第九章(07) こんなところで!


* * *


 『大樹塔城』に入り、パウはすぐに地下に向かった。地上部分は戦乱に崩れ、人影はどこにもない。けれども意識を集中すれば感じられた――地下で様々な魔法設備が稼働しているのを。

 デューが制圧される前、まだ自分が何も知らなかった頃。その時に一魔術師として『大樹塔城』には何度も出入りしたが、地下にはほとんど行ったことがなかった。地下には魔法研究のためや魔法道具開発のために、多くの魔法設備がある、と聞いたことがある。中には恐ろしいほどに危険な設備や道具、禁忌とされる研究書やその資料もあるということも。

 そう説明してくれたのは、師であるベラーだった。もしかすると、その頃から、地下にある設備に目をつけていたのかもしれない。

 とにかく、不老不死や神に近づくこと、グレゴを研究するのなら、地下で行うだろう。一人で乗り込んだ魔術師の足音は、地下へ向かう。杖で床をつけば、かつん、と足音よりも音が響く。

 その足音に誘われるようにして、階段を降りる度に、また廊下を進む度に『遠き日の霜』の魔術師が襲いかかってくる。

 だが、並の、そればかりではなく上位の腕を持つ魔術師でも、パウにはかなわない。

「貴様、一人で攻め込んでくるとは、囮にしても愚か――」

 唐突に背後に現れた魔術師の影。構えた魔法は、パウの背を狙っていた。ところがパウは振り返らず、手を素早く掲げる、魔法陣を展開する、水晶を放つ。放たれた水晶は相手の魔法発現しかけの魔法陣を砕き、そのまま術者に突き刺さり、黙らせる。

 そうしてまた、蟻の巣のようにも思える地下を進んでいく。

「……青い蝶は、どこにいる?」

 ホールに出たのなら、多くの魔術師達に囲まれる。白い耳飾りをつけた彼らは、パウの質問に答えない。ただ一斉に魔法を構えて標的を狙う。いくつもの輝きが、パウに放たれる。

 その次の瞬間、パウの姿は、瞬間移動魔法で消え失せた。

 現れたのは真上。パウの真下では、魔術師達が放った魔法がぶつかり合い、大きく爆ぜていた。

 魔術師達は焦らない。むしろ好機だと笑う者もいた。宙に飛び上がったのなら、逃げる余地はない。再び、剣先の輝きのような無数の魔法がパウへ迫る。

 紫色のマントをはためかせながら落ちる中、パウは目を細めた。さっと手を振ったのなら、自身を中心として、いくつもの魔法陣を展開する。

 守りの魔法ではなかった。魔力による壁でもない。

 炎を放つ魔法。蛇のように炎が溢れ、渦巻き、敵の魔法を消し去りながら、魔術師達をも呑み込んでいく。

 そんな、あり得ない、という声が聞こえたが、その声も炎に燃やされてしまった。

「――青い蝶の居場所を教えろ」

 熱気が消え去ったホールには、何人者魔術師が倒れていた。そのうちの、気をまだ保っている魔術師を見つけたのなら、パウはしゃがみ込み、彼の胸ぐらを掴んだ。

「お前、これほどの力を持ちながら……何故『使われる側』に立つ……! 何故、全ての頂点に立つことを、さらなる高みを目指すことを望まない……!」

 彼はすぐに答えてはくれなかった。

「興味がない。いまは……ミラーカを助ける、ミラーカのためにできることをする、それだけだ」

 淡々とパウは答えて、もう一度尋ねる。

「それでミラーカは……青い蝶はどこにいる?」

 パウの赤い瞳の輝きが、相手の瞳に映り、反射する。

 その輝きに、相手は息を呑んだが、パウは気付けなかった。ただ答えを待って、答えないのなら、もう捨て置くつもりで――。

 悲鳴にも似た風を切る音が聞こえて、次の瞬間、黒い棘が、パウと相対していた魔術師の胸に突き刺さった。言葉の代わりに血を吐いた魔術師は、もう何も言わなかった。

 彼に刺さっていた黒い棘は、正しくは水晶だった。影を煮詰めたような色で、水晶でありながらも、ほかの光を反射しない。異質な黒色。やがて水晶は空気に溶けてなくなる。

 『穢れ無き黒』の魔法水晶。

 パウは彼から手を放し、無言で立ち上がる。そして水晶が飛んできた方を見て、人影一つを、見つけた。

 わずかな足音とともに、廊下からホールへ一人がやってくる。長い髪は灰色で、光に当たれば白銀にも見える。黒色に見える瞳は、光が当たれば本当は紺色なのだと気付ける――どうにも彼は、光の中で見る姿と、影の中で見る姿で、違いがある。

 ベラー。いつもの微笑みを浮かべて、パウと目があったのなら、その瞳を細めてより笑う。

「待っていたよ、パウ」

 声も、出会った時と変わらない。

 ただ彼を見て、パウは妙だと感じた。何かおかしいと思えば、ベラーの頬に傷痕があった。小さく、そこまで目立たない傷だが、痕になってしまったほどのものらしい。

 ベラーほどの魔術師が、まさかそんな傷を負うとは思えなかった。

「……ミラーカはどこにいる?」

 少しずつ、思い出す。あの時ミラーカはベラーに連れて行かれてしまったのだと。

「やはり、あの蝶がお前を呼んだんだね。予想通り動いてくれてよかった」

 そんなベラーの言葉に、パウは顔を歪める。ベラーは続ける。

「あの蝶なら、お前をどうにか、この場に連れ出すんじゃないかと思ってね……カーテレインに捕まったのなら、あいつはあまり、お前をいいようには扱わないだろうから、できるだけ早くお前がここに来るよう、仕向けたんだよ……そうでなくとも、お前はあの蝶を追って一人でここに来ただろう?」

 思わず歯ぎしりをした。全てはベラーの手のひらの上だったのだ。

 だがミラーカを助けに来たのは確かなことで。ここでベラーが自分を待っていたというのなら。

 ――自分だって、この機会を待っていた。

「ミラーカの居場所を言わないなら、力尽くで聞き出す」

 手を前に差し出す。魔法陣が展開される。巨大な魔法陣。その光と幾何学模様に、ベラーの表情が隠れる。

「そうでなくとも……ミラーカも俺も、お前を許さないから」

 ベラー。ミラーカが復讐したいと願った相手。死による償いが必要な者の一人。

 そして自分を騙した男でもある。

「ちょうどいい、決着をつけよう」

 パウの魔法陣が強い輝きを放つ。いくつもの水晶が魔法陣から現れ、矢のようにベラーへ走る。

 ところがベラーは、涼しげな顔をしていて。

「……そう、私は万全な状態のお前を殺したかったんだ。嬉しいよ、パウ、そうでなければ意味がない」

 その顔が、大きく嬉しそうに歪んだ。

「さあ、私に面白いものを見せておくれ――全てが退屈で、満たされることがなかったのだから」

 漆黒が花開く。黒い盾が展開され、その盾に衝突する前に、パウの水晶は全て溶けて消えてしまう。ベラーの黒水晶の特性。周囲にある魔力を吸い、魔法を崩してしまう力。

 直後に、背後に気配を感じる。反射的にパウは前へ駆けだした。同時に振り返れば、そこにベラーの姿があった、瞬間移動魔法を使ったらしい。まるで以前自分が仕掛けた手口のようで、パウは苛立ちに声を漏らす。

 あの時自分は、この行動に失敗してしまった。だがベラーは失敗しなかった。素早く放ったいくつかの黒い水晶はパウの腕をかすめる。腕に突き刺さる。もがくようにパウは手を構えて、反撃の魔法を放とうとするが、魔力を乱す黒い水晶に触れてしまったのなら、内にある魔力も安定しない。一瞬現れた魔法陣は瞬く間にぐにゃりと歪んで縮みゆく。

 この程度で、圧されるわけにはいかない。

 黒い水晶を生み出すことができる『穢れ無き黒』ベラーを相手にするなんて、無謀もいいところかもしれない。それでもやらなくてはいけない。

 だから、息を止めて、集中して。

 ――乱れを押しのけて、魔法陣が形を取り戻す。仕掛けたのは光球。ベラーに向かったかと思えば、唐突に直角に折れて天へ向かい、天井を崩す。瓦礫がベラーに降り注ぐ。

 瓦礫は魔力でできているわけではない。黒水晶の影響を受けない。

 ベラーの片足が、一歩後ろへ引く。瞬間移動するであろうことは、パウにも読めていた。追い打ちにまた水晶いくつもを素早く放って、隙を与えない。呼応するようにベラーが黒い水晶を放ってくるがそれでいい。そうやって魔法を使わせることにより、瞬間移動をさせない。追いつめていく。

 ベラーの姿が瓦礫に見えなくなる。下敷きになったかどうかは、わからない。

 パウは気を抜かなかった。このくらいでベラーが死ぬとは全く思えない。瓦礫に煙のように埃が舞う中、感覚を研ぎ澄ませる。視界が悪くなってしまった。その中で、急に埃が渦巻くのを目にする。

「ぐ……っ!」

 埃を纏った透明な大蛇のようなものがパウを締め上げた。魔法による風。持ち上げられたかと思えば、パウはそのまま壁に叩きつけられてしまった。続いて視界が悪い中から飛んでくるのは、あの黒い水晶。接近される前に、パウは瞬間移動をするが、あたかも黒水晶はパウが出現する場所を読んでいるかのように迫り、ついに何本かがまたパウに突き刺さる。駆けだそうとした足に突き刺さり、床に縫い止める。魔法を構えようとした手にも突き刺さり、貫通する。

 水晶が消えたのなら、ぼたぼたと血を流すパウだけが残される。

 痛みに倒れそうになる。貫かれた手は焼けるように熱く、足も一歩進む度に激痛が走る。何か内からせり上がっていたかと思えば、生温かい血を吐きだしてしまった。

「悪くはない」

 瓦礫による塵埃の煙が落ちついてきた中、無傷のベラーの姿があった。

「でも、そうじゃないんだよ、パウ……お前はもっと、できるだろう?」

 ――黒い水晶がまた迫ってくる。とっさにパウも水晶を放ち応戦しようとするが、怪我を負い、黒い水晶にも蝕まれた身体では、魔法を扱いきれなかった。魔法陣を出すこともできず、また一本、ベラーの水晶が太股に刺さる。

 二撃目が迫ってくる。今度はまだ持っていた杖を振るって防ごうとした。杖は折れることはなかったが、弾かれて大きく回転しながら跳ね上がり落ちていく。そして水晶はまたパウに突き刺さる。今度は脇腹を貫かれる。

 ひゅっ、と息をして、身を焼くような痛みに耐える。しかしそこまでが限界で、ついにパウはくず折れてしまった。

 こんなところで、負けるわけにはいかないというのに。

 ミラーカが呼んでいるというのに。

 ベラーへ復讐することだって、ミラーカの願いであったのに。

 目前に立つその魔術師は、未だに傷を負っていない。

 圧倒的な実力差を突きつけられる。

 ……それでも。

 改めてベラーを見れば、再び黒水晶を構えていた。放たれる、異質な黒色。動くことはできない。パウはそれを睨んで、魔法で応戦するほかなかった。

 ただの魔法の水晶は、黒い水晶にはかなわない。なんとか作り出したものでも、黒い気配に溶けて消えていく。また一本がパウの肩に突き刺さり、パウは倒れてしまった。

「……」

 一方、ベラーは少し興ざめしたかのような表情でパウを見据えていた。再び黒い水晶を放つ。いたぶるように、胸ではなく、パウの手足へと。

 再びの、パウの応戦魔法。先程に比べて不安定な水晶が放たれる。飛ぶこともなく、その場で水のように溶けて消えていく。また一本がパウに刺さり、ついにパウは悲鳴を上げた。

「――ふざ、けんなよ……」

 その悲鳴を噛み殺し、起き上がろうとする。床は自らの血で赤く染まり、身体は熱いようで冷えているようにも感じられた。少し動かすのも苦しいほどの痛みに蝕まれ。脈にあわせて血が流れ出るとまた激痛に苛まれる。

 そんな状態でも、ベラーを睨むことができたのは。

 まだ自分には、やることがあったからだった。

 やらなくてはいけないことが、あるから。

 ――内にある魔力が激しく渦巻く。こんなにも怪我を負っているのに、あんなにも黒い水晶に蝕まれたはずなのに、不思議だった。

 ただ、初めてではないような気がした。

 ――以前もこうして、ベラーと向き合って。

 あれはいつだったか。つい最近だったような気がしなくもない。

「……期待はずれたったかな、パウ」

 ベラーが冷めた表情で首を傾げている。構えた手が下ろされることはなく、再び魔法陣が展開され、漆黒の切っ先が、中央から生えてくる。そしてあたかも弾かれたように、黒い水晶が飛ぶ。パウの顔を狙って。

 避ける体力はない。瞬間移動魔法もできそうにない。

 パウにできたのはただ一つ。やはり、魔法で対抗する、それだけだった。

「こんなところで」

 彼の呟きは、誰にも聞こえないほど、小さかった。

「――こんなところで!」

 繰り返された声は、違った。よくホールに響き――力任せに放った水晶が、宙を駆けた。

 制御も何もできなかった、もはやただの暴力のような、その魔法。

 白い、ただの水晶のはずだった。だが七色に煌めいたかと思えば最後に紫色の輝きを放って――黒い水晶に衝突した。

 ガラスが割れたような音がした。煌めきが散り、粒子となり、空気に溶けて消えていく。同時に異常に濃い魔力が辺りに少し漂い、水晶と同じように、消えていく。

 ベラーの水晶は、どこにもない。自分の水晶も。パウは何が起きたのかわからず、目を見開く。

 似たようなことをした記憶は、かすかに、本当にかすかにあった。

 そう、あれはユニヴェルソ号での。

 ――自分の放った水晶が、ベラーの頬をかすめた。

 黒い水晶を割って。

 その時のことが脳裏に瞬く。

 あれも、いまも、ただ無意識に、力尽くで水晶を放った、それだけのことだったのに。

 かつて、感情と魔力を制御できず、猫を殺してしまった時のように。

 ――力尽くで。制御もできないで。

 ――持つ全てを、出せるだけ、出す。

「……綺麗だね、パウ」

 声をかけられ、パウは我に返る。正面の離れた場所。それまで少しつまらなさそうな表情をしていたベラーが、どこか楽しげな笑みを浮かべ直していた。

「よかった。期待はずれでは、ないようだ……お前はやはり、私の見たことないものを見せてくれる……」

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