第七章(12) 俺はこの剣で
* * *
アーゼの罵声が響く。剣が宙を斬り裂く。炎を恐れず踏み込み、カマキリに似たグレゴの鎌を狙う。
鈍い音が響いた。アーゼの剣は、カマキリの鎌の腹に受け止められる。鎌に傷をつけることもできなかった。と、グレゴは燃え上がる涎を垂らしながら、もう一方の鎌をアーゼに振り下ろす。
いまのアーゼに、冷静さはなかった。反射的に剣を滑らせ、鎌を受け止めようとする。
「アーゼ! だめだ!」
それが間違いだとわかっていたパウは声を上げる。
――アーゼは恐らく、鎌を剣で受け止め弾いて、攻撃に出るつもりだったのだろう。
だがあのグレゴの鎌は。
――交わった刃と刃。するりと、グレゴの刃が、アーゼの剣に食い込む。
鉄製の剣のはずだった。だがその瞬間は、まるで柔らかな粘土でできたおもちゃのようになってしまったかのようだった。剣は悲鳴も上げない。さらりと斬られて、鎌は勢いを落とさずアーゼに迫る。
とっさに放ったパウの魔法が、鎌の軌道を変える。パウは巨大な水晶を放てば、鎌の腹に打ち込んだ。軌道がずれた鎌はアーゼの真横に突き刺さる。と、もう一方の鎌がアーゼに迫るものの、彼はすぐに後退し、パウに並ぶ。
アーゼは剣を握ったままだった。しかし根元近くから刃は切断され、もうほとんど使い物にならない状態だった。
「くそっ……くそ……っ!」
それでもアーゼは剣を捨てることなく、ぎらぎらとした瞳でグレゴを睨む。
そんな彼に、ついにパウは顔を歪めて、小さな魔力球一つを放つ――狙ったのは彼の剣を握る手。当たれば弾けて、その痛みと衝撃に、アーゼが剣を手放す。
目を大きく開けたアーゼは、パウを睨みつける。パウも彼を睨む。アーゼのその瞳に、確かに驚いた様子があるのを見る。
「……いい加減に落ち着け。お前、死ぬ気か?」
ところが、アーゼの緑色の瞳は、また怒りに濁る。
「うるさい! あいつは……ぶっ殺さないといけねぇんだよ! 村をこんなにして……全部、全部っ、めちゃくちゃにして……!」
そして声は、炎上する村の中に轟く。
「あいつは怪物なんだよ! 人間を殺しまくる、怪物なんだよ!」
「――オリヴィアは元は人間だよ。人間だから……心を失って、暴れてるんだ」
唐突に声が聞こえた。はっとして振り返ればシトラに跨ったメオリがいた。赤い炎が踊る中、顔を青くした彼女は、どこか亡霊のようにも見えた。
手にはきらりと輝くものがある。血に汚れているが白いそれは、白月のペンダント。
サリタのペンダントだった。
「村人から、聞いた……あの怪物はサリタを探していたって。それで……サリタの死体を見てより暴れ出したって……」
メオリはシトラから降りる。橙色の瞳を震わせながら。
「――サリタは……あれは……ひどかったよ……拷問したんだ、多分……いまオリヴィアがしていることは許されることじゃない。でも……村人達がしたあれも……」
――漆黒の怪物の咆哮が響く。炎が激しさを増す。
はっとして三人がグレゴを見れば、その巨大な複眼に、白い石のペンダントが映っていた。その輝きが揺らいだかと思えば波打ち、零れ、地面に滴る。
グレゴは泣いていた。涙は地面に落ちれば、地面を燃やす炎となる。
咆哮は号泣と化していた。長く響き、高音となる。
それでも怪物は、鎌を上げれば、三人へと突っ込んできた。
パウとメオリはすぐさま横へと逸れた。だがアーゼだけは、動きが鈍ってしまった。
涙を流すグレゴを、見つめ続けていたから。
「――なんで、泣くんだよ」
そう漏らし、ぼんやりとグレゴの突進を避けるが、勢いに尻餅をつくように倒れてしまった。
見上げれば、グレゴは確かに泣いていた。鎌がゆっくり持ち上がる。
「――ごめんな、さい」
声が聞こえた。
「とめられ、ないの」
瞳から溢れた体液が、アーゼの肩に落ちた。じゅう、と服が焼け、肌も焼く。だがアーゼはその時、痛みを感じられる余裕がなかった。
怪物が、泣いていたから。
「どうしても、とめられない、の」
震える声は、どうしてか笑っていた。
「わたし、やっぱり、怪物ね」
複眼から、より大粒の涙が零れた。地面に滴り、炎の海を作っていく。
「――たすけて」
次の瞬間、グレゴが横に吹っ飛んだ。風を纏ったシトラが体当たりしたのだった。鷹の瞳は敵を睨み、翼を大きく羽ばたかせれば輝く風を生む。風は転がったグレゴを斬り裂いていく。だがグレゴは、傷を気にせず、ゆっくりでも起き上がろうとする。
「アーゼ、お前は下がれ!」
アーゼの前に、パウが出る。両手を前に差し出し、大きな魔法陣を出現させれば細く巨大な水晶を放つ。それで地面に打ち付けようと狙ったものの、グレゴを串刺しにするだけに終わった。グレゴは体勢を整える。傷の再生に圧されるようにして、水晶は消え失せてしまう。
血の海は炎の海へと変わる。赤々とした炎の中、カマキリに似た巨大な怪物の影が浮かぶ。溢れる血も涙も、もはや地面に滴る前に炎となり始めていた。
それでも、怪物は泣いていた。
「……助けないと」
炎の中を見据えるアーゼの目に、その輝きが澄んで反射する。
パウは振り返り言葉を繰り返そうとしたが、その輝きに言葉を呑む。
見える世界の全ては、炎に包まれていた。
しかしどうしてか、その時のアーゼは、まるで湖の上に立っているように思えた。
助けないと。そう言った彼の言葉が、響く。
「……でも武器がないぞ」
落ち着いて、パウは返す。するとアーゼはグレゴを指さす。
「あるさ……あそこに」
炎の中に影となって立つグレゴ。その背で、何かが鈍い輝きを放っている。
アーゼの剣。アーゼの父親の剣。
「――手伝ってくれ」
それだけを言って、アーゼは走り出す。グレゴへ向かって。
その様子に、パウはもう苦い顔をしなかった。ただ静かに走り出した彼の背を見つめ、また炎の中から這い出てきたグレゴに視線を移す。
「アーゼ! 馬鹿!」
メオリが叫んでいるが、パウは、
「メオリ、グレゴの動きをとにかく止めろ! 隙を作るんだ!」
アーゼがあの剣を抜いたのなら。
――あの剣はただの剣ではない。単純にいい剣というだけでなく、一時的に魔法を施せる。
魔法の力を帯びたあの剣なら。
グレゴの鎌に勝てるかもしれない。
新しく魔法陣を出現させると、パウはその中央から鎖を作り出した。鎖は蛇のように宙を滑り、グレゴの身体を縛り上げる。突然のことにグレゴは悲鳴を上げて体勢を崩す。パウはそのまま鎖を鎌に巻きつけようとするが、間に合わない。鎌がぶんと振るわれ、鎖は紙のように斬り裂かれ消えてしまう。
そうしている間でも、グレゴは自身に向かってくる人間の姿を捉えていたようだった。口をがばりと開いたかと思えば、体液の球を吐き出す。アーゼへ向かってまっすぐに飛ぶ。
アーゼは思わず立ち止まる。しかし一陣の風が吹いて、体液の球を吹き飛ばした。シトラ。翼を大きく広げている。その一方で、メオリが魔力球いくつもを放ち、グレゴへと攻撃を仕掛ける。
大きな怪我は負わせられなかった。だが再び体液を吐き出そうとしていたグレゴは、不意打ちの攻撃に頭を振る。
アーゼがグレゴの背に飛び乗ったのは、その一瞬。
背から生えるようにしてある剣の柄を、握る。
久しぶりに握った父親の剣だった。だが不思議なことに、異様に手に馴染んだ。
父親の姿が、瞬く。
――アロイズは……誰かを救うために、誰を助けるために動く男でな。
それは、父親と知り合いだったという、この村の男から聞いた話。
――とにかく、誰かを助けたり、守ったり、それで救おうとする、英雄だったんだ。
それなら自分は、この剣で何をするべきか。
問う。自分自身に。
……グレゴは涙を流し続けている。背に飛び乗った小さな存在に、暴れまわる。鎌は背までは届かない。だから振り落とそうと、怒りの声を上げながら炎の中、もがく。
「なあ……オリヴィア」
暴れるグレゴの背の上で、勢いにアーゼの身体は跳ねた。しかし背から落ちることはない。両手は剣の柄を握って放さない。
「俺はこの剣で……お前を助けられるかな……」
今の自分がやることは。
彼女を殺すことではなく。
彼女を救うこと。この暴走を止めることだ――。
腕に力を入れる。剣を引き抜こうとする。
剣はまるで身体の一部になってしまったかのように、動かなかった。またオリヴィアは暴れまわる。炎の中では、肌が焼ける。
それでもアーゼは、声を上げて。
刺さって動かなかった剣が、応えるようにかすかに動く。
――炎に包まれた世界で、美しい銀色が輝いた。
ついにグレゴの背から、剣を抜き切った。剣はあの時と全く変わりない輝きを放つ。
村を守ると、かつて握った剣。
誰かを救うための剣だった。
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