第四章(04) 死ぬまで戦い続ける
霧は谷にだけ住む生物であるかのように、街までは流れてこない。街に戻ってきた『聖域守』達は、仲間の遺体を背負って門を潜っていく。広場までくれば、そこにすでにあった大きな火に、一人一人、遺体をいれていく。
今日の戦いで死んだ者も、今までの戦いのどこかで死に『死体』として戦わされ、けれども取り返せた者も、まずは丁寧に身なりを整える。そして汚れ一つない布で包めば煌々とした炎の中にいれていくのだ。
巨大な炎は、見つめていると眩しい。見つめ続けていると、顔が焼けているかのようでパウは痛みを感じた。すでに夜になり真っ暗な空の下、炎は色鮮やかだ。透き通っていて――焼却されていく遺体が、見える。
「あんまり近づいて、その蝶々、燃えないように気をつけてね」
一人の街の女にそう声をかけられた。ミラーカは炎を一切怖がることなく、そしてパウが何故じっと炎をみつめているのか、全く気に留めない様子で陽気さも感じるほどにひらひらと舞っている。
「……パウ」
周囲に人がいなくなって、蝶は小さな声で名前を呼ぶ。
「パウ、パーウ」
思えば、蝶のミラーカの言葉に、少し感情が出てきた気がする。でなければこうもからかうように呼んでこないだろう……こんな状況で。
……泣きながら遺体を運んでくる人影が見える。布に包まれた遺体を、他の者が火にいれる前に、彼はばっと手で制した。そして乱れてしまうのも構わず彼は布を解いて、遺体の手を強く握る。強く、強く。
やがて、その手で火の中に遺体をいれる。
パウの杖を握る手に力が入った。爆発しそうになった寸前で理性を取り戻して、とん、と地面を無意味につく。
「――あっ、パウ!」
それを見られていたのかはわからない。だが声をかけられ、パウははっと振り返る。
エルヴァだった。彼はパウの隣に来れば、同じように炎を見つめた。だからパウも、再び炎を見つめる。透き通るような炎の揺らめきは、ぼろぼろになって靡く旗に似ている。
「……何が起きている」
眼鏡に炎の光を反射させながら、パウは尋ねる。
「見てわかっただろ?」
炎の熱気が、虚しいほどに優しく二人の間を通り抜けていく。
「……あの巨大な蝿は、別の巨大蠅を食らって、全く違うものになった……で、死体を操る能力を得たってわけ」
「あの角の光に当たると……死体はあいつに支配され、生きてる人間も当たれば……」
「それも見ただろ――生きている人間も当たれば命を奪われ……奴の軍勢の一員になる」
新たな遺体を男達が運んできた。そのうちの一人は、「ごめん、ごめん……」と弱々しい声で謝り続けている。
そこへ飛び出してきたのは、一人の女だった。後ろにはまだ十歳に満たないであろう少年の姿もあった。
彼女は謝り続ける男の両手を、無理矢理に握った。目には怒りにも似たような光があって、しかし彼女は、
「――ありがとう。この人があの怪物のものになってしまう前に、あなたはこの人の胸を貫いてくれた……そのお蔭で、いまこの人は、ここにいるの。あなたは……正しいことをしたの」
「でも……僕はこの手で、刺してしまった……」
「……そうするしかなかった。この人もそれを覚悟していたはずよ。だからこの人も、あなたに感謝しているはずだわ……」
女は男に対し、気丈な顔をしていた。彼女の後ろに立つ子供も、その目元は赤いものの、堪えるように口を結んでいた。
「奥さん……本当に、ごめんなさい……」
「――私は覚悟していたわ。それに、この子だって」
女は男の肩を叩いた。瞳は潤んでいたが、それを隠す様子もなく、炎に照らされていた。
「さあ、しっかりして。谷を取り戻すのよ。この人のためにも……!」
声の最後は上擦っていた。涙が溢れてついに零れる。だが女の表情は戦士を思わせた。
――死んだ仲間をもう一度殺す。仲間が敵の手に落ちる前に殺す。
仲間同士、殺し合わなければいけない状態。
それでも彼らには、強い意思があった。
――男が力強く頷くのを、パウの赤い瞳は確かに捉えた。
「……なんとしても、コーネ谷は取り返さないといけないんだ」
背後から足音。トーガがいた。
「エルヴァ、パウを探して来いと言ったが……遅くてこちらから来てしまったぞ」
「す、すみません……あっちこっち探して、やーっといま見つけたところで……」
エルヴァはそう頭をかく。トーガは腕を組めばちらりとパウを見て、それから燃え盛る炎を見据えた。
先程の遺体は、燃やされ始めていた。遺体を包む布は、炎の輝きに黒い影となる。
「逃げるわけにはいかない。この土地を、あの谷を取り返さなくてはいけない」
トーガは熱気の中に立っているかのようだった。少しも動かず、炎の赤を身に受ける。
「そうでなければ、亡くなった者と、殺した者の意志が報われない」
「――コーネ谷は、ゼフタルクの民の誇りであり、宝」
ふと、パウは思い出し口にした。
エルヴァとトーガが、黙って頷く。
「……『コーネ谷の怪物退治』は、いまでは子供に読み聞かせる物語の一つでもあるが、間違いなく今に続く伝説だ」
そして少しして、夜空に舞う火の粉を見上げながら、トーガは言ったのだった。
コーネ谷の怪物退治。
フィオロウス大陸では有名な物語だ。誰しもが子供の頃に聞く。そして戦士達に憧れ、戦士達の子孫である『聖域守』にも憧れる――。
霧深いコーネ谷。そこにはかつて、人喰いの怪物が潜んでいたという。人を寄越せばそれ以上は喰わないと嘘を吐き、散々弄んだあとで全てを喰らう、残酷な怪物が。
それを、旅の戦士達が力をあわせて退治し、この地に平和をもたらした。
凄惨な戦い。しかし戦士達は仲間が死んでも、諦めず意志を継ぎ、正義を心に宿して戦い続け、勝利した――。
「コーネ谷は、どこにも繋がっていない。どこかに抜けることのできない谷で、交通の要所でもなんでもない。奥にあるのは、我々が聖域と呼ぶ、開けた場所だけ。今では墓地として『聖域守』を弔う場所となっている……」
トーガの言うそこは、かつて怪物に挑んだ戦士達が、決着をつけた場所。
激しい戦いの中、何人もの仲間を失いつつも、諦めと絶望を拒絶した場所。
「あの場所を、あの怪物に奪われるわけにはいかないんだ。そしていま、ここで燃やした仲間の灰を、我々はあの場所に弔わなければいけない――我々は、死ぬまで戦い続ける」
たとえ、仲間に殺されることになろうとも。
たとえ、仲間を殺すことになっても。
トーガのその言葉は、炎のぱちぱちという囁きに溶けていく。
――また一人分の遺体が燃やされている。それを見つめる男達。女、子供達。老人達。
街の全員が、胸に全ての覚悟を宿している。
何が起きようとも、この街を、この谷を、捨てるわけにはいかないのだ、と。
……でも。
気付けばパウは、表情をわずかに歪めていた。
更に遺体が燃やされる。正面から照らす炎は熱いはずであるのに、どうして冷たさを感じるのだろうか。
影は長く黒く伸びて、炎と同じくゆらゆらと、嘲笑うかのように踊る。
「……デューからではないものの、魔術師が来たのだから、明日の話をしたかったのだが」
はたと、トーガが我に返ったようにパウを見下ろす。
パウは金縛りにあったかのように動けず、そのままで返した。
「手短に」
「あの怪物は、日々、前線を上げてきている。この勢いではもう街が危ない。それだけではない、死者が増え続けているから、こちらの戦力は減っているし……向こうの戦力は増えている」
死ねば、向こうの手駒。
まるでゲームのよう。しかしゲームではない。不利で、残酷な戦いだ。
「明日にでも決着をつけたいってことだな」
時間がない。かつてエルヴァも似たことを言っていたのを、パウは思い出す。
「それに、いつ、あの怪物そのものが街に攻めてくるかわからないからな……普段は『死体』の軍勢の奥に潜んでいるようだが、今日のように前線まで出てきて、街まで来てしまったら……」
それでも街の皆は、ここを動かない。
この街に来た時、平和そうに見えた。けれどもそれは違っていたのだ。
皆が戦っていた。
――皆が殺し合っていた。
……誰のせいで?
……誰が発端で?
パウは炎を見つめ続けていた。ミラーカが目の前を横切る。青い羽は、燃えているかのように煌々とした光を帯びる――。
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