第五章(12) ごめん、ミラーカ
* * *
使い魔の背に乗った三人の姿が遠のいていく。空の青色に消えていく。その様子を、ベラーは風に吹かれながら見つめていた。
壁にできた穴の端が、光りはじめる。光はゆっくりと広がっていき、穴を塞いでいく。ユニヴェルソ号の魔法。己を修復していく。
「――追わないのかね」
声をかけられ振り返れば、老齢の男が立っていた。
かつてデューで『天の銀星』と呼ばれた一人であり、『遠き日の霜』をまとめる長、フォンギオだった。
「……逃がしたところで、そう問題ないでしょう」
ベラーは再び空を見つめる。穴は徐々に小さくなり、空は狭くなっていく。
「それで興味深いことは何か聞き出せたか?」
「ええ、非常に面白いことを……ただ全て知るには苦労しそうです」
すると、フォンギオは隣に並んで言う。
「ならば脳を開けてみるか?」
「……それは最終手段でしょう。脳を無理矢理開いたならば、今後彼は使い物にならなくなってしまう」
廃人同然となり再起不能になること、またその才能が失われたり、取り返しのつかない大きな傷がついたりすること。それはベラーにとって、もっとも避けたいものだった。彼は生きていたのだから。
――彼を弟子にする気は一つもなかった。
彼は自分の思想とは、全く逆のものを持っていたから。
だから弟子にしたのならば、苦しむのは自分だとわかっていた。彼は才能があるにもかかわらず、自分と同じ道を歩いてはくれない。
……それでも弟子にしたのは、その才能が他の者に渡るのが許せなかったためだった。またいい加減な魔術師の下で、その才能が腐る可能性があるのも見過ごせなかった。
「お前はあの弟子に期待しているのだな」
もう見えない弟子の姿を、それでも見続けていると、フォンギオが笑った。
「彼は私達に光を見せてくれましたから」
彼は、まだ自分の見たことないものを、そして自分が望むものを見せてくれる。そう信じたかった。
「ところで、例の騎士団はどうするか? まだうまくやれば使う余地はあるが……」
と、フォンギオはそう口を開いたところで、つと床に落ちていた小さな紙切れに気がついた。ごみのように思えるそれだが、薄い色で幾何学模様が描かれている。
「おお、あの騎士団には、魔法道具師がいたな……」
フォンギオが拾い上げれば、その紙切れは燃えて消えてしまった。吹き荒れる風に、灰すらも消え失せる。
「潮時か。『掃除屋』を送ろうか……お前の弟子も生け捕りにしたくてはいけないからな。ついでに始末させよう……」
壁の穴は、すっかり塞がってしまっていた。それでもベラーは彼方を見続ける。だからフォンギオはベラーの顔を覗き込み、ふむ、と声を漏らした。
「……弟子が素直でなくて悲しいのか」
「いいえ、まさか。私に簡単に従わないのは、想定内のことですよ。ただ……」
――答えたベラーの頬には、一筋、涙の跡があった。
「嬉しいのです」
無表情だったその顔に、笑みが戻ってくる。しかしそれは普段彼がよく張りつけたものとは、少し違って見えた。
「私は……後悔していたのです。彼を研究所に置き去りにしたことを――何故あの時、自らの手で殺さなかったのかと」
そうするべきだったと気付いたのは、パウが死んだと信じて、少しした後だった。
自分は間違えてしまったのだ。
「だから嬉しいのです。彼が本当に生きていて」
『風切りの春雷』騎士団の一人から、とある魔術師について話を聞いた。かつての姿と少し違ってはいるようだが、名前は間違いなく彼のものであり、グレゴに関する知識と性格から、間違いなく彼であると確信した。
生きている。死んではいない。
胸中でつっかえていたものは決して晴れなかった。むしろより膨れ上がって――するべきことをするのだと、燃え上がった。
「今度は間違えない……この手で殺すことができる……」
くるりとベラーは振り返る。
言葉に対して、ひどく優しく、人のよさそうな笑みを浮かべて。
「ああ、もちろん、全てが終わったら、ですよ。彼には、まだ我々の役に立ってもらわなくてはいけません。彼と……それから青い蝶に。『掃除屋』の件、ぜひお願いします」
それでは、と、軽くフォンギオに挨拶をして、ベラーは部屋を出る。かつかつと足音が響く。
青い蝶。
ばらばらになった青い蝶を見つめるパウの瞳が、脳裏に蘇る。
ミラーカ。彼は間違いなく、そう呼んでいた。
……処分予定だったグレゴ。密かに進めた研究。その名前。
なるほど、パウが何かを必死に隠しているように思えたが、恐らくそのことだったのだろう。
そして黙っていたということは、パウは「ミラーカ」が何者であるか、知っているに違いない。あの蝶について、アーゼが「人の言葉を話す」と言っていた。
「……気に入らないな」
足音が鋭さを増していた。自分の内の変化に気付いて、ベラーは鼻で笑う。
――魔法の使えない、価値のない妹。選ばれた人間でないにもかかわらず、それでも魔法について学ぼうとしていた。そのこと自体は以前から知っていたが、まさか自分の部屋に忍び込み本を漁っていたとは思わなかった。
久しくデューの実家の屋敷に帰った際、妹はテーブルに資料数枚を叩きつけてきた。
生きた人間を使った研究資料――グレゴに関するもの。
まさかそれを発見されるとは思っていなかった上に、そもそも一部であれ自室に保管していたことに関して、油断していたな、と自分自身で笑ってしまった。
次の瞬間には、研究の材料として「十代半ば頃の少女」が必要であったことを思い出していた。
結局、無能な妹は一つも役に立たなかった。
それがまさか、蝶化グレゴになっているとは。
そしてパウがそれに向けていた、赤い瞳。
苛立ちに、口の端をつり上げる。
* * *
パウは未だに目を覚まさないものの、眼下に『風切りの春雷』騎士団の野営地が見えてきた。
思い出して、アーゼは表情を曇らせる。そういえば、あの魔術師達が自分達の敵である証拠を、何一つ得ていないではないか。
「……ちょっと待て、様子がおかしい」
しかし騎士団を前にして、アーゼは着陸を制止する。異変を感じていたのは、メオリもだったらしい。彼女は何も言わずにシトラを旋回させる。
騎士団達は小さくまとまっていた。広げていたはずのテントや物資はもう見られない。
そこで突然声がした。
『おーうおう、おかえりぃ。待ってたよ! 大丈夫だから、降りておいで!』
「……エヴゼイさん?」
見れば、すぐ近くに小さな何かが飛んでいた。二つ折りにした紙切れが、ひらひらと舞っていた。
『さあ時間がない! ネトナちゃんもお前に謝りたいって言ってるから、急いで!』
アーゼはメオリと顔を見合わせた。少し悩んだ果てに、メオリは地面に降りるよう、シトラに指示を出す。
着陸すると『風切りの春雷』騎士団が何をしようとしているかがわかった――荷物の全てをまとめて、いまにも旅立とうとしていた。
「みんな……どうしたんだ?」
アーゼがパウを背負いながら地面に降りれば、その前に早足で一人がやって来た――ネトナだった。
とっさにアーゼは身構えたが。
「アーゼ、お前の話をすぐに信じず、済まなかった」
「――えっ?」
ネトナが、頭を下げた。アーゼは目を疑うしかなかった。
すぐに彼女は頭を上げた。
「我々はいまからすぐにここを出発する……怪我人は馬車へ。それから、鷹を連れた魔術師、できれば我々と共に行動してほしい……何が起こるか、わからないから」
「どういうことですか?」
アーゼが尋ねれば、ネトナの背後からぬるりとエヴゼイが姿を現す。ぽんぽんと、アーゼの背中を叩く。
「全部聞かせてもらいましたぁ! 船に乗り込む直前辺りかなぁ? 急に音が聞こえなくなってだめかなって思ったけど、あのにこにこふわふわ魔術師が腹黒いところはばっちり聞こえてたよ!」
「敵の正体がわかったため、我々はひとまずここを離れることにした……襲われる可能性があるからな」
どうやら、誰が敵であるか、その証拠を掴んではこられなかったものの、知らせることはできたらしい。アーゼは安心に顔を綻ばせた。
「私も、喜んでついていきますよ」
メオリが前に出る。顎で気を失ったままのパウを示す。
「敵は同じだし……私はこいつに用がある」
アーゼは用意された馬車にパウを運び込むと、怪我人用のベッドに寝かせた。メオリも素早くシトラにかけた魔法を解いていき、元の鷹の姿に戻す。
一行は森の中を進み始めた。時刻は夕方。太陽は傾き、空の端には忍び寄るような夜が昇ってきていた。その一方では橙色が静かに燃え続けていた。
* * *
風に頬を撫でられる。
パウが目を開けると、天井があった。ちらりと見れば壁はなく、白い柱だけがある。ガゼボらしかった。そこにあるベッドに、埋もれるようにして仰向けになっていた。
身体は非常に重かったが、外を見れば青い花畑が広がっていた。蝶の青と、同じ色の花だ。
夢を見ている。夢を見させられている。
「どうして無茶をしたの」
声がする。瞬きをする。青色を纏った少女がベッドの傍らに立って、こちらを見下ろしていた。
「……無茶だと思わなかった」
返事は弱く擦れていた。
「やらなくちゃいけない、それだけを、考えていた」
鳥の声は聞こえない。獣の足音もない。風の音だけが聞こえる。そこに、あたかも無数の囁き声のようなものが潜んでいるが、どことなく、子守唄のように聞こえて心地が良かった。
ミラーカは何も言わずパウを見つめていた。と。
「お前は……無事、だったんだな……」
よかった、とパウは目を閉じる。
「……ま、無茶をしたのは私もね……まだ力が十分じゃなかったわ……」
パウの安心したような様子に、ミラーカは溜息を吐く。
「ひとまず休んだ方がいいわ……あなたいま、弱ってるから」
そっと、ミラーカは白い指をパウの頬に伸ばした。黒髪を払う。
「――ごめん」
その弱々しい声に、ふと、ミラーカは固まる。パウは繰り返す。
「ごめん、ミラーカ……」
……静かにミラーカはガゼボを出た。どこまでも広がる青い花畑を進み、立ち止まる。
風に髪とワンピースの裾が揺れていた。
ただ遠くを見つめる。空の青の、その先にある黒色まで。
――そういう言葉が欲しかったのではないと、やがて気が付いた。
空はどこまでも晴れ渡っていた。
花畑も散りながらも開花を繰り返す。
振り返ればパウは再び眠りに落ちていた。
……冷たいにわか雨が降っているような感覚。
その中に、ミラーカは立ち続けていた。
【第五章 神亡き闇にて 終】
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