第五章(06) パウを助けて


 * * *


 魔術師達が作った銀の檻に移され、巨大な漆黒の怪物が、これまた巨大な船の中へ運ばれていく。

 それを見つめるふりをして、時折アーゼは辺りをうかがい、息を詰まらせる――ベラーの姿がどこにも見えない。

 離れた場所で隊長達と魔術師達が話しているが、そこにもベラーの姿が見えない。凝視しては疑われてしまうかもしれないから、じっと見て確認はできない。けれども耳を澄ます。

「――ところで、ベラー殿は?」

 隊長の声だ、普段ならばいるはずの人間がいないことに、もちろん気付いていたらしい。魔術師が答える。

「ベラー様は、少し用事がありまして」

 用事――ということは、もしかすると別の場所にいて、そもそも船に乗っていないのだろうか。

「――ええ、彼の言う通り、少しやることがありまして」

 しかし声がして、思わずアーゼはばっとそちらを見てしまった。

 隊長と魔術師達が話しているところへ――ベラーが向かって来ていた。

「遅れてしまって申し訳ない……もしかして、何かありましたか?」

「いえ何も。ただ姿が見えなかったのでな」

 ベラーはアーゼに気付くことなく、『風切りの春雷』騎士団の女隊長と会話を続ける。彼は柔和な笑みを浮かべ首を傾げた。

「グレゴに関しては、問題がなさそうですね……ところで、例の魔術師は」

 身体中の血液が冷える。とっさにアーゼは彼らから目をそらし、魔力翼船を眺めているふりをする。

「例の魔術師? なんだそれは? 私は何も聞いていないが」

「おや? おかしいですね……エヴゼイ殿から連絡を受け取ったのですが……」

 そこでベラーは辺りを見回し――アーゼに気が付いた。こちらに向かってくる。

 指の先から凍っていくかのような感覚があった。しかし胸中では焦りが燃え盛っている。必要があれば時間稼ぎをしたり誤魔化したりすると彼に言ったが、果たしてうまくいくだろうか。

「こんにちは、アーゼ」

「――ああ、ベラーさん! お久しぶりです」

 声をかけられるまで、アーゼはベラーに気付いていないふりをしていた。挨拶をすればそれまでのように微笑む。するとベラーも人懐こそうに微笑み返す。

 ――この笑みに、いままで騙されていたのだ。

「聞きたいことがあるのだけど……どうやらここに、パウが来ていたらしいね。以前、君が話してくれた、青い蝶を連れた魔術師のことだ……彼に会いたいのだけれども、どこに行ったか知らないかい?」

「ああ、それが……」

 口の中が乾いている。笑顔が引き攣る。だがアーゼは、自分でもわけがわからないという顔を作った。

「それが、先に行かないとって、急にいなくなっちまって……ベラーさん、前にパウの話をした際、すごく興味をもってくれただろう? だから会わせた方がいいかなと思ったけど、あいつ、なんかそういう癖でもあるのか、別れも言わずに気付いたらいなくなってるんだ。それまでは魔術師に会いたさそうにしてたのに……一体どうしたんだか」

 両手を広げて溜息を吐く。するとベラーは顎に手をあて、眉を顰めたのだった。

「そうか……ぜひ詳しい話を聞きたかったのだけれども……彼にも用事があるのかな」

 それからベラーは少し悩んだのか、間を置いた後で溜息を吐いて、魔力翼船に視線を映した。巨大蠅は、もうその中に運び込まれてしまって、姿が見えなくなっていた。

「……追えばまだ彼を見つけられるかもしれない。しかし……我々は、この巨大蠅について調べなくてはいけない……アーゼ、もし、彼がまたここに来たのなら、もう一度連絡をくれるかい? そして彼がどこかに行かないようにしてほしいのだけれども……彼には、聞きたいことがたくさんあるからね」

「ああ、わかりました! 全くあいつも勝手ですよね!」

 にこやかに返事をすれば、ベラーはまた微笑んで魔力翼船へと歩き出す。周囲を見れば、他の魔術師達も船に乗り込み始めていて、また魔力翼船の魔法陣の翼も徐々に光を増していた。どうやらもう、出発するらしい。

 うまくいったのだろうか。緊張が解け、アーゼは地面を見つめる。誤魔化せたのだろうか。これでパウは逃げきれるだろうか。

 何にせよ、これでベラーは船に乗ってここから立ち去る。それは間違いなく良いことであろう。

 そう、肩の力を抜いた時。

「ああ、そうだった」

 見つめていた地面に、靴が入り込む。

「落とし物を拾ってね……もしかすると、持ち主が捜しているかもしれないから、預かっておくれ」

 はっとして顔を上げると、去ったと思ったはずのベラーがそこにいた。そして差し出したものは、杖。

 パウの杖。仕込み杖となっているが、いまは刃が鞘に収まり、杖の形となっている。

 喉を絞められたかのようにアーゼは声が出なくなった。そして手も、動かない。

 何故、パウの杖をベラーが。

「……それじゃあ、よろしくね」

 いつまで経っても動かないアーゼに、ベラーは無理矢理杖を握らせた。その杖を、アーゼは顔を蒼白にして見つめる。

 やがて我に返って顔を上げれば、ベラーの姿は魔力翼船の船内へと続くスロープにあった。そこで待っていた魔術師二人に、何か指示を出している。指示を受けた魔術師二人は船内に入らず、何故か降りて滑るように走り去っていく――ナヴィガ・ファート遺跡の方へ消えていく。

 そして最後に、ベラーはこちらを見た。

 その表情。いままでの笑みとは違い、鋭く細めた瞳。

 ――全て、わざとだ。

「――待て……!」

 やっとアーゼは走り出そうとしたが、その時にはもう、ベラーの姿は船内に消えてしまっていた。スロープが収納され入り口が閉ざされる。魔法陣の翼が鳥の鳴き声のような音を立て強い輝きを放てば、巨大な紡錘形は浮上し始める。

 そうして船は、青空に浮かび上がり、その姿は小さくなっていってしまった。周囲の騎士団員達は、これで一仕事終わったといわんばかりに賑わい始める。談笑を始める。だがアーゼは残されたまま、小さくなっていく影を見つめるほかなかった。

 どうする。どうするべきか。

 恐らくパウは、捕まってしまって。

 杖を握りしめる。

 一体どうしたらいい――。

「――パウを」

 声が聞こえた。

「パウを助けて」

 振り返れば、青い蝶がそこで羽ばたいていた。ひどく驚き、アーゼは目を丸くする。

 青い蝶、ミラーカは無事だったのか! けれどもその言葉からわかるに。

「パウを助けて」

 ミラーカは繰り返す。

「……わかってる」

 少し考えた果てに、アーゼは騎士団のテントが並ぶ中を歩き始める。ミラーカはついて来る。

 どうするか、なんて。この足で空飛ぶ船を追うことはできない。ならば、船の方からこちらに来てもらえばいいのだ。

 そして――真実を伝えなくてはいけない。

 急ぐアーゼの足先は、『風切りの春雷』騎士団の隊長のテントを目指していた。


 * * *


「やっぱり、あの船すごいよなぁ」

 遠のいていく巨大魔力翼船ユニヴェルソ号を見上げ、一人の騎士団員が感嘆の声を漏らす。

「一度でいいから乗ってみたいなぁ、俺、実は魔力翼船ってのに、一度も乗ったことないんだ」

「へえ、俺も乗ったことないよ、あれに乗って地上を眺めるって、どんな気分なんだろうなぁ」

「僕は乗ったことがあるよ! すごいよ、みんな豆粒みたいに見えるんだけど……世界ってどこまでも続いていてさ!」

 そう数人が話していると、別の騎士団員がやってきた。

「お前達! 仲良く話すのはいいが、片付けと出立の準備を始めておけよな」

「ええ? どうしてですか? 巨大蠅を引き渡して、これで本当に一仕事終わったところなのに……」

 まだ少年の面影が残る若い騎士団員が、その屈強な騎士団員に口を尖らせた。屈強な騎士団員は、

「よく聞け新入り……あの巨大蠅は、まだ大陸のどこかにいるんだ。休んでいる暇は、そうないのさ、わかるだろう? ……きっと隊長達は、魔術師達から新たな巨大蝿出没の情報を得たに違いないから、捕獲しにまた旅を始めなくてはいけない。そのためにも、いまから準備をしておくんだ。休憩は……その後にしろ!」

 はーい。わかりました。とそれぞれが返事をし、渋々始める者もいるが、彼らはまず片づけを始める。散らかっていたものを整理し、荷物をまとめ、もしすぐに旅立つと言われた際に、最低限の行動で済ませられるよう、準備をする。その中でも魔力翼船の話をしたり、これが終わったら稽古をつけてくれなんて話したりすり者もいる。

 そこへ、声がかかった。

「すみません――巨大蠅を捕まえている騎士団というのは、あなた達ですか?」

 騎士団員達にとって、それは聞きなれない女の声だった。皆が手を止め、顔を上げる。

 木々の向こうから、女が一人、歩いてきていた。焦げ茶色の長い髪を後ろで結っている。橙色の瞳を瞬きさせれば、片耳にある黄色の耳飾りが揺れた。

 ぴぃ、と森の中から鳥が鳴き声をあげる。女が腕を伸ばせば、飛び出してきた一羽の鷹がその腕にふわりと止まった。

「詳しい話を聞きたい……私、巨大蠅を追っていまして」

 それから、と彼女は続ける。

「それから、青い蝶を連れた紫色のマントの魔術師も探しているのですが……見たこと、ありませんか?」

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