第七章(03) 英雄だったんだ


 * * *


 アニスト村が見えてきたのは、翌日の昼前だった。村に異常は見られない。家々の煙突からは、生活の煙が上がっていた。

 ならばグレゴの情報を聞くべきだと一行は判断したが。

「それじゃ、ここで待っててくれよ? もし何かあったなら、その時は逃げてくれ。この辺りはまだ大丈夫そうだけど、一応グレゴがいたって情報があって、俺達はここに来たんだ」

「ああ、大丈夫だ。グレゴが近くに来たのなら、ミラーカが教えてくれる。お前の方こそ、用心していけよ、アーゼ」

 パウの言葉に、アーゼが頷く。メオリもアーゼを見据えて、

「夕方までに戻らなかったら、私が行く。何があるか、わからないからな。向こうがもう敵の手に落ちている可能性だってあるわけだし」

 アニスト村へは、アーゼだけで向かうことになった。

 理由は、村や村人達が味方であると限らないからだ。もしも『遠き日の霜』の息がかかっていたのなら、パウとミラーカがここにいることを知られるべきではない。そこでアーゼだけが村に向かい、様子を見て、情報を仕入れてくることになったのだった。

 メオリが残るのは、パウに何かあった際、すぐにその場から離脱させるためだった。

 ――また、何かあった際、パウがメオリの補助をするから、という理由もあった。これはアーゼとパウで決めたことだった。

 二人に手を振り、アーゼは村へ歩き出す。穏やかな草原は、どこか故郷を思い出させた。黄緑色の海の中には、青色も見える。あれが以前父親から聞いた、青い花畑だろう。傭兵時代に、あの花畑を守るために戦った、なんて話をしていたのを憶えている。

 草原をいくらか進んで、人の手が少し入った道を歩き出す。荷馬車の轍も見られないこの道に、ここは所謂田舎なのだと感じて、益々故郷を思い出してしまう。

 考えてみれば『白の花弁』地方とは、父の故郷なのだった。悔しいことに、具体的に『白の花弁』地方のどこで生まれたのかまでは知らない。もう尋ねても答えてくれる人もいない。

 やがて村の入り口が見えてきた。大きな街のように、それらしい門なんてない。

 村は特に変わった様子もなく、穏やかな空気に満ちていた。正面にある広場から、子供の声がする。小鳥が鳴いている。薪を割る男達の声、畑仕事から帰ってきた女達の声がする。

「おや、旅人さんか、珍しいねぇ」

「こんにちは。ここは、アニスト村であってるか?」

 村に入ってすぐに、軒先で椅子を出して座っていた老人に声をかけられた。

「ああ、そうとも。もしかして、ベリズの花畑でも見に来たのかい? いやぁ有名らしいんだがね、来る人は少なくてね……それとも、薬を買いに来たのかい?」

「いや……俺は賞金稼ぎで」

 ベリズ、というのはあの青い花畑のことだろう。そういう名前だったか、ということはいまは置いておく。

「実は巨大蝿を探してるんだ。あれを捕まえたら、いい金になるそうじゃないか。で、この辺りで見かけたって話を聞いて来たんだ」

 『風切りの春雷』騎士団であることは、一応伏せておく。こういった無謀な賞金稼ぎなら、特に気にされないだろう。確かに物珍しさはあるかもしれないが、決して存在しないわけではない。

 アーゼの質問に対して、老人は「そういえばそんな話があったような」とは答えてくれたが、それ以上は詳しく知らないようだった。だからアーゼは村の中へ進んで、他の人間から話を聞くことにしたのだった。

 手始めに広場にいる女達に話を聞くと、色々と教えてもらえた。

「そうそう、見たって言う人がいたのよ」

「でも熊じゃないかって話もあってね、ここら辺では凶暴な熊もいるから」

「あら? でも私、織物屋から大きな影は二つあったって聞いたわよ」

 しかしどれも古い情報だった。やがて広場には、男達も集まってくるが、やはり最近の話は聞けず、古い話も明確なものではなかった。

「そういえば、俺みたいな賞金稼ぎって、他に来たか?」

「いや、来てないぜ。あんたみたいなガキは初めてだ!」

 アーゼが尋ねれば、村の男達がまさに子供を相手にしたかのように笑う。馬鹿にされたことに悔しさはあるが、事を荒立てる必要はない。

 他にグレゴを探しに来たような人間がいないということは、恐らく『遠き日の霜』も来てはいないということだ。そして最近の目撃情報がないことから、もしかすると、グレゴは移動したのかもしれない。

 最初の情報について、疑う必要はないだろう。なにせデューの魔術師達に扮した『遠き日の霜』から提供されたものだ。彼らの渡す情報に、いつも間違いはなかった。彼らは確信があって、自分達に情報を渡していたに違いないのだ。

 しばらく話を聞いて、これくらいが限界か、とアーゼは判断する。長居する理由もない。

「ま……とにかく、俺は探してみるぜ、この辺りにいるって聞いたからな!」

 少し困ったことになった、戻って二人と相談するべきだろう。そう踵を返そうとした時に。

「――『錆時』のアロイズか?」

 その名に、アーゼの足が止まる。彼を見ていたのは、村の男の一人。壮齢だが屈強な体格の持ち主だった。

 直感でアーゼは感じる。彼は他の村人達と違い、確かに鍛錬を積んだ者だと。そしてその名を口にしたということは。

「……いや、違うか。ああびっくりしたよ、昔の知り合いに似ていてな」

「『錆時』って、昔にいた傭兵集団のことでしょ?」

 女の一人が首を傾げる。子供の一人が声を上げる。

「母ちゃん、おれ知ってるよ! すごく強い人達だろ!」

 それをはじめに、他の子供達も、突然目を輝かせ始めたのだった。

「悪い奴らをやっつけまくった人達でしょ!」「魔法使いにだって負けないんだ!」「街やみんなを守ってくれたんだ!」

 そんな子供達を、大人達は宥める。子供達の中には、彼らの物語を話し始める子供もいた。まるで彼らは、夜寝る前に聞かされているかのようだ。

「『錆時』のアロイズ……」

 思わずアーゼが呟けば、

「……ううむ、やっぱり似ているな、あいつの若い頃に」

 最初にその名を出した男が、目の前までやって来てまじまじとこちらを見つめていた。

 ――まさしく自分が彼の息子であることを、アーゼは黙っておくことにした。

「……その、『錆時』のアロイズって、何だ?」

 思えば自分は、父親について詳しくは知らなかった。『錆時』についてもだ。この地方に来て、初めてこれほどに知られているのだと気付いた。

「昔、『錆時』と呼ばれる傭兵集団がいたんだ、この辺りに」

 ――もともと、この辺り『白の花弁』地方というのは、デューから距離があることもあって、他の地方と比べて治安がいいとはいえないらしかった。しかしそのために、他の地方に比べて騎士団や自警団、そして傭兵集団が多いのだという。

 『錆時』は、いまはもう存在していないが、かつてはこの地方で最強と言われた傭兵集団だった。

「腕っぷしの強い者が多くてな、その中でも、アロイズという男が強く、また正義感も強かったんだ」

「あんた、知り合いだって言ってたな」

「ああ……かつて俺も『錆時』だったからな」

 元傭兵である男は、村の外へ視線を向けた。黄緑色の草原の向こう、広がっているのは青い花畑だった。

「アロイズは……誰かを救うために、誰を助けるために動く男でな。そりゃあいろんな活躍があったが……あの花畑を見ると、一つ、思い出すことがある」

 それは、あの青い花畑が次々に刈られていく出来事があった時だった。

 あの青い花ベリズは、美しいだけのただの花ではない。薬にもなる花であり、貴重なものだった。売ればそれなりの金にもなる――それ故に、金目当ての集団に狙われたのだ。

 その盗賊を払うため『錆時』が働いた。

「花を奪いに来た盗賊達を、アロイズは次々に捕まえていってな……それだけではなく、逃げた奴らを追いかけて、一人でアジトに行ってしまったものだから、あの時は全員驚いたさ」

 ああ、親父で間違いないな。

 脳裏に、父親の姿が浮かぶ。

「でも、あいつは一人で全部やったさ。盗賊達の裏にいた金持ち連中まで捕まえてな……どうやら金持ちは、あの花で作られる薬を必要としている人間の中で、死んでもらいたい者がいたらしくてな。変に殺害を依頼したら怪しまれるが、病死なら何も疑われない……」

 男は話を続けた。

「それで、盗賊も裏で仕組んでいた奴らもとっちめたあいつが何をしたと思う? 花の収穫を手伝ったんだよ。薬を作るのを手伝って、ついでに必要としている人間の元まで運ぶのも、手伝ったのさ」

 そして彼は吹き出すように笑ったのだった。

「ちょっと変わった奴だったかもしれないが……とにかく、誰かを助けたり、守ったり、それで救おうとする、英雄だったんだ」


 * * *


 村に送り出したアーゼを心配しつつ、パウはメオリと共に、木陰に身を潜めながら時が過ぎるのを待った。

 周囲には変わった気配はない。鳥や野鼠、それくらいの気配しかなく、上空を飛ぶシトラも異変を知らせない。

 果たしてここのグレゴはどうなっているのだろうか――不安を胸の内に、パウは木陰の外へ視線を投げる。

 そこには。

 そこには――青い花畑が広がっていた。

 アーゼから話は聞いていた。青い花畑があると。確かにそれは、存在していた。青色があたかも湖のように広がっている。

 それは美しい光景で――ミラーカの見せる夢にも、よく似ていた。

 妙な気分だった。あの幻のような世界が、現実に広がっているのだから。

 ――しかし、夢の方がずっと美しかった。

 ミラーカといえば、まるで本当に蝶のように、青い花畑の上を飛び回っている。どこか楽しそうに見えるから不思議だ。

 思い返せば、彼女はここのことを知っているようだった。

 ……一つの考えが浮かぶ。

 もしかしてミラーカは、ここのことを知っていたからこそ、あの幻が出来上がったのではないか、と。

 そう考えると、パウはより、妙な気分になるのだった。

 それがどうしてだか、わからない――。

 ミラーカは元々は人間だ、だから、そうであっても、おかしくはないと思うのだが、何か納得できない。

 否。納得できないというよりも……。

 そう考えている最中だった。

「パウ」

 はっとしてパウが顔を上げれば、青い蝶は目の前に戻ってきていた。せわしなく羽ばたいている。手を伸ばせばとまってくれたが。

「いる。いた。見つけた」

 ――穏やかな空気に、緊張が走る。ミラーカはパウの手を離れると、そのままどこかへ進もうとし始める。

「メオリ」

「聞こえてた」

 パウが呼ぶと同時に、樹からメオリが降りてくる。

「アーゼの帰りを待つべきじゃないか?」

 メオリがそう言うものの、パウは先へ行ってしまったミラーカを見据える。一人で行かせるわけにはいかない。行くと言うのなら。

 無言でパウが進み始めれば、メオリも静かに後を追った。上空ではシトラの鳴き声が響き、鷹は先行する。

 ミラーカは花畑の脇を進み、やがて森へと入っていった。そこに人の姿もなく、グレゴに荒らされた気配もない。ただ動物達がいるだけで、それが不自然だった。

 いままでグレゴが潜む場所に、命が平穏に息づいていただろうか。

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