第五章(07) 連れて行けっていうのなら


 * * *


「お願いします。ネトナさんなら、魔術師達と連絡がとれるでしょう? だから、呼び戻してほしいんです!」

 薄暗いテントの中、簡素なテーブルに両手をつき、アーゼは声を荒らげる。いま、ミラーカはまるで事がどう進むのか見守ろうとするかのように、高く積まれた木箱の上にとまっていた。

「却下だ」

 アーゼに対し、テーブルを挟んで向こう側に立つ女は、腕を組んで冷たく言い放つ。金色の短い髪はふわりと広がっていて、後ろから見れば可愛らしく思えるかもしれないが、その姿はまさに騎士といった服装。決して長身とは言えない背丈だが、片手で持つことは不可能であろうほど大きい剣を背負っていて、まるでそれを背負うために生まれてきた、というようにそこにあった。そして向かって右側には眼帯を。残された瞳は金色で、見たものを突き刺すかのような鋭さを秘めていた。

 彼女こそがこの『風切りの春雷』を率いる隊長ネトナだった。

「友人が連れて行かれたとはいえ、お前の話は信じられない、アーゼ。よって、お前の頼みは聞けない」

 ネトナは一つも動じず、アーゼを睨む。

「それほどに言うのなら、まずは魔術師達が我々を騙しているという、確かな証拠を出すんだ」

 そう言われると、アーゼはもう言葉が出なかった。物的証拠はなにもない。

 しかし、魔術師達は自分達を騙していて、パウは連れ去られてしまったのだ。

 アーゼが言葉を探し続けていると、ネトナが深く溜息を吐いた。

 そこでテントの奥から声がする。

「――んでもさぁ、考えて見りゃさぁ、あいつらが本当に味方だって証拠もないわけじゃない? ネトナちゃんはそのあたりどー考えてるぅ?」

 埋もれるようにして荷物を漁りながら、何か作業していたのであろう男が顔を出す。濃い青の髪に、子供っぽい黄緑色の瞳。騎士団員にしては少し軽い服装だが、それでも彼が『風切りの春雷』の副隊長エヴゼイだった。

 エヴゼイはアーゼを見据えればへにゃりと笑う。

「……ま、あいつらが僕達を騙してるっていう方が信じられないかぁ。あいつら、僕達を助けてくれてるのは確かだし? 青年、ネトナちゃんを動かしたいなら、まずは証拠集め! 証拠集めだよっ!」

 しかしそんな時間があるのかすらもわからない。連れ去られたパウがどうなるのか、何一つわからないのだ。

 少なくとも殺されることはないと思うが、相手は人間を人間と見ない人物達である。そして一つ気がかりなのが、ミラーカがここにいる、ということ。青い蝶がいないとなると、それを連れていたはずのパウに、果たして彼らは何をするだろうか。

「……わかりました」

 考えた末、アーゼは身体を起こし直立する。

 どうしたらいいかわからない。だが、どうにかしなくてはいけないのだ。

「それなら、俺は一人で助けに行きます」

 高速で考える。

 ――彼らは魔力翼船を拠点にしているようだが、常に空にいるわけではないはずだ。地上に近付く隙をつけば、入れるかもしれない。

 ――それに、自分自身だけでは空を飛ぶことは不可能だが、どこかで別の魔力翼船に乗れたのなら、そこから彼らの船に飛び移れるかもしれない。

 どこに行った、という事に関しては、不安を抱かなくていいだろう。何せ巨大魔力翼船。存在は目立つ。

 ……もしかすると、案外地上に接近する機会は多いかもしれない。彼らはデューの魔術師を騙っている。それならば人々を助けるような行動をするかもしれない。

「勝手な行動は許さないぞ」

 ところがネトナがさらに瞳を鋭くさせる。テーブルに広げてあった地図を軽く叩く。

「我々は、魔術師達から貰った情報をもとに、新たなグレゴを捕獲しに行かなくてはいけない……お前は騎士団を抜けるつもりか?」

 単独行動は許されない。パウを追うには、騎士団を抜ける必要がある。

 それでも。

「……友人のためなら。正しいことのためなら」

 パウを助けに行かなくてはならない。そして自分達が騙されている証拠を見つけ、敵の姿を露わにしなくてはいけない。

 薄暗い中、アーゼの瞳とネトナの瞳が衝突する。それ以上、二人は何も言わず、ただエヴゼイだけが困ったような笑みを浮かべて二人を見つめていた。

 ――妙に、外が騒がしい。

 そのことに、まずはエヴゼイが気付いた。自然と顔を上げる。続いてネトナがテントの入り口を警戒し、視線をそちらに向ける。最後にアーゼが気付いて、気配を感じて振り向いた。

「――魔術師は! 紫のマントの、杖をついた魔術師は!」

 アーゼが振り返ると同時に、外から一人の女が転がり込んできた。肩には器用に鷹がとまっていて、アーゼは驚いて数歩のいてしまった。

 乱入してきた彼女は勢いのままに目前のテーブルに両手をつく。そしてアーゼを見て、ネトナを見て、エヴゼイには気付かなかったようだが、ネトナが隊長であると認めたらしい。

「あなたがここの隊長? さっきここに、パウっていう魔術師がいたはずなんだが! いま、彼はどこに……!」

「――あれぇ? 『千華の光』だぁ。しかもその鷹……使い魔か!」

 と、エヴゼイが興奮したように立ち上がる。それから、

「お前も例の魔術師に関してかぁ、なんだかあいつ、人気だなぁ」

 乱入してきた女は、ネトナの返事を待っていた。けれどもネトナは顔を顰めて何も答えなかった――そもそもパウの話はネトナまで上がってはいない。アーゼがパウについて話したのは、エヴゼイまでだった。

 そこでやっと、アーゼは我に返った。

「お前、パウの知り合いか?」

 エヴゼイの言った通り、耳飾りがあることから彼女は『千華の光』なのだろう。もしかしたら。

 彼女は少し噛みつくかのように尋ね返す。

「お前! パウを知ってるのか! 奴はどこに――」

「さらわれた! 連れていかれたんだ、『遠き日の霜』に!」

「……『遠き日の霜』……それって、デューを制圧し、あの巨大蝿を作った奴らだよな……?」

 途端に女はひどく混乱したように目を見開く。

「パウは『遠き日の霜』ではない……? でもあいつと奴らには絶対何か関係があるはず……。それに巨大蝿との関係は……」

 突然独り言ち出したかと思えば、次の瞬間にはアーゼの腕をがっ、と掴んでいた。

 どうやら彼女は、見た目から思われる以上に力が強いようだった。ぐいとアーゼは引っ張られる。

「連れて行かれたって、どこに! あいつが全てを知っているはずなんだ! とにかくあいつを見つけないと……!」

 怒鳴られアーゼはまた目を白黒させてしまうが答える。

 ――この様子、恐らく彼女は『遠き日の霜』ではない。

「魔力翼船に連れて行かれた! 巨大魔力翼船ユニヴェルソ号に!」

 彼女の腕が離れた。彼女は額に手を当てると、ひどく悔しそうな表情を浮かべていた。

「あれか……途中で見たあの影か! ああくそ……ただの魔力翼船だと思って、全然気にしてなかった! 追わないと……!」

 そうして彼女は、名乗ることもなく、外へと飛び出していった。急にテント内は静かになる。残された三人は、唖然としたままだった。

「……何だ、彼女は。嵐のようだったな」

 最初に我に返ったのは、ネトナだった。続いてその言葉にアーゼもはっとして――外へと向かう。

「待て! どうする気だ!」

 とっさにネトナが制止する。アーゼは振り返れば、

「彼女、船を追うつもりです! だから俺も行くんです! よくわからないけど……」

 あの女はパウを探している。「追わないと」とまっすぐに出て行った。

 その様子からわかる――彼女は追える手段を持っている。

「だから勝手に動くなと――」

 ネトナが怒りの混じり始めた声を響かせる。しかし。

「まあまあまあ、落ち着いて落ち着いて、もういいでしょ」

 エヴゼイがとたとたとやって来て、まずはネトナの前に立ち両手を見せた。するとネトナは言葉を呑み込んでしまって、エヴゼイは次にアーゼへ向かう。

「よし……わかったよ、頑張ってきなよっ!」

 まるで気合を入れるかのように、彼はアーゼの背を叩く。アーゼはきょとんとしてしまったが、その間にミラーカがテントから出て行くのを見て、追って外に出た。

「……どう思う?」

 アーゼがいなくなって少しして、ネトナが溜息を吐く。

「逆にネトナちゃんはどう思うわけ? アーゼくんの言ったあれこれ」

 エヴゼイは尋ね返す。

 ネトナは目を瞑れば、腕を組んだ後に、答える。

「……あの魔術師達が、我々を騙している。アーゼの言った可能性を疑わなかったことを、少し後悔している」

「ふむふむ?」

「巨大蝿を決死で捕まえた我々は、それで精一杯だった。そこに助けの手が差し伸べられたのだ……疑う余裕すらもなかったが……彼らはあのグレゴを弱らせる魔法薬を持っていた。そこに、疑問を抱くべきだった。研究したから魔法薬を作れたのではなく、彼ら自身が巨大蠅を生んだからこそ、弱らせる手段を知っているのではないか、と……」

「ほうほう?」

 エヴゼイは椅子にふんぞり返れば、頭の後ろで腕を組んで笑う。

「まぁー様子見てみようかねぇ……僕の魔法道具は最高なんだ、知ってるだろぉ?」

 その手の中に、小さな円盤を握っていた。


 * * *


 鷹を連れた女はどこに行ったかと尋ねれば、仲間達は森を指さした。まるで獣のようにアーゼが森の中へ飛び込むと、いくらか進んだ先に、木々の薄い場所が見えてきた。

 そこに、あの乱入してきた女はいた。

「おい! お前――」

 声をかけようとして、けれどもアーゼは言葉を呑み込む。

 ――女は両手を前に伸ばし、その橙色の瞳を輝かせ、目前を見据えていた。

 彼女の前、あたかも絨毯のように地面に広がっていたのは、巨大な魔法陣だった。そして中央には鷹がいた。目を瞑り、頭を垂れている。

 女の目が、かすかに細くなる。それと同時に魔法陣の輝きも強くなり、どこからか生まれた風が彼女の結った髪を靡かせ、また鷹の羽毛を震わせる。

 女の手の前にも、宙に描かれるようにして、大きな魔法陣が一つ生まれる。その魔法陣が輝けば、地面の魔法陣も呼応するかのように更に輝き、ついには直視できないほどになる。アーゼは腕で庇うだけではままならず、顔をもそらした。

 その中でもそろそろと顔を上げ目を開けると、激しい光が鷹に巻きついているのが見えた。魔法の光に包まれた鷹は膨らむように大きくなっていく。それは人よりも大きくなり、また前足二本が生え四本足に。爪はより大きくなり、嘴も更に鋭さを増す――。

 果てに弾けるように光が散った。破片が空気に溶けるようにして消える中、四本の脚を持つ大きな鳥の獣が雄々しく翼を広げ、どこまでも響くような咆哮を上げる。

 アーゼは言葉を失ってしまった。これが魔法。あの鷹が、力強い獣に変身した。

 女は一つに結った髪をひらりと獣の背に乗る。と、瞳は鷹のもののままであるその獣が、アーゼに気付いて鋭く見据える。そして魔術師の女も、ようやく振り返った。橙色の瞳に、青色が映る。

「――青い蝶!」

「パウだけが捕まって、こいつは逃げられたみたいなんだ!」

 アーゼは説明したものの、次の刹那、女は手を構えたかと思えば水晶一つを放ってきた。驚いたアーゼはとっさにその場から飛び退く。ミラーカもふわりと避ければ、魔力の水晶は地面に刺さって消えた。

「近付くな……お前は何者だ、パウの知り合いと言ってたけど……」

 何故攻撃するのかとアーゼが女を見れば、彼女は警戒しているのか、手を構えたままだった。

「俺はアーゼ。この『風切りの春雷』騎士団の一員だ……そいつに乗って空を飛ぶのか? 俺も連れて行ってくれ! あいつを助けないと!」

 アーゼは剣を抜かなかった。

 女は、しばらくの間何か悩んでいたらしい、長いことアーゼを睨んでいた。やがてミラーカを睥睨する。

「……その正体のわからない青い蝶は何もしてこないか?」

 そして獣をアーゼの前まで進めた。

「私はメオリ。連れて行けっていうのなら、早く後ろに乗って。シトラのこの姿でも、急がないと魔力翼船には追いつけないかもしれない」

 メオリに言われた通り、アーゼは馬にまたがるようにして、四本足の鳥の獣の背に乗った。ミラーカもついて来て、アーゼの服のポケットの中へ入り込む。それにアーゼは一瞬驚いたが、そこでシトラと呼ばれた獣が嘶き、翼を大きく羽ばたかせた。

 四本の足が地面を蹴る。羽ばたき浮上し、空高くへ舞い上がる。そして宙を駆けるように、空を飛んだ。空の風は冷たかった。しかしシトラは温かかった。力強い羽ばたきからは、羽の一枚も落ちることはない。

 アーゼが下を見れば、地面は随分と下の方にあった。けれども恐怖心は薄かった。空をこうして飛ぶなんて、初めてのことだったから。

 そしてこれならば、あの魔力翼船に、きっと追いつける。

「説明して」

 目を輝かせて辺りを見ていると、不意にメオリに言われた。

「何を説明したらいい」

「……全部。お前の知ってることの全部だ。パウは一体何者だ? あの巨大蝿やいかれた魔術師達と何の関係がある? それから……あの青い蝶は、何なんだ?」

 なるほど、とアーゼは思う。

 ――彼女はきっと、先程までの自分と同じだ。

 彼女は続ける。

「まず……パウはいかれた魔術師の仲間ではない、そういうことでいいのか?」

「パウは『遠き日の霜』じゃない。それは間違いない……ただ、騙されて利用されていただけなんだ」

 そこでアーゼは間をおいて、言葉を考えて、やがて答えを出した。

「……俺が知ってることは話す。でも……あいつ自身から聞いた方がいい、いや、あいつ自身が話した方がいいこともある。そのことは、あいつから聞いてくれ」

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