第九章(02) 『魂削り』の罰を
* * *
「……そこから我々は、カーテレイン殿の船に乗り込み――アーゼ達から連絡を受けて、彼らを拾ったのだ」
巨大魔力翼船ディアスティム号。その一室。
カーテレインの執務室として使われているその部屋に、パウは連れてこられた。待っていたのは部屋の主であるカーテレインと、ネトナとエヴゼイ、そしてアーゼとメオリだった。他にも、カーテレインを補佐しているのだろう、魔術師が二人。
この船に乗せられて、三日が経っていた。それまでパウは、与えられた部屋から出ることを許されなかったのだ。カーテレインの魔法により、完全に怪我は治っていたものの、それでも「部屋で待っていろ」と待機を命じられた。やっと呼び出されて、部屋を出ることを許された。とはいえ、カーレテインを補佐する魔術師達に連れ出されたため、自由はなかったのだが。
紫色のマントは、いまはなかった。どこに行ってしまったのか、パウ自身もわからない。杖もなく、ほんの少し不自由をしながらこの部屋までやって来た。
そうしてこの執務室に来たところで、ネトナからこれまでの話を聞いたのだった。
「……デューの魔術師達は、ちゃんと生き残ってたんだな」
パウは唇を舐めて、カーテレインを見据える。机の向こう、椅子に座った『天の銀星』カーテレインは薄く笑みを浮かべていた。
「デューでの戦いで、多くの者が亡くなりましたが、なんとか。そしてやっと立て直しが終わり、反撃を始めたところです」
――デューの魔術師達が生き残っていたのは、喜ぶべきことだった。
しかしパウは、警戒していた。いま会うべきではなかったと、思っていたのだ。
何故なら、自分は。
「まさか『遠き日の霜』が分裂していたとは考えもしませんでした……でも、あなたを拾った時のあの様子から、プラシド一派はフォンギオ達に敗北し、ユニヴェルソと例の巨大な蠅は再び『遠き日の霜』の手に渡ったと見てよいでしょう……そしてまた逃げられてしまいましたね」
カーテレイン達は、ユニヴェルソ号の気配を追って行動していたのだという。こちらの船ディアスティム号の能力を使い、空に浮かぶ巨大な魔力の気配を探していたらしい。そうして見事に見つけ出したが、彼らが見つけたのは、置き去りにされたパウのみだった――。
「けれども、もう彼らがどこに行ったか、予想はできています……デューに戻ったのでしょう。あそこが、いま彼ら『遠き日の霜』の拠点ですから」
と、カーテレインは立ち上がる。ウェーブがかった薄茶色の髪を耳にかければ、黄色の耳飾りが現れた。そしてこれまで伏し目がちだった薄紫色の瞳が、唐突に、きっとパウに向けられる。
「あなたの青い蝶を捕まえたのです。青い蝶と、彼らの保有する……特殊個体のグレゴ、とでも言いましょうか。その二種を使って何かするとしたら、ユニヴェルソでは無理でしょう。様々な道具も素材も設備もあるデューに戻るはずです……」
――グレゴが何であるか。青い蝶は何であるか。そしてパウという一魔術師が何をしたのか、『遠き日の霜』と何の関係があるのか。
全てはすでに、ネトナとエヴゼイがカーテレインに伝えていた。伝えた方がいい情報として。そして先程、パウ自身からも改めて説明をした。
カーテレインは続ける。
「事態は一刻を争う状態かもしれません。例の特殊個体のグレゴが、青い蝶を食べたのなら、どうなるのか」
そしてパウがユニヴェルソ号で見聞きしたものも、既に伝えてあった。プラシドが「神」と崇めた、もはやグレゴとは思えない巨大な怪物についても。
「それなら……デューに急いで行かないと」
パウは自然と握り拳を作っていた。
――ミラーカがさらわれてしまったのだ。もしも何かあったのなら。
ここ数日、何とか抑えてきたが、もう限界だった。
憶えている。ベラーの笑みと、小瓶に捕まった青い蝶の姿を。
あの時、ミラーカは自分を呼んでいた。
そうであるのに、自分は応えられなくて。
右手の小指が、震える。
「いますぐ……いますぐデューに行くことはできないんですか? もしできないのなら……俺一人でも行きます」
「パウ。落ち着いてください……いますぐ、ではありませんが、私達はすでに、デューに攻め込む計画を立てています」
半ば掴みかかるかのような勢いだったパウに、カーテレインはそっと手を出し制す。そこにネトナが加わる。
「我々『風切りの春雷』騎士団も、この計画に参加することになっている。この船に乗る者、全員で戦うのだ」
ところが、かつ、と目の前で足音が響いて。
「けれどもパウ。あなたはだめです……あなたはこの船で待機してください。全てが終わるまで」
いつの間にか、カーテレインは目の前に立っていた。
何を言われたのかわからず、パウは瞬きをする。
「――あなたはするべきことをしなかった。そうですね?」
鋭い薄紫色の瞳に射貫かれ、パウは言葉を発せなくなった。
――カーテレインが何のことを言っているのか、わかっていた。
グレゴや『遠き日の霜』のことを、デューが陥落する前に彼らに伝えていたのなら――。
けれどもパウは、それをしなかった。
様々な理由をつけて。きっと自分で解決しなくてはいけないからと。
だがそれは、自分一人でどうにかできるものではなかった。
それでも逃げ続けて。やっと目を向けようとした時には、もう遅く。
「あなたがするべきことをしていたのなら……と、考える者も少なくありません」
カーテレインの鋭い瞳は、パウを貫いて、その場に留める。
「そしてあなたのその行動から、あなたを信用できないのです。ですから……また余計な動きをすることも考えて、あなたはこの船で待機してください。部屋から出ないで下さい。それを伝えるために、今日はここに呼びました」
そう言われてしまったのなら、パウは何も言い返せなかった。
わかっている、自分が何をして、何をしてこなかったのか。その結果、何が起きてしまったのか。
「――俺はミラーカを助けなくちゃいけない。俺も行きます」
それでも、だった。
次の瞬間、片耳に、小さな痛みを感じた。何かが弾けたようだった。きん、と音がして何かが落ちた――留め具の壊れた黄色の耳飾り。パウが身に着けていた『千華の光』の証だった。
「責任、というものがわからないのですか?」
一度落ちた耳飾りが風に吹かれるようにして宙に浮いたかと思えば、カーテレインの手中に収まった。
「あなたは『千華の光』に相応しくありません。よって、その地位、その証を剥奪します」
再びカーテレインが手を開いた時、そこにあの耳飾りはもうなかった。
誰かが息を呑んだ音が聞こえた。メオリだった。焦ったような表情を浮かべていて、エヴゼイも似たように表情を歪めていた。ネトナは淡々として落ち着いた様子だった。アーゼは何が起きているのか、理解できていない様子で首をわずかに傾げていた。
パウはしばらく、空っぽになったカーテレインの手を見つめていた。
『千華の光』ではなくなった。ただの魔術師になった。
しかし、だからどうしたというのだ。
確かに憧れてなったものだった。人々のための魔術師になりたくて。師の隣に並びたくて。
けれども、いま、自分は。その地位、その証があってもなくても。
目を瞑れば、青い輝きが見えた気がした。
一歩、足を退く――。
「逃がしませんよ」
ところが、殴りつけるかのような声がする。そして――瞬間移動魔法を使おうとしたにもかかわらず、何も起こらない。できない。この身にある魔力の流れが、全く操作できない――。
「瞬間移動魔法を使おうとしましたね。でも、あなたがこの部屋に入った時点で、魔法封じはしました」
目の前では、カーテレインが少し呆れた様子で溜息を吐いていた。
「やはり仕掛けておいて正解でしたね。力があるにもかかわらず、その責務を果たさなかっただけでなく、まるで子供がだだをこねるように逃げようとするとは……」
気付けば、パウの左右にはカーテレインを補佐する魔術師達が立っていた。走って逃げ出そうにも遅かった。左右から捕らえられてしまえば、もう逃げられない。暴れても、魔法が使えなくては非力だった。
「……カーテレイン殿、これは」
どうやらネトナも、カーテレインがこう動くとは思っていなかったらしい。
「デュー奪還の計画に参加させないということもだが、何を考えている? 私は……彼から話を聞くだけだと」
「――責務を果たせない者は、力を持つべきではありません。無邪気な子供に刃物を持たせるわけにはいかないのです」
カーテレインはネトナを一瞥もせず、ただパウだけを睨みつけていた。
「魔術師パウ。この戦いが終わったのなら、あなたには『魂削り』の罰を与えます……それほどの過ちをしたのだと、あなた自身、十分にわかっていますよね。それとも、それすらもわからないほどまで落ちましたか?」
『魂削り』――自然とパウの顔から血の気が失せた。
……だから、いまデューの魔術師達に会うべきではなかったのだ。
きっと、罰が必要だと、判断されるから。
『魂削り』。それは魔術師にとって、最も重い罰となるもの。それだけではなく、己が己でいられるか、わからなくなるもの――。
「……そうやって、あんたらって、魔術師を殺してきたんだぁ。野蛮なんじゃないのぉ?」
数秒の間、それが誰の声であるか、パウにはわからなかった。だが声のした方を見て気付く。
「ていうか、いま地位剥奪とか、罰とか、やってる暇あるわけぇ? 僕信じらんないなぁ?」
エヴゼイだった。珍しく険悪な表情を浮かべていた。
「――あなたは確か、エヴゼイ、と名乗っていましたか」
カーテレインが目を細めた次の瞬間、エヴゼイが背に回していた片手が弾けた。床に転がったのは、枝のような形をした魔法道具だった。
「エヴゼイ……懐かしい名前です。彼は優秀な同期でした……事故を起こすまでは」
「同期だってぇ? とんだ若作りばばあだなぁ~……」
「彼は元気にしていますか? ああ『魂削り』をされたのなら、あまり長生きはできないと聞きますが……」
「――カ、カーテレイン様!」
と、そこで声を上げたのはメオリだった。メオリは顔を青くしていた。それでもなお、パウの前に庇うように出たのだった。
「……『魂削り』は、やりすぎだと、思います。確かに彼は『千華の光』としての義務を、それどころかデューの一魔術師としての義務を怠りました。でも、いくらなんでも、そうすぐに『魂削り』と決めるのは……」
「けれどもこれが、最もふさわしい罰であると、あなたにもわかるでしょう? もしも彼が正しく動いていたのなら……あなたの師も、まだ生きていたかもしれない」
そう言われてしまえば、メオリは唇を震わせて黙ってしまった。
パウはその後ろ姿を、黙って見ていた。
「……『魂削り』って、なんだ?」
重々しい空気が圧し掛かる中、そっと疑問を口にしたのはアーゼだった。
「……簡単に言えば、魔術師を辞めさせるってこと」
答えたのは、未だカーテレインを睨むエヴゼイだった。
「魔力は魂の力……だから、魔術師を辞めさせるには、魂を削るんだよ」
「それって……大丈夫、なのか?」
「大丈夫じゃない。本当に運がよくない限り……頭や精神に異常が出る。魂を削るんだ、まともじゃなくなるに決まってるだろぉ? 最悪の場合、廃人だよ。寿命も多くの場合縮むっていうし」
それを聞いたとたん、アーゼはメオリに並んだ。そしてカーテレインへ怒鳴ったのだった。
「それは……ちょっと、おかしいんじゃないのか!」
「あなたは魔術師ではありませんね。ごめんなさい、部外者にはわからない話だと思うので……」
「部外者って……!」
ふと、アーゼが表情を歪めつつも、パウへ振り返った。そして再び、カーテレインへ怒鳴る。
「俺は……俺は見て来たんだ! こいつが自分のしでかしたことを、何とかしようってやって来たのを! 確かにこいつは……やるべきことを、やらなかったかもしれない! 俺だって、こいつのせいでと……思わずにいられない時もあった! でも……でも……いくらなんでも、そんな無茶苦茶なこと……俺は……許せない――」
アーゼの手が、腰の剣の柄を握った。
「――アーゼ」
ところが、ネトナの斬り裂くような声が、アーゼの手を止めた。
ネトナだけは、先程と変わらず、落ち着いた様子で腕を組んでいた。
「エヴゼイ、お前も落ち着け。ここで口出しできるのは、同じ魔術師であるメオリだけだ……」
だが、とネトナは腕を解いた。隻眼が、まるで疑うかのようにカーテレインを捉える。
「……『魂削り』の件は、そちらのやり方というものがあるだろう。だが、デュー奪還の作戦にそいつを加えないということに関しては、私は反対だ。そいつは使える。それだけじゃない……例の青い蝶は、そいつがいないと扱えたものではないと思うぞ」
「しかし、だからといって彼を作戦に加えたところで、その後彼は逃げ出すでしょうし……あなた達は、彼の手伝いをするでしょう?」
カーテレインは誰の話も聞かなかった。
「……だから、私達があなた達と行動を共にし始めた際、この三人との連絡をとらせなかったのだな?」
不意に、ネトナは口にする。カーテレインは薄く笑って、
「いえ、遠距離会話の魔法道具で、私達の位置が『遠き日の霜』に探知されてしまう可能性があった、というのは、本当ですよ。ああでも、私達デューの魔術師がいることをパウが事前に知っていたのなら……いまのように逃げ出したかもしれませんね?」
――その後、放り投げられるように、パウは部屋に戻された。
扉に鍵がかけられる。その上で、魔法でも施錠される。
生活はできるものの、窓のない部屋であり、魔法封じの呪いもかけられたままのいま、パウに出来ることは一つもなかった。
――どんな罰でも受け入れると、決めていた。
けれどもそれは、やることをやった後の話。
――ミラーカとの約束を果たさなくてはいけない。
――ミラーカを助けに行かなくてはいけない。
だが、どうやって。
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