第六章 祈り沈むは幻想の

第六章(01) 待っててください、お母さま

 鉄色の卵と言うべきか、蕾と言うべきか。はたまた蛹か。

 人よりも巨大なそれが立ち並ぶ中、かつかつと足音が響いていた。それから紙をめくる音と、ペンを走らせる音。果てに溜息。

「……異常はなさそうだけど、面白そうなこともなしってところだなぁ」

 緑がかった金髪の男が鉄色の一つに手に触れ、魔力で中身を確認していた。

「順調っちゃあ順調だけど、停滞は停滞……あぁ~俺も天才クンだったらなぁ……」

 手にした書類に、異常も変化もなしと記して、次へと向かう。その足取りは、すでに期待外れの退屈さに遅くなっていた。

「ウィクトル、またやってるの?」

 まだ幼さを帯びたような声がする。

「また失敗するに決まってる」

「俺は違うと思うね、今度は何か、面白いことが起こると思うぜ!」

 よく似た声。しかし女と男だと違いがわかる。

 ウィクトルと呼ばれた魔術師の男は、振り返れば腕を広げた。

「ゼクンの言う通り! 今度は何かきっと面白いことが起こると思うよ! なんていったって、今度の材料はただの人間じゃない――デューの魔術師達だぞ!」

 そうにやりと笑って、先にいた赤毛の双子を見つめるものの、書類に記した退屈な文字は黒々としていて、ウィクトルの笑みは引きつる。

 期待したのだ、不老不死の研究の材料として使えたのは、これまでは普通の人間だけ。だが今回はデューの魔術師達……特別いい魔術師達ではないものの、非魔術師と魔術師、大きな違いがある。

 また、不老不死を手に入れる――完全な存在への道を見つけ、最終的に自分達がそこを歩くとしたのなら、実験に使うのは同じ魔術師である方がいい。

 同じ魔術師といっても、かび臭い思想を持つ彼らであるが。

 これまでに魔術師を材料とする、実験体とすることは、目立つ可能性があるために控えられていたことだった。しかしいまでは話は違う。もう『遠き日の霜』は隠れている必要はない。そしてデュー制圧時に「新しい材料」は大量に仕入れられた。

 かくして、不老不死へ至る道、及びグレゴとその進化について研究するウィクトルは、デューにある豊富な魔法設備が使えることもあって、意気揚々と実験を始めたのだが。

「どうせ失敗して、死ぬか芋虫か」

 赤毛の双子の片割れ、少女が淡々と言う。対してもう片方、少年の方が、

「ゼナイダはひどいなぁ……俺はウィクトルのこと、応援してるぜ。ていうか、頑張ってそいつら生け捕りにしたんだぞ、結構大変だったんだから、どうにか結果を出してほしいなぁ……芋虫になったとしても、蠅化や蝶化に繋がる成果を出してくれよ!」

「ううぅ……頑張るよ……」

 しかし「完全なる存在への道」の一つとして『遠き日の霜』は不老不死研究を長年行ってきたが、その間に大きな結果や劇的な変化というものは、得られずにいたのだ。

 最近に起きた、一つの例を除いて。

 いや、正しくは二つの例か、とウィクトルは考え直す。

 蠅化。蝶化。そして脳裏に浮かぶは、自分と同じ、ある若い魔術師。

「……才能ないのがわかってるから別に悔しくはないけど、でも本当にどうやったらあれこれそうなるんだか」

 ウィクトルは次の鉄色の触れると、魔力を用いて中を見ていく。中にいるものが、どのような変化をしているのか。幾重にもかけた魔法がどのように絡み合っているのか。

「どう? 失敗してる?」

「面白いことは?」

「死んでる? 芋虫?」

「人間の形してるか? それとも新しい姿か?」

 左右に並ぶ双子が、あたかも賭け事でもしているかのように、銀色の瞳を期待と好奇心に輝かせている。

 二人分の足音が響いて来る。

「こらあなた達、ウィクトルの邪魔をしてはいけませんよ」

 女の声がして、赤毛の双子がはっと振り返る。二人の声が綺麗に重なり一つとなる。

「お母さま!」

 眼鏡をかけた薄い茶色の髪の女――トリーツェン。微笑みながら歩いて来れば、赤毛の双子はぴょんとその前に出て並ぶ。

 トリーツェンの隣には、黒い髪を緩く結んだ男が一人。床に張り巡らされた魔法陣の輝きと、室内の照明に、その黒髪は濃い紫色を帯びる。鋭い目を持つ彼は、しかし柔和に微笑んだ。

「いまは仕事がないから、二人は暇で仕方がないのだろう、いいじゃないか」

 彼の名はプラシド。鉄色から手を放したウィクトルが目を開ける。

「トリーツェン様、プラシド様、どうも! ……お二人がここに来たということは、何かありましたか?」

「わたくしは子供達に用事がありましたの」

 先に答えたのはトリーツェン。彼女の言葉に、赤毛の双子がより前に出て彼女を見上げる。

「お母さま、新しい仕事でしょうか?」

 双子の重なる声は、喜々に満ちて「お母さま」からの指示を待つ。と、ゼクンが、

「あっ、俺達、ウィクトルの邪魔をしていたわけじゃないですよ!」

「ウィクトルの失敗を待っていただけ」

「ウィクトルの成功を待っていただけ!」

 二人の後ろでウィクトルがやれやれと頭をかいていた。トリーツェンは声を漏らして笑えば、わずかに屈んで双子と目線を合わせた。

「わたくしの可愛い『掃除屋』さん、そして『仕入屋』さん、お仕事の時間ですよ……まずは『掃除屋』さん、あなたには『赤の花弁』地方に向かってもらいますよ」

「『赤の花弁』地方ですか? 標的は何でしょうか?」

 双子の片割れの少女、ゼナイダが銀色の瞳を爛々と輝かせる。

「今回片付けてもらいたいのは騎士団です……『風切りの春雷』騎士団ですよ」

「――ああ、あの、用済み達ですか」

 銀色の瞳がぎらりと閃く。そこに、トリーツェンは詳しく説明する。

「そう、用済みだから、お片付けしてほしいの……でもね、ゼナイダ、全員お片付けしては困ることがありましてね……パウ、という魔術師は、殺さずここに連れてきてほしいの。彼と一緒にいる青い蝶も……うっかり殺してはいけませんよ」

 そう人差し指を立てて説明すれば、ゼナイダの瞳の奥で炎が燃え上るのが見えた。徐々にその口角は上がっていく――難易度が高い仕事ほど、彼女を興奮させる。

「それじゃあ、俺も行った方がいいんじゃないの?」

 双子の片割れの少年、ゼクンが口を尖らせた。

「生きて捕まえるのは、俺の方が得意だよ、お母さま! ていうか、騎士団は殺しちゃっていいの? 実験に使わないの?」

「それも考えたけど、今回は殲滅することに決まったのよ。いま材料は潤沢にあるし……それに『仕入屋』さんには別のお仕事があるわ」

 トリーツェンが言えば、プラシドがゼクンの前に出た。

「君の部隊の力を、貸してはくれないか? 『あれ』の能力をはかりたくてな……」

「『あれ』の相手ですか! 本業じゃないですけど、わかりました、今すぐ準備をして向かいます!」

 くるりと背を向ければ、ゼクンは颯爽と歩いて部屋を出て行く。

「あたしも準備でき次第、仕事に向かいます。待っててください、お母さま」

 ゼナイダもゼクンに続き、部屋を出て行った。

「……子供達は元気ですねぇ」

 ウィクトルは二人が消えた廊下を見つめ、溜息を吐く。と、その手にした資料に、プラシドが目を留めた。

「お前の方は、特に変わりないようだな」

「ええ、よくも、悪くも……」

 そう答えた刹那、床を這う魔法陣の輝きが波打つようにぶれた。強力な魔力による揺れ。すぐさま震源地へと三人は顔を向ける。

 それは鉄色の巨大な容器の一つだった。中には、実験体の魔術師一人いるはずだった。びしり、と鉄色に亀裂が入り、もはや人間のものではない悲鳴が漏れ出る。

 そして亀裂を押し破いて肌色の何かが出てくるが、それはぶよぶよとした何かだった。赤い血にまみれたそれは、よく見ると人の指のようなものが、ばらばらになって先端に見えた。しっかり五本。元は手だったのだろう。

「おっと、油断した」

 ウィクトルは素早くしゃがみ込めば、床に広がる魔法陣に触れた。魔法陣の輝きは強くなったかと思えば、より複雑な文様を描く。それと同時に、鉄色から溢れ出た何かは痺れたようにぶるぶると震え、見えない何かによって中に押し込まれていく。完全に押し込まれると、鉄色の表面まるで怪我が治るかのように修復されていき、元通りになる。

「……まあこんな具合です。魔術師だから、こういうことがあるくらいで……まあ……あれは芋虫になりますね……」

 うむむ、とウィクトルは立ち上がり、誤魔化すかのように首を傾げて肩を竦めた。

 プラシドは顎に手を当てていた。

「……何故、完全なる存在を目指すと、どれもこれも芋虫になってしまうのだろうな」

 かすかに残念そうにしていたが、それも数秒の間だけ。

「芋虫化しても蠅化や進化の研究に繋がる……結果が何であれ、気にすることはない」

「『あれ』の研究も進んでいますからね……もし芋虫化したら、半分ほどは『あれ』の餌として使わせてもらいますわよ」

 トリーツェンも微笑み、それでは、と歩き出す。プラシドも彼女に続いて部屋を出た。

 ――『あれ』の研究に戻らなくてはいけない。

「……それにしても『あれ』は芋虫にも、蠅にも比べて、美しい存在になったと思わないか?」

 ふと思い出し、プラシドはトリーツェンに尋ねる。

「あら? わたくしはまったくそうは思わないけど」

「残念だ、私は、あれに神々しさまで感じているというのに……」

 するとトリーツェンは一瞬だけ足を止めた。呆れの溜息を吐けば、再び歩き出す。

「あなたは一体何を言っているのです? 確かに『あれ』が秘めている力はすさまじいものでしょう、捕獲した他の蠅化グレゴは、全てあの個体に喰わせましたからね。『あれ』の力が、その進化が、そして存在そのものが、わたくし達を望むものへ近付けてくれるかもしれません」

 けれど、と彼女は俗物を見るような目を宙に向ける。

「所詮はわたくし達の思想にあわないもの……非魔術師から生まれた卑しいものですわ」

 だがプラシドの瞳は、トリーツェンよりも遥か遠くを見ていた。更に遠い場所を。新世界がある場所を。

「『あれ』を見ていると、私は思ってしまうのだよ……神とは一体何なのか」

 不意に彼は言い出す。

「そして我々とは一体何なのか」

 急に不可思議なことを言い始めた同僚に、トリーツェンはもはや何も言わなかった。

 ――二人はかつて、その片耳に黄の耳飾りを持っていた。

 いまはその黄色はない。変わりにあるは、夜明けに見るような霜に似た、白い耳飾りだった。

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