを知っているから。
自分の研究が元で、巨大な芋虫が蠅になったこと。そしてそもそもその芋虫の元が、人間であること。
喉を絞められているような感覚があった。声を出そうにも、何かが塞いでいるかのような。
間違っても喋るなと――内側で、何かが叫んで支配していた。
「……不死身で、でかい蠅ってことしか、わからない」
その言葉だけが、すんなり出た。
肩にとまっていたミラーカが、羽を震わせるように動かす。青い輝きが、震える。
そう、とだけメオリは返して、深く溜息を吐く。パウは続ける。
「この街の周辺にいるって話についても……昨日から情報を集めてるが、具体的な話は一つもない……どこに潜んでいるのか、まだわかってないんだ」
「……てことは、私と全く同じ状況かぁ」
ぐぐ、とメオリは背もたれに大きく寄りかかった。それでも、荷物を漁り始めたかと思えば、大きな紙を取り出した。この街の地図。
「それじゃ、手分けして情報を集めよう……あんたはここ。私はこの地区……」
指で円を描いて、メオリは指示を出す。その途中、一つの建物を指さす。
「そうそう、私が泊まってるのはここ。あんたは? お互い、知っておいた方がいいでしょ?」
「俺は……ここだ」
パウも自分が泊まっている宿屋を指さした。と、その指につられるようにして、ミラーカが肩から離れ、地図の端に降り立った。
「そういや、随分綺麗な蝶だな……あんたも使い魔を連れるようになったんだな」
それを見て、メオリは笑う。
……しかしミラーカは使い魔ではない。正体はグレゴだ。
だが使い魔と思われているのなら、その方が都合がいい。パウは何も言わなかった。幸い、ミラーカもわかっているのか、わかっていないのか、メオリに出会ってから一言も喋ってはいない。普通、使い魔というのは人の言葉を話さない。一言でも何か話していたのなら、ややこしいことになっていただろう。
「ちゃんと育成できてる? 私が教えてあげようか?」
そう先輩ぶって目を細めているメオリに、パウは深く溜息を吐いたのだった。
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